ボブ・マーリー:ONE LOVE
ちょっとネタバレます。
映画の最初に、ボブ・マーリーの息子のジギー・マーリーが今作についてのビデオメッセージが流れました。
ボブ・マーリーと切っても切れない宗教的思想運動ラスタファリに付いてざっくり記しておきます。
1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動(宗教ではない)で、エチオピア帝国最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世をジャー(神)と呼び、アフリカ回帰運動の要素を持ち、ボブ・マーリーの曲の歌詞に「ジャー」の文言がよくでてくる。
上記を踏まえて、本編に移ります。
ボブ・マーリー(キングズリー・ベン・アディル)はジャマイカ人の母と白人の父の間に生まれ、両親はボブが生まれてすぐに別れた。
子供の頃、ボブは祖父達と離れ、父に引き取られるが、ボブを人に預け二度と返って来なかった。
その事がボブの心に深い傷となっていた。
ボブはその後母と再会し、家族の住む場所に戻るが、後に母と共にキングストン郊外のスラムに移る。
ボブは音楽を愛し、曲を作っては寂しさを埋めていたが、将来の妻となるリタ(ラシャ―ナ・リンチ)と知り合い、彼女の信仰するラスタファリ思想に傾倒していく。
ボブはバンド仲間と曲を売り込みに行き、一旦断られるものの、もう1曲歌い出すと、そこのオーナーは気に入りレコーディングするか?と聞く。
その後はライブを繰り返し、徐々に人気を得ていき、ジャマイカでNO.1ヒットを獲得する曲を皮切りに、若干30歳で国民的アーティストになっていく。
1959年ジャマイカはイギリス領西インド諸島連邦から独立したが、政情が安定せず、国は大混乱を極めていた。
1976年に2大政党の対立が激化して、ボブの人気を利用しようとする政治政党が彼を取り込もうとするが、彼は記者会見で応じない旨を話す。
会見を聞いていた2大政党と癒着するギャングは、ボブの発言に舌打ちをする。
ある晩、ボブ達バンドの練習後、リタが出かけようと車を動かすと、銃を持ち侵入してくる2人の不審者を発見し、彼女は撃たれてしまう。
銃声がして、ボブは何の音か気にしても、マネージャーのバン(アンソニー・ウェールズ)は何でもない様に言うが、ふと見ると銃を構える若い男と目が合ってしまい、動けないままボブとバンは撃たれてしまう。
軽傷だったボブはリタの元へ駆けつけ、救急車で3人は病院に搬送される。
リタはドレッドヘアのおかげで、一命をとり止め、バンは6か所撃たれる重傷で、ヘリで搬送されていった。
ボブはリタに付き添い、危険が去った訳ではないと言う仲間の声に反してコンサートを行う。
その時、彼は自分を撃ったあの若者の顔が浮かび、同時に火の海から逃げる幼い自分も浮かび、腕と胸のケガを観客見せつけその場を去り、国外に避難する。。。
面白かったです。
ですが、波乱万丈の彼の人生を、映画1本に無理やり収めているので、場面転換が多く、ジャマイカの時代背景やボブを取り巻く環境を詳しく描いていないので、なぜ?となる方も多いと思います。
当時の政治と癒着したギャング、邪魔なものは殺してしまえと言う風潮、巻き込まれたボブの立場等々、予習なしでただボブ・マーレーの曲が好きだからと観に行くとなんのこっちゃになるかもなので、そういう時は“そういうもの”と思って観た方が良いかと思います。
個人的にはボブ・マーリーの曲が流れて、とても懐かしかったし、彼の強いメッセージ性のある歌詞が改めて心にキました。
色々な人が彼の歌をカヴァーしていて、原曲と離れてしまった曲もありますが、有名なのはエリック・クラプトンがカヴァーした「アイ・ショット・ザ・シェリフ」で、当時の情勢を歌ったなかなかすごい歌詞です。
すごく久しぶりに聞いたら、頭の中でずっとサビの部分が流れてます
当時流行っていたパンクがとても過激で、レゲエは曲が緩やかなリズムだから過激な感じはあまりなかったのですが、今聞くととても過激だったと感じます。
映画でボブが「自分は革命者」と言っていたのがよくわかります。
中学の時の数少なかったロック少女仲間が、高校(かな?)の頃に突然レゲエにハマり、ボブ・マーリーを聞き出して、レゲエの魅力を語りだした時はめっちゃ引いた事を思い出します。
のちにレコード屋さんにいた時にレゲエキャンペーンがあって、店内にずっとレゲエを流していたので、徐々にいいじゃんって思うようになりました。
ボブ・マーリーが亡くなった時に、友達がすっごくショックを受けていて、当時はドラッグ死するミュージシャンが多かったので、秘かにドラッグだろうと思ってましたが、実はガンだったことを知って、先入観で勝手に決めてしまった事を大反省したのを覚えています。