吾妻鏡の謎 | 右岸だより

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 歳を取り、ヒマになりなり、昔やりたかったことを手掛けようと思っていますが、思うようにできません。そんな中で出来ることを探したり、出来るように工夫したりしてもがいている毎日を綴ってみたいと思っています。

吾妻鏡の謎 奥富敬之 吉川弘文館

 吾妻鏡を知る必要が出てきた。本物を読む能力も元気もない。そこで、吾妻鏡の名が付いている本のうちで最も薄いものを借り出してきた。

 こんなスタンスなので理解度は知れている。まず、鎌倉時代の行政記録だということが分かった。ほとんど毎日起きたことが書いてある。幕府内での動き、都から言ってきたこと、いくさ、事件、そして人事などだ。こんな内容なので書いたのもお役人さんなら、読者もお役人さんだったろうと想像される。ただし、相当長期にわたっているので作者は一人でないかもしれない。当時は印刷されたわけではないので回し読みされ、写本されて読者が広がった。写本のうちの一冊が徳川家康の手元にあり、愛読していたという。鎌倉時代はまだ京都とのつながりが強かったので、畏き方との付き合い方を探ったのではないかと思う。家康だけでなく、細かい政治事件、当時の生活を知るには大変有用な資料らしい。

 特定の期間や事件が抜けていたり、特定の人をほめたり、けなしたりしているのだそうだ。それを分析すると、誰かが何らかの意図をもって書いたことが分かるのだそうだ。歴史研究なんてそんなものだ。