はろはろ、みなさま。

僕はこの夏、ひと月半ほど実家に戻っていたのですが、その時に没頭した本の一つに ジル・ボルト・テイラー著「奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき」 (新潮文庫) 文庫 があります。

作者のテイラーさんはハーバード大学で脳神経科学の専門家として活躍していた(本人曰くブイブイ言ってた)のですが、37歳のある日脳卒中に襲われます。彼女の脳の機能は著しく損傷し、言語中枢や運動感覚にも大きな影響が出たのですが、同時にそれまで彼女が科学者として学び体験してきたことを根底から覆すような「とてつもなく素晴らしいこと」も起こったのです。 この至高体験を失なわず、同時に科学者として復活するために8年間ものリハビリにも耐え、今再び教壇に立っているそうです。

僕もTEDで彼女のスピーチを見たのですが、正直「この体験はとてつもなく面白いし尊敬すべき出来事だけど、これに普遍性はあるかなぁ。彼女の体験した至高体験を我々も体験するために、この本だけでは役に立たないな・・・」と感じたのです。生意気ねー。(笑)

もっとも僕と同じような感想を持たれた方は結構多かったようで(テイラーさん曰く、膨大な懇願・要望・要請メールを頂いた)、最初の出版から数年を経て続編、というか、まさしく「彼女が体験した至高体験を我々も体験するためのハウツー本♡」が発表されました。 とはいえ、そこは脳卒中とその回復を実際に体験された神経解剖学者として、極めて冷静な科学的見地から「普通の人々が神との合一体験を得るために」語られているのです。これは飛びつかないわけにはいきません。 幸い日本でも22年6月にNHK出版から「WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方」というタイトルで発売されています。もちろん即座にポチし(kindle本)、以来常に持ち歩いて夢中で読んでおります。


さて、そんな風に僕が嬉しく楽しくテイラーさんとお付き合いしていると、聖霊が「彼女はこれを解剖学者らしく”右脳・左脳”という文脈で語っているが、我々はこれを”マインド”ととらえ、コース学習者にとって極めて実用的に書き換えることも出来るんだよ」と囁くのです。もちろん即座に飛びつきましたとも。

ということで、この夏から秋にかけて嬉しく楽しく「アタシのマインドの組み換え」に勤しんでおりました。 ちなみにこの本は、関西勉強会のメンバーであるM氏@7(やっほー♪)も夢中になって読んでいるそうで、先月の勉強会でそれを聞いて「おお、同じ時期に同じ本にハマっていたなんて、やはり我々@7はひとつなんだなー。っていうか、この本は分裂気味のマインドを持って悩んでいる(アタシたちのような)一部のコース学習者に有益な情報なのかも・・・?」と感動したのでござる。 

 

そんな体験もあり、「これはアタシ@7にとって、とてつもなく実用的だけど、ほかの学習者にも応用ができるんだろうか?」という疑問が現れたのです。これも「愛の拡張作用」かしら。るんるん。 ということで、こういうふとどきな実験に賛同してくれる方は臨床心理士の資格も持つゆきち氏@4以外におりません。そこで簡単にテイラーさんによる「脳の仕組みの理論」を紹介して協力を求めますと、予想以上に面白がって協力してくれました。その時にシェアしたテイラーさんの理論を、以下アマゾンから引用しましょうね。(煽り部分はびーさん付加)


** 脳は、ふたつの感情、ふたつの思考、

      合計「4つのキャラ」のシェアハウスだ!

たとえば、心と頭が別々のことを言っているときは、脳の異なるキャラ同士が争っている。キャラたちが、ひとつのチームとして協力し合えば、心穏やかな人生が手に入る。 脳は、今でも進化の途上にある。私たちは、何かことが起こったときに、感じ、考える回路を何度も使ううち、その回路だけが発達してしまい、ほかの回路を作動させることができなくなっている。けれど、それを知って、別の回路をはたらかせることができるようになれば、いつもの自分の考え方や感じ方のパターンとなっている嫌なクセを変えられるのだ。

脳科学の分野の「4つのキャラ」とユング心理学の「4つの元型」は符合する、と著者は言う。本書は脳科学と心理学を融合させ、


   自分自身の力で、自分の「脳」を動かし、

        なりたい自分になる方法を教えてくれる♡ **


面白そうでしょう?

ではでは、ゆきっちゃんの体験談をちょっとだけお楽しみください。



ゆ: するってーとアタシの脳=マインドの左側だけが「アタシは肉体である」という思考に汚染されてるだけで、右側はそんなことは嘘だと知っているのねー。っていうか右のマインドは「純粋な非二元論」の場所だったんだ。でもって右下部に位置するキャラ3が「正しい心」で、上部に在するキャラ4が「一(いち)なる心」だってこと? うひゃあああああ。 

 

この理論をいったん「アタシの脳」って考えると、「救いってこれほどまでに身近な処に在しているんだーーーー」って絶句しちゃうわねー。しかもこれって、J兄さんがずーーーっと、ずーーーーっと言ってたことでもあるし。 どひゃああああああ。いろんな疑問がどんどこほぐれてきた気がしますーー。

アタシのケチもビンボーも、エゴに汚染されているキャラ2がただただ恐怖におののき(しかも聖霊によると、左側のマインドの97パーセントはキャラ2らしい)、その上部に位置するキャラ1(=表層意識=オレ様。左側のマインドのわずか3パーセントを占めているらしい。はぁぁぁぁ・・・)は、巨大で凶暴なキャラ2の影響下にあって、キャラ1本来の機能である「思考によって世界と関わる」ことが出来ず、しかも自分では上手くやっていると思い込んで(オレ様だから)、アタシを取り巻く状況&環境をどんどんおかしくさせている、なぜなら思考は現実化する、どのような思考でも現実化するから・・・ってことなんだ。やばいやばい、やばすぎるーーーー!


び: 具体的に言うと ゆきっちゃんがずっと恐れていた「お前如きが金をもらうのは10年早いわ!」って言葉はキャラ2の恐怖から出てきたものであり、言い換えるとゆきっちゃんはキャラ2の根源的な恐怖に支配され、ずっとエゴの都合のいい女に成り下がっていたってことなの。


ゆ: がーーーん、がーーーん、がーーーん。冷静、かつ自覚をもって納得できる分、悲惨だよおおおお。


でもって表層意識であるアタシは、「世界は地獄なのよ。その中で私に優しさを注いでくれる恋人Jくんだけにアタシの理解、アタシの愛を分かち合うの。それ以外は嫌♡」とほざいていたが(今となっては、この♡がおぞましいよおお・・・)、「神が創造されたままの私」の仕事は、日常生活を心穏やかに過ごすことではなく(聖霊に従って生きていれば自然にそうなります)、全ての兄弟=欠乏という名の幻想の中で苦しんでいる全ての兄弟を豊かにすることである(きゃー♡)。 しかしアタシは無自覚にエゴの都合のいい女に成り下がっていたから、無論その仕事は達成できず、必然的に天国には還れないってことになる。ぎゃあああああ。


び: ま、理論的にはそうなるね。 それが嫌ならまず真っ先に、エゴを「我が上司・我が神」だと勘違いしてきた=洗脳されてきたゆきち的キャラ2を落ち着かせることだが、その仕事は「左側のわずか3パーセントにしか過ぎないキャラ1」には不可能である。ここまではOK? (ゆ: OK)


しかしキャラ1にはキャラ2にはない理性があり、「これとは違う考えがあるに違いない」と思いつくことも出来る。もっともキャラ1がこの境地に立つのは極めてまれだ、ということも知っておかなければならない。 アタシが生きるか死ぬか超絶シリアスになった時にキャラ1の真価「アタシとは異なる存在に救いを求める」機能が働くのだが、それでもボーっとして、無意識に現実逃避を選択するアタシたちはこの地上には(まだまだ)数多くいる・・・ってことも事実だよん。


ゆ: でもってJ兄さんは、アタシ・アタシたちが「奇跡のコース」を選んだ以上、全ての兄弟が目覚め、天国に還り、御父とひとつになるまでは(我々を)落ち着かせてはくれない・・・ってことも真実なんだよねー。 でもでもアタシのキャラ2は、「そんなことできない!怖いわ!」って言う。それでも先に進みたい、っていうか楽になりたいゆきち的キャラ1は必死に「聖霊=キャラ4、助けてーー」と叫ぶ。すがる。しかし、これこそがゆきち的に「唯一の正しい選択」だったんだよなー。しみじみ。


び: その願いを受け取ったキャラ4(=一なる心)は、自分の一部であり、キャラ2のすぐ隣にいるキャラ3(=正しい心)に、「キャラ2の側に行って、優しく抱いてあげて~」ってお願いする。 ここで何故キャラ4は指令するだけで自分では動かないのか?と言ったら、「御父=愛(=キャラ4)は愛以外認識することはないから、愛以外の想念を勝手に捏造して勝手に苦しんでいる子供たち(アタシたち)を救済するために、御父の心とひとつであり、なお神の子の妄想を知覚できる(が、巻き込まれない)存在として聖霊=キャラ3を創造された」ということで説明できると思いまする。

ということでキャラ3は、存在自体が自己憎悪で自己破壊願望の塊であるキャラ2をそのまま受け入れ、「怖んだね、いいよ、いいよ 大丈夫だよ」って優しく肩を抱いてくれる。なぜならキャラ3は、キャラ2の抱いている恐怖はリアルではない、と知っているから。


ゆ: つまり「この想念は御父の意志と異なる、故に存在しない。存在しないものは、存在する神の子を脅かすことはない」って、そのままコースの序文ですね。(笑)


び: さてゆきち的キャラ1は、自分で聖霊に祈った=救済を聖霊に依頼した以上、それがどうなるのかきちんと見届ける義務と責任がある。故にこのプロセスをずーーーーっと見守らなくてはならない。

 

このことはテキスト第26章「境界地帯」に、このうえもなく明確に描写されているが、もちろん神の子は自由だから「そんなの見たくない!聖霊に丸投げ!」と叫ぶことも出来る。 しかしこの「聖霊と共にとどまり、見守る」という課題をクリアーしない限り、心は穏やかになることは出来ない=キャラ2が安心して聖霊に心をゆだねることは出来ない。そうすると3パーセントにすぎないキャラ1は相変わらず不安定なままなので、繰り返し繰り返しこのレッスンはやってくる。残念ながら、ね。


ゆ: 言い換えると、キャラ1=アタシの知覚がキャラ3の凄さを認識し、「この癒しはオレがどれほど頑張っても不可能だった・・・。オレ=この世界を超えた何者か、尊い何者かが確かに存在するんだ・・・」ってことを身に染みて分かれば、アタシたちは次のステージに導かれるってことなのね。


び: そうそう。上手いところを突いてきたね。 たとえばキャラ3は、キャラ2に「だって、君は最初から豊かなんだから、君が何かしなくちゃいけないってことじゃないから心配しなくていいんだよ」とささやく。と同時に、知性を司っているキャラ1にも、言葉を超えたところからキャラ4の愛を拡張していくんだ。 


だからこそキャラ1は、あれほど狂暴だったキャラ2が静かに穏やかになるにつれて、「そうだった、自分で頑張らなくていいんだった。っていうかコースには”世界はない”って言ってたし、存在しない世界で頑張っているオレって・・・もしかして無意味だった? それでも、愛されている?」と、それまで文字情報として蓄積していた知識(愛されているという概念)が、我が身の体験として吸収されていく。 そして、みんな(=キャラ1~4全体)で「気持ちいいね~」って、平安になる。

もちろんこれからもキャラ2は足元から湧き上がる恐怖を感じるだろう、そうするとキャラ1は、すぐに「聖霊、助けてー」と叫ぶようになる。なれる。


これはキャラ1だけではなくキャラ4をも含むアタシたち全体にとって・・・むしろ「一刻も早く神の子を目覚めさせ、御父の元へ連れてかえしたい」と願うキャラ3・キャラ4にとって、とてつもなく重要なことだ。なぜなら、愛は招かれない限りそこへ行くことは出来ないし、恐怖でおののいているキャラ2に愛を招くなんて余裕はない。そういう意味でキャラ1だけが「聖霊とつながる」ことが出来るのだ。 

 

これまで(左側の3パーセントにしか過ぎない劣等感故に)「オレは出来るぜー、オレにやらせろー」と叫んでいたキャラ1=アタシという知覚が、ここまで成熟してきたというのは「まさしく奇跡!」と言うしかない。


ゆ: ああ、やってて良かった奇跡のコース♡


び: ということで、ジル・ボルト・テイラーさんの 「WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方」  NHK出版(2022/06発売)、お勧めです。



** その後ゆきっちゃんも、この理論を独自に展開させ、自分自身の「恐怖におののく ゆきち的キャラ2」をどんどこ癒しております。そのダイナミック、かつ面白おかしい体験談は、いずれ機会を見て紹介したいですねー。聖霊、よろしくーー。 **