地上波初となった『この世界の片隅に』
以前話題になった時にこれは見てみたいなと思っていたので録画して見ました。

素晴らしい作品でした。海外からの高評価というのも日本人としては嬉しいです。

映画を見終わってから、そう言えば大学受験で広島に行った時に、せっかくだからということで原爆ドームと原爆資料館に行ったことを思い出しました。

小学生の時、クラスメイトが原爆資料館にある被爆者の人形がすごく怖いと言っていました。受験生の18歳ならそこまで怖いと感じるものでもないだろうと楽な気持ちで入館したのですが、展示物は順路を追うほどに原爆の恐ろしさを実感させられるもので、その最後に被爆者の人形がありました。

多分何歳で見ても恐怖を感じさせるものだと思います。ところが、
今さら知ったのですが、その被爆者の人形が撤去されたそうです。もう2年前です。

撤去の理由は、実際に被爆した人から
『原爆被害というのはこんなものではなかった。服も燃えてなくなり、顔も皮膚がただれて性別もわからないような人達がいた。人形展示では伝えきれない』

という声があり、資料館としては被爆の真相をよりリアルに伝えるために実際の被爆資料や写真を中心にして、再現物ではなくありのままの資料を展示する方針とするため。

この撤去問題は反対の声が多かったそうです。
そりゃそうだと思います。
まず、実際の被爆体験者の声として

『こんなものではなかった』
とありますが

『展示をやめろ』
とは言ってません。
それを聞いたどこかの誰かが

『完全に再現しきれていないこの人形では事実よりも軽くみられる』
というおかしな受け止め方をして、さらにその結果として

『じゃあよりリアルな人形にする』
ではなく

『事実と違うものは撤去する』
という恐ろしくねじ曲がった思考で決定した事です。

実体験を100%としたら展示人形の再現力は30%だか40%だかわかりませんが、その度合いは大事なことですか?
実際がそんなものではなかったのは当然です。どれだけ多くの遺留品や記録を展示しても実体験の100に並ぶことはありません。

ですが少なくとも資料館に行った人にとっては最もインパクトに残る展示物であり、戦争の恐怖と核の非人道性を最大に感じるものでした。
一番大事なのはそこのはずです。それを伝えるための資料館だったはずなのに。

人形の展示をやめて実物資料の展示でリアリティを高める?
高まらないでしょ。伝わらないでしょ。
人形を残して、そのそばに
『爆心地の近くではこれ以上に悲惨な状態の人が大勢いた』
の一言を添えるだけでいかに凄絶な状況だったか、これ以上と言われても想像もつかないほどの地獄が広がっていたと感じるはずです。

リアリティどうこうの理由は建前で、実際には表立って言えない事があるんじゃないかとすら思ってしまいます。