2005年、ありがたいことに師匠、柳亭市馬に弟子入りすることが出来ました。

 

アタシの前にも入門を頼みに来た人が何人もいたそうですが、弟子に取った人はいませんでした。

 

アタシが一番弟子です。

 

師匠もまだ43歳、あまり仕事がなかった時期でしたので、ずっと一緒にいましたし、様々なことを教わりました。

 

お稽古に関して言われたのは「出来るだけネタ元に行きなさい」ということでした。

 

A師匠が面白くした噺は、ちゃんとA師匠に教えてもらいなさいと。

 

当たり前の様ですが、案外みんないい加減です。

 

安直にキャリアの近い者同士で教えあってしまいます。
お互いの芸がそれに相応しい者同士であれば別に良いのですが…

 

例えば、白酒師匠から習ってきた『松曳き』を、仲間内で教えあっている二ツ目達を、随分と見ました。

 

アタシが、某師匠にお稽古のお願いに伺うと「何習うの?覚えたらその噺、オレにも教えてよ」と言ってきた先輩もいました。

 

アタシに『夜鷹そば屋』を頼んできたので、「いや…それはさすがに雲助師匠に…」と答えたら「じゃあやらなくていいや」と言った人も(怒)

 

ネタ元の師匠は大抵ベテランの方ですから、億劫なのはわかりますが、そこで手を抜いてはいけない。
きちんとした方にきちんと教わりなさい。
それが市馬の教えです。

 

『筋をきちんと通す』という師匠の教えでしたが、アタシも『本物』から教わりたかったので、仲間内でのネタ交換はしてきませんでした。
(あ、一度だけ後輩の㐂三郎さんとネタの教えっこをしましたが…その噺は覚えたけれど高座に掛けずに今日まで来てしまいました。)

 

不器用な自分が『本物』になろうと思ったら『本物』に習わなくてはなれない、と思ったからです。

 

おかげさまでネタも随分増え、やりたい噺はあらかた教わることができました。

 

これからは、頭で覚え、身体に染み込ませてきた落語を、もっと自由自在に掛けてみたいです。

 

ただ自由すぎると「古典」の領域を踏み外してしまいがち。

 

だからこそ、今まで『本物』に教わってきたことがここで役に立つのでは。

 

 

(2024.6.23 11:41 HPに投稿)

 

 

これまでの噺のネタはこちら

 

 

玉屋柳勢(たまやりゅうせい)とは>
落語協会の噺家。2020年真打に昇進。
六代目 玉屋柳勢を襲名いたしました。
これまで師匠方から「直に」受け継いだ落語。
それはアタシの財産です。
その楽しさと良き伝統をお伝えできたら嬉しいです。

 

 

まずは、お越し下さったお客さま、池袋演芸場の皆さま、ご出演下さった師匠方、先生方、前座さん、弟弟子、協会事務局の皆さまに心より御礼申し上げます。


また、楽屋へお気遣い下さいました皆さま、本当にありがとうございました。

 

お客様からは、「寄席としての醍醐味を味わえた」「流れが素晴らしかった」など、多くのお褒めの言葉を頂きました。

顔付けして下さった河村さん(池袋演芸場支配人)のおかげです。

 

 

さて、
改めまして、

 

2月下席、池袋演芸場昼席のトリ、

 

無事勤めることが出来…

 

ませんでした!

 

 

 

 

残り2日で喉を飛ばしてしまい、千穐楽は休演。

 

力強い顔付けのおかげで大勢のお客様にお越し頂き、出演者の方々にも喜んで頂けて、色々順調だったのですが…

 

 

新たな課題です。


それについては、また後日。

 

 

 

各日のトリネタは以下の通り。

(9日間の全出演者の演目はブログの後半に掲載しています。)

 

①『四段目』…初日はこれかな、と決めてました。
②『大工調べ』…序盤をもっと軽くやるべきだったかなぁ。啖呵から下げは安定。
③『粗忽の使者』…バカバカしさを共有出来たかしら。
④『甲府ぃ』…やっていて気持ち良いネタ。
⑤『夜鷹そば屋』…今までで一番滑稽噺の息でやれたように思います。
⑥『景清』…最近色々手を入れました。
⑦『明烏』…これで喉を飛ばしてしまいました。反省。
⑧『子は鎹』…かすれ声でしたが、お客様のやさしさに助けて頂きました。

 

千穐楽は師匠・市馬の代バネで『うどんや』
声が出ないアタシの代わりで『うどんや』!

師匠が「他意はない」と仰った時の顔は…他意しかありませんでした!
19年弟子をやっているアタシにはわかります(笑)

 

 

今回『中村仲蔵』が出来なかったのが…無念です。
細かく手を入れたので聴いて頂きたかったなぁ。
トリネタは寄席で掛けられるのを目標に作ってますから。

 

 

 

 

(左)2020年3月21日 玉屋柳勢・真打昇進襲名披露興行(於:鈴本演芸場)にて林家正楽師匠よりお祝いとしてアタシが頂いたもの。
(右)2020年3月24日 玉屋柳勢・真打昇進襲名披露興行(於:鈴本演芸場)にて/紙切り:林家正楽師匠/リクエスト「玉屋柳勢」/お客様のご厚意により、お借りして展示させて頂きました。※後日、ご寄贈いただける事になりました。ありがとうございます。
正楽師匠のこと

 

 

 

今回立派なお花をお贈りくださった、北村薫先生と。
ご縁があり、真打昇進のお披露目の口上書きも先生が書いて下さいました。
アタシが落語を聞くきっかけとなった小説『円紫さんとわたし』シリーズ。その作者であらせられる先生がこうして見にいらして下さる…身に余る光栄です。
三三兄さんからの『三味線栗毛』。

 

 

 

【全演目】
池袋演芸場・令和六年二月下席昼

主任:玉屋柳勢

 

初日
一、寄合酒 たたみ
一、転失気 市好
一、熊の皮 燕三
一、権助魚 白酒
一、漫才  風藤松原
一、強情灸 圓太郎
一、家見舞 雲助
(仲入り)
一、ざるや 志ん五
一、粗忽の釘 市馬
一、俗曲  小菊
一、四段目・謡「四海波」柳勢
(天気:雨)

 

 

二日目
一、元犬 わたし
一、寄合酒 市好
一、高砂や 小燕枝
一、代書屋 白酒
一、漫才  米粒写経
一、権助芝居 圓太郎
一、辰巳の辻占 雲助
(仲入り)
一、楽しい山手線 駒治
一、雑俳  市馬
一、俗曲  小菊
一、大工調べ 柳勢
(天気:また雨)

 

 

三日目
一、道具や 駒介
一、黄金の大黒 市童
一、だくだく 燕三
一、茗荷宿 白酒
一、漫才  米粒写経
一、真田小僧 圓太郎
一、時そば 小満ん
(仲入り)
一、出目金 志ん五
一、親子酒 小さん
一、俗曲  小菊
一、粗忽の使者 柳勢
(天気:またまた雨)

 

 

四日目
一、初天神 わたし
一、金明竹 市童
一、権助魚 燕三
一、マキシム・ド・吞兵衛 玉の輔
一、漫才  風藤松原
一、浮世床 圓太郎
一、あちたりこちたり 小満ん
(仲入り)
一、野鳥の怪 志ん五
一、穴泥  市馬
一、俗曲  小菊
一、甲府ぃ 柳勢
(天気:快晴 (やっと幟が!))

 

 

 

 

五日目
一、寄合酒   たたみ
一、道灌    市松
一、初天神   小燕枝
一、花色木綿  白酒
一、漫才    風藤松原
一、やかんなめ 燕路
一、代書屋   雲助
(仲入り)
一、B席    駒治
一、長屋の花見 市馬
一、俗曲  小菊
一、夜鷹そば屋・謡「高砂や」 柳勢
(天気:雨)

 

 

六日目
一、道具や  駒介
一、桃太郎  圓太郎
一、洒落番頭 市寿
一、粗忽長屋 白酒
一、漫才   米粒写経
一、あくび指南 小燕枝
一、持参金  雲助
(仲入り)
一、魚男   志ん五
一、ガマの油 市馬
一、俗曲   小菊
一、景清   柳勢
(天気:快晴!風強し。)

 

 

七日目
一、子ほめ  たたみ
一、風の神送り 市若
一、近日息子 燕三
一、茗荷宿  白酒
一、漫才   米粒写経
一、強情灸  圓太郎
一、ずっこけ 雲助
(仲入り)
一、魚男   志ん五
一、雛鍔   市馬
一、俗曲   小菊
一、明烏   柳勢
(天気:晴れ・強風)

 

 

 

八日目
一、道灌  わたし
一、黄金の大黒 市次郎
一、元犬  小燕枝
一、代書屋 白酒
一、漫才  風藤松原
一、化物使い 圓太郎
一、つぼ算 雲助
(仲入り)
一、生徒の作文 駒治
一、普段の袴 市馬
一、俗曲  小菊
一、子は鎹 柳勢
(天気:晴れ)

 

 

千穐楽
一、道灌   駒介
一、狸札   市寿
一、金明竹  小燕枝
一、鰻屋   馬石
一、漫才   風藤松原
一、祇園会  圓太郎
一、千早ふる 雲助
(仲入り)
一、車内販売の女 駒治
一、たけのこ さん助
一、俗曲   小菊
一、うどん屋 市馬(代バネ)
ご挨拶  市馬、柳勢
(天気:くもり)

 

池袋演芸場ロビーのモニター

 

 

100年前のチラシを参考に作成。

 

 

 

【ブログ】トリのご案内(メルマガより)

【ブログ】寄席(定席)はカタログ。
寄席の顔付け、についてです!

【ブログ】披露目後。一本立ちの意味。

 

(2024.3.3. 15:04公式HPに掲載)

 

 

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六代目 玉屋柳勢を襲名いたしました。
これまで師匠方から「直に」受け継いだ落語。
それはアタシの財産です。
その楽しさと良き伝統をお伝えできたら嬉しいです。

 

 

 

この度、 2月下席、池袋演芸場昼席でトリを勤めさせて頂くことになりました。

 

アタクシにとってはこれ以上ないくらい有難い顔付け。

お知らせ出来て本当に嬉しいです。

 

 

昨年の暮れに協会から連絡があり、トリが決まったことを師匠・市馬に報告しました。

 

「良かったなぁ。見てくれる人は、ちゃんと見てくれてるんだな。(2月下席は)元々休みの予定だったけど・・・出るからな!」
と喜んでもらえたようで。

 

地味ながらもコツコツやっていることを師匠はわかってくれていたんだなぁ、と嬉しく胸がいっぱいになりました。

 

 

協会より顔付けの連絡を頂き、早速チラシを作り、元日のご挨拶で師匠にお見せしました。100年前のチラシを参考に作りましたので、皆さまにもご案内いたします。

 

 

 

 

師匠がヒザ前の出番で、他にも雲助師、圓太郎師、白酒師も出演して下さいます!

 

 

気が向いた時にいつでも入れるのが寄席の良いところ。

9日間、毎日出ます!ぜひお立ち寄り下さい。

 

柳勢拝

 

 

■池袋演芸場二月下席・昼

2月21日~29日の9日間、毎日出演いたします

主 任:玉屋柳勢

開 演:14時

 二ツ目(交互)

 柳亭燕三、柳亭小燕枝(交互)

 桃月庵白酒

 風藤松原、米粒写経(交互)

 橘家圓太郎

 五街道雲助

 (仲入り)

 古今亭志ん五、古今亭駒治(交互)

 柳亭市馬

 柳家小菊

 玉屋柳勢

 

顔付け:池袋演芸場支配人 河村さん

 

※出演者は急きょ変更になる場合もございますのでご了承下さい

 

※チラシの画像を窓口で提示して頂くと一般料金より200円割引になります

 

 

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(2024.2.2メールマガジンにて送付したものをHP用に掲載)

 

 

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紙切りの林家正楽師匠がお亡くなりになりました。
初席でご挨拶したばかりでしたし…信じられません。

 

アタシの二ツ目時分の名前『市楽』は正楽師匠から頂きました。

 

二ツ目昇進が決まって楽屋で「名前どうしようかね?」なんて話しをしていたら、正楽師が「キミに『いちらく』をあげるよ」

 

正楽師が以前名乗っていらした『一楽』を紙切りでなく噺家のアタシに?と驚いていると、

 

「市馬さんの弟子なんだから、『いち』は市馬さんの『市』ね」

 

これで『柳亭市楽』に決まりましたから、アタシにとっては名付け親のお1人です。

 

 

正楽師は大変なお酒好き。
アタシはほぼ下戸ですから、一緒にいてもそれほど面白くはなかったでしょうが、それでも度々ご馳走になりました。

 

上野のとんかつ屋さんで、「(特殊な人や会でなく)普通の寄席のお客様にウケなきゃダメだよ」と言われましたことを、胸に刻んで修業して参りました。

 

 

昨年、浅草芸能大賞を受賞されたお祝いを申し上げましたら、

 

「ありがとう!みーんなあなたのおかげ」
と仰ってからニヤッと笑って

 

「嘘ーン」

 

 

協会からの知らせも「嘘ーン」であってくれたら…

 

 

(2024.1.26. 21:12公式HPに掲載)

 

 

 

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「後輩からお稽古を頼まれるということは名誉なことなんだよ。そのネタはあなたが1番です、とプロに認められたんだから」

 

以前、ある師匠がそう仰っていたことがありました。

 

「例え前座だってプロなんだから」と。

 

そう言えば亡くなった喜多八師匠にお稽古をお願いした時の第一声は「ありがとう!」でした。

 

噺家にとって、後輩にお稽古をお願いされるのは嬉しいことなのです。

 

頼まれてもいないのに自分から「おい、稽古つけてやるよ」と言って廻っている人もいるくらい…(迷惑なので良い子のみんなは真似をしない様に)

 

 

ところが、アタシは先日、ある前座さんにお稽古を頼まれましたが、お断りしました。

 

それはその前座さんが嫌いだとか、「自分の工夫は自分だけの物、誰にも渡さないんだから!」と思っている訳ではありません。

 

やる気と誠意がある人なら、自分の工夫した噺で良ければ、とも思いますし、アタシは彼に好感を持っています。落語も人柄も。

 

では何故か?と言いますと、頼まれたネタがまだまだ自分の噺、とは言い難い物だから、なのです。

 

アタシ自身も教えて頂いてまだ1年ちょっと、それも初演から数回掛けて蔵に入れたのを夏に出したばかりのネタ。

 

おそらく他の方と違うハコビやくすぐりがあって、それが彼には魅力的に見えたのかなぁ、と思います。しかし、それはアタシが考えた物ではありません。

 

くすぐりでない所で色々工夫はしてはいるつもりですが、大部分は教えて下さった師匠が苦心に苦心を重ねて拵えた物。

 

それを自分のネタだという顔をして後輩にお稽古をつけることは出来ません。

 

 

彼には(断った)理由とアタシが習った師匠のお名前を伝えました。

 

きっと、その師匠に習いに行くと思います。

 

そうすれば、彼は同じ師匠から同じ噺を習って磨いていくライバルになります。

 

 

負けないぞ!

 

 

アタシも「認めてくれてありがとう!」と、心から言える自分のネタを作っていかなくてはいけないなぁ、と思いながら、まだまだ先輩方に教えを請うている日々です。

 

 

(2023.11.29 13:18 HPに投稿)

 

これまでの噺のネタはこちら

 

 

歌舞伎役者、中村鷹之資さんの勉強会、翔之會に行って参りました。

 

池袋の独演会で申し上げたお手伝い、そして101らくごでお話ししました大向うで、です。

 

大向うはお芝居を引き立てる物ではありますが、大向うが下手ですと…。

 

これは責任重大だな、ということで一朝師匠に相談しました。

 

一朝師は二ツ目時分に歌舞伎座で笛を吹いてらした方ですから、良いアドバイスが頂けるのではないかと思いまして…。

 

アタシ「今度大向うをやることになりまして…」
一朝師「あそうなの。演目は?」
アタシ「『矢の根』と『二人椀久』なんです」
一朝師「『矢の根』はともかく『二人椀久』は難しいよー」
アタシ「そうなんです。プロの大向うの方(注)が何人かいらっしゃるそうなんで、少し安心はしてるんですけど…」
一朝師「それなら大丈夫。誰かが『天王寺~!』って言ったら合わせて『屋~!』って叫べば良いから(笑)」

 

なんて実践的なアドバイス。
随分気が楽に…。

 

 

私なりに色々勉強しました所、『矢の根』は荒事なので大音声で小屋全体に響き渡るように、『二人椀久』の様な舞踊は三味線の間を埋めるように低音で短く掛ける、など様々なやり方があるそうで、知れば知るほど面白い世界です。

 

会の前日は舞台稽古も見せて頂き、いざ当日、昼夜2回公演を迎えました。

 

プロの方々は3階席から、アタシは別の場所からの大向う。

 

昼の部はプロの皆様がどのタイミングで掛けるのかしら、とやや恐る恐る確かめながら。

 

昼で大体把握出来たので、夜の部はノビノビ掛けることが出来ました。

 

やっぱり楽しかったんですかね、かみさんに「あんた何かテンション高くてうるさい」と煙たがられてました(泣)

 

終演後、鷹之資さんから「あれはもうプロの大向うさんでしたよ」とお褒めの言葉をいただき、更にテンションが上がってしまったのでした。

 

他にも前日の準備から開場時の受付け、八ッ橋売り、色々体験させて頂きました。

いやー、楽しかったなぁ。

夢のような時間を経験させて頂きました♪

 

そして幕間では松本幸四郎さん八ッ橋事件(笑)があった?のですが…

 

それはまた、別の、オハナシ。

 

どこかの高座でお話しさせて頂くかと思います。

 

 

(注)
大向うの会、がいくつかありまして、会員さんに認められ、所属されている『プロの大向う』の方が主に掛けています。
(時々興奮して掛けてしまうお素人の方がいらっしゃいますが、それはそれとして…)

 

コロナ禍で、全面禁止となった大向うですが、現在、歌舞伎座ではマスク着用の上、所定の場所からプロのみが掛ける、とされています。

 

今回は個人の会ということで、アタクシも特別に掛けさせて頂くことになりました。マスク着用のうえ、前にお座りのお客さまへも、事前にお伝えした上で掛けさせて頂きました。

 

 

(関連ブログ)
二月歌舞伎座~鷹之資さん『船弁慶』
十一月の歌舞伎座から。富十郎さん、三津五郎さんの息子たち。
富十郎さん一世一代『船弁慶』後。雲助師匠と武智歌舞伎塾。
師匠・柳亭市馬から習った『七段目』。~「玉屋噺の会」(落語協会特選会)に向けて~

 

2023.10.10 18:05公式HPにUP

 

 

はじめに…『粟餅』は「う〇こ」のネタで、『にせ金』は「キン〇マ」を連呼する噺…です。

 

「雲助師匠が人間国宝に」

 

そのニュースを聞いたアタシは飛び上がって喜びました。

 

雲助師はうちの協会でお稽古をつけてもらったことが無い人なんているかしら、というくらい皆がお世話になっている師匠です。(注1)

 

師匠はその芝居中にお稽古を付けて下さることもあり、寄席の初日には雲助師匠にお稽古をお願いする二ツ目が大体何人かいて、先輩「お稽古頼みに来たの?誰?」アタシ「雲助師匠に。上げのお稽古です」先輩「え、俺もだよ。じゃあ一緒に頼もうか」なんてことは日常茶飯事。

 

最初に習ったのは、アタシが二ツ目成りたての頃でした。

 

勉強で伺った見番の会で、珍品の『粟餅』をお掛けになった師匠。高座をおりていらして私に「『粟餅』で良ければ、いつでも教えてあげる」と。

 

喜んだアタシは師匠・市馬に「雲助師匠に稽古つけてあげるって言われました。行っても宜しいでしょうか」「おお、いけいけ。どんどん頼め」

 

許可を得たアタシは、日を改めてお稽古のお願いに。「師匠!お稽古のお願いに参りました」「うん、ネタは?」「『粟餅』を」「え!いや、あれはシャレだよシャレ。あれ覚えてもやる場所ないよ。 でもまぁ教えてあげるよ。『にせ金』も一緒にどう?」「『にせ金』はちょっと…『粟餅』のみでお願いします」

 

 

それから師匠の見番の会には可能な限り勉強に伺い、お稽古も20席程、と一門でもないのに、沢山つけて頂きました。あまり習い過ぎて、うちの師匠に「お前は雲助兄さんばっかり(稽古に行って、俺には来ない)」とすねられたくらい。

 

自分で「どんどん頼め」って言ったのに(苦笑)

 

 

通常、アゲのお稽古では、師匠が言葉や仕草、台詞の心情面等で間違っている所を指摘してくださいます。

 

しかし雲助師匠はそれだけではありません。

 

お稽古を付けている相手に、こいつならここまで言えば、あとは自分で気が付くだろう、と誘導するように伝えてくださいます。

 

自分の頭で考え、自分の足で歩けるようにお稽古を付けてくださるのです。「教える」というより「導く」とでも申しましょうか。それもさりげなく。

 

白黒だった自分の落語に、師匠が色をつけて下さる、そんなお稽古に、帰り道嬉しくなりスキップして帰ったことも1度や2度ではありません。おかげでうちには回覧板が廻って来なくなりました。

 

 

雲助師匠、本当におめでとうございます!

 

 

(注1)うちの協会(落語協会)では『明烏』『お見立て』『夢金』『芝浜』『子は鎹』『厩火事』『もう半分』『豊志賀』『中村仲蔵』『幾代餅』『代書屋』『お菊の皿』『ざるや』『持参金』等々師匠がネタ元になっている噺が沢山あります。

 

 

【余談】家が大好きな雲助師。出番が終わればすぐに帰宅されます。7下は浅草演芸ホールへご出演。間もなく隅田川の花火大会ですが、家が目の前なのに交通規制で中々帰れないそうで。

 

 

(2023.7.27 10:00 HPに掲載)

 

 

<関連ブログ>

[噺のネタ]3『夜鷹そば屋』(もちろん五街道雲助師匠から)

富十郎さん一世一代『船弁慶』後。雲助師匠と武智歌舞伎塾。

浅草演芸ホール5月下席、雲助師匠と楽屋話。

 

 

アタシは権太楼師匠に教えて頂きました。

 

『代書屋』は、実際に代書屋をされていたという先代米團治師匠の拵えた新作落語。

 

東京では芸術協会の先代小南師匠の型を、喜多八師匠が習って落語協会へ。

 

そこから雲助師匠や権太楼師匠に広がっていったネタです。

 

アタシがお稽古をつけて頂いたのは国立演芸場。


ちょうど喜多八師も出番でいらしてました。

 

権太楼師が喜多八師に「この子に『代書屋』を教えるから」と、わざわざ許可を取って下さり、そのまま地下の稽古場へ。

 


『代書屋』は権太楼師の十八番中の十八番。

 


お客様の頭の中に権太楼師の型がしっかりありますので、後輩が教わった所でとてもとても…というネタ。

ですから、喜多八師か雲助師に教わる人が多かった様に思います。

 

 

それでもアタシは権太楼師の「間」と「呼吸」、「押し引き」の技術を学びたく、それが『代書屋』には沢山詰まっている様に思い、敢えて教えを請いました。

 

権太楼師からは「代書屋さんが怒っちゃダメだよ。例え文言として怒っていても、肚からそうしてはいけない。この噺がつまらなくなっちゃう」と教えて頂きました。

 

「代書屋さんも客商売だからね」と。

 


そしてそのお稽古では、権太楼師はサゲまでされなかったんです。

 

最後の賞罰の件で「冗談言っちゃいけねぇ」で終わってしまいました。

 


権太楼師の手持ちの映像をいくつか確認しましたが、一番長いTBS落語研究会でも同じ所まで。

 


あとはもうサゲをただ言えば良いだけの所ですので、「何故だろう?」と考えました。
 (その場で質問すれば良かったのですが恐れ多くて…)


結果、サゲの、「嘘だと思うなら、その履歴書をご覧よ」という台詞が、客の男のキャラクターに合わないから、というお考えではないか、という考えに至りました。

 

というのも、試しにやってみた所、何だか腑に落ちない…と言いますか、唐突な感じがすると言いますか…。 
オチとしては綺麗に出来てはいるんですが。

 

この男はそんなこと言わない、というお考えではないか、とあくまでアタシ個人は思うのであります。




そんな『代書屋』、と申しますか、権太楼師の息と間を、実際に高座で試しながら研究出来たお陰で、二つ目の終わり頃には少しだけウケ方のコツような物が見えて来た様に思います。本当に少しですが。

 

ただアタシにとって『代書屋』は、あくまでも権太楼師の技術を勉強させていただくために習った噺ですので、持ちネタにするつもりはなく、もう5年位掛けていませんでした。

 

それでも最近、<自分の喋り>のような物が、遅まきながらつかめてきたので、ふと「今の自分の息と間でやってみたらどうなるだろう?」 と、試しに稽古してみたんです。

 

すると何だか新鮮で、楽しかったんです。

 

 

権太楼師の型を継承しつつ、より自由に動かせそうな手応えがありました。(注)

 

 

権太楼師の『代書屋』をよくご存知の方にも楽しんで頂ける、そんな持ちネタになるよう、試行錯誤していけたらと思います。

 

 

(注)
白酒師匠の著書『白酒ひとり壷中の天』(白夜書房)によると、二つ目時代に代書屋の男の年齢を自分に近づけて若くした所、よくウケる様になったそうです。

 

また馬治兄さんは客の男を田舎者に設定されています。原作では外国人も登場しますから、もっと人物の設定を色々変えてみても良い噺なのかもしれません。

 

なんとなく『代書屋』の客の男は上方落語的なキャラクターで、こちらの落語の人物らしくない所がある様に感じます…。

 

(2023.2.17 20:52 HPに投稿)

 

 

玉屋柳勢(たまやりゅうせい)とは>
落語協会の噺家。2020年真打に昇進。
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これまで師匠方から「直に」受け継いだ落語。
それはアタシの財産です。
その楽しさと良き伝統をお伝えできたら嬉しいです。

落語会「噺の種」「玉屋噺の会」「ここだけの話」「ヒルラクゴ」「101らくご」を自主開催。

 

最近、You Tube等で日本舞踊をよく見ます。

 

繰り返し見てしまうのが、故人では上方舞の吉村雄輝さん。
役者の梅幸さん、富十郎さん、三津五郎さん…。

 

現役では当代猿之助さんの踊りが好きです。

 

あぁいいな、と思う人は皆ピタッと綺麗に止まるんです。
観ていて本当に気持ちが良いです。

 

 

舞踊という動きの芸術。

その基本は、動かないことなのかも、なんてことを近頃思います。

 

そして、きちんと止まる為には、まずきちんと立つこと。

 

 

能の稽古仲間で、長年、合気道をされている方がいらっしゃいます。

この方の立ち姿が格好良い。

スーッと、というのはこういう立ち方なんだな、と感心させられます。

 

 

また芸人仲間では、太神楽の仙成さんの踊りを見た時にも、体幹がしっかりしているな、と感じました。

 

 

きちんと立つ、口で言うのは容易いことでも、実際にそれをするのは大変なことです。

 

 

若手では特に鷹之資さんの立ち姿が好きで、歌舞伎座で主役で踊る姿を早く見たいなぁ、と思っていました。

 

 

そんな鷹之資さんが、お父様である富十郎さんの13回忌の追善興行で『船弁慶』の主役をされるということで、観劇して参りました。(富十郎さん一世一代『船弁慶』後。雲助師匠と武智歌舞伎塾。

 

 

何しろ『船弁慶』は前半が静御前、後半が平知盛の幽霊、と全く違う二役を踊らなくてはなりません。

 

能らしい動きをしながら、少ない所作で、義経と別れる静の哀しみを見せる前半。

 

恨み骨髄の幽霊の迫力を出さなくてはいけない後半。

 

 

静と動、真反対の二人。

 

 

難しい踊りです。

 

 

鷹之資さんは能の仕舞も習われているそうで、前半の静御前の舞も流石でした。

 

 

後半、知盛を見ていて、富十郎さんのことを思い出しました。
舞台の上でとても大きく見え、もしかしたら明日は弁慶を倒してしまうじゃないか(笑) と、当時、何度も通ったんです。

 

 

そして最後の幕外の引っ込み、ここの太鼓、私大好きなんで大興奮でした!

 

 

雲助師匠から『芝浜』を習った時「ネタが成長していくのを楽しみに掛けていって」と言われました。

 

 

演じる側だけでなく見る側も同じです。

 

 

これから年月を掛け、成長していく静御前と知盛を見る、観客としての楽しみが出来ました。

 

『完本 中村吉右衛門』(小玉祥子)には、
「女形さんはある程度、器用なひと程得をするが、立役は年齢がいくと、生きざまが出る。だからちゃんと歌舞伎に向き合っていきなさい。」と吉右衛門さんがおっしゃっていたと記されています。

 

 

鷹之資さんは、伝統芸における理想的な若手、じっくり応援していきたいです。

 

 

これもまた、歌舞伎を見る喜びです。

 

 

(2023.2.5 10:41 HPに掲載)

 

 

【関連ブログ】
富十郎さん一世一代『船弁慶』後。雲助師匠と武智歌舞伎塾。

十一月の歌舞伎座から。富十郎さん、三津五郎さんの息子たち。

 

 

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落語協会の噺家。2020年真打に昇進。
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落語会「噺の種」「玉屋噺の会」「ここだけの話」「ヒルラクゴ」「101らくご」を自主開催。

 

 

新春浅草歌舞伎・二部を観劇して参りました。

 

正月恒例の若手公演、3年ぶりの開催です。

 

 

お目当ては義太夫狂言の『吃又』。

 

今は亡き吉右衛門さん演じる又兵衛に感動し、この芝居が大好きになりました。

 

師匠から「物見せよ(見張れ)」と命じられ、花道の付け際に座り、グッと息を詰めて揚げ幕の向こうを見る。

真っ直ぐな思いが現れたその眼に、一瞬で心が奪われたのを思い出します。

 

最近では義太夫狂言の出る機会が減り、寂しく思っていましたが…。

 

今回、又兵衛夫婦を演じる歌昇さんと種之助さんは、義太夫狂言をお家の芸とする播磨屋の役者。

 

お二人が吉右衛門さんに憧れ、側で芸を学んでこられた様子は、様々な記事で読んでおりました。

 

特に『吃又』はお二人の勉強会でも出ていた芝居。

 


歌舞伎では、実際にその役に決まらなければ教えていただけないと聞いたことがあります。


もしかしたら、吉右衛門さんに教わっておきたい、という思いがあったのかもしれません。

 

 

そんなお役を、1ヶ月の本興行で。

 

若手の二人が生き生きと勤められていて、清々しい気持ちになりました。

 

芸に真っ直ぐ取り組んでいる役者さんを見ると、自分もしっかりしなければと背筋が伸びます。

 

そして吉右衛門さんの芸を後進に伝えていってほしいです。

 

 

来月は鷹之資さん『船弁慶』。
楽しみです♪

 

(2023.1.23.10:27HP掲載)