読者の皆様、お久しぶりです。たまてつです。

 2022年夏に中国・四国・九州を回る一大旅行を行い、多くの未乗線区を片付けました。その様子を今日から1週間に1度のペースでYouTubeにupするので、是非ご覧ください。

 宣伝はここまでにして、8月28日の様子。

 

 まずは、5:25発の伯備線普通列車で方谷を目指しました。その理由は、サンライズ出雲とその後にやって来る国鉄色やくもなどを、有名お立ち台である方谷ー広信号場のポイントから撮影するためです。脳みそは完全に寝ていましたが、113系の窓を開けることにより、眠気覚ましに成功し、方谷に到着。方谷駅については特に調べてはいなかったが到着してびっくり、立派な木造駅舎が私を迎えてくれました。

 

立派な木造駅舎が現存している方谷駅

 

 私は、車を持ってはいませんので、撮影ポイントまでは30分歩いて到達しました。到着した時にはヘトヘト。明日の筋肉痛は確定です。ただ、同業の方も2~3人と非常に平和な空気で撮影でき、無事いい写真も撮ることができました。

 

381系国鉄色やくも 9号

 

 

 方谷駅に急いで戻り、12:26発の新見行に乗り込みました。車両は213系の2両。座席数が多いのは嬉しいが窓を開けられる雰囲気ではなかったので、汗が乾かず中々大変でした。

 そうこうしているうちに、終点新見。12:46着。ここから、JR西日本の大赤字ローカル線に突入します。

 トップバッターは芸備線。13:02発備後落合行に乗車。西日本ローカル安定のキハ120の単行×大量の18きっぱーという地獄の展開。もちろんボックスは埋まっており、ロングシートに座ることになりました。芸備線のこの区間は地域利用が死んでいるということが一目でわかるような駅が多かったですが、東城駅に関しては駅舎もしっかりとしたものが残っており、ここが最後の希望かなと感じました。

 ガラス越しの景色に飽きて少し寝ていると、次は終点の備後落合。18きっぱーの猛者たちが、木次線乗換のために列車の先頭に固まります。大垣ダッシュのような光景をここで見るのは少しげんなり。ともかく、備後落合に到着。駅舎自体は簡素な作りでしたが、三方向から集まる駅と言うこともあってか、2列車が同時に構内に瞬間は当時の賑わいを若干思い出させるような光景でした。

 

朝、昼、夜にそれぞれ接続がある備後落合駅

 

 2番目に乗車するのは木次線。これは、本音を言うと奥出雲おろち号で乗りたかった区間ですが、切符を入手できなかったのでキハ120の単行で走破します。木次線の魅力は何といっても、三段スイッチバック。これは、木次線の出雲坂根と豊肥本線の立野にしかない貴重なものです。YouTubeではほぼノーカットでスイッチバックを公開しますので、ぜひご覧ください。

 また、木次線では、本数が少ないにも関わらず列車交換の待ち合わせがあり、鉄路として生きているという感覚を持ちました。

 

出雲横田駅での交換シーン

 

 木次線で宍道まで行き、その後は山陰本線で出雲市に行き、ホテルに到着。長い一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回の急行津軽の話から時期は逆戻り、GW中の氷見線の旅について書いていく。私は、GW中に413系のラストランを撮影するために富山へ遠征していたのだが、その途中で氷見線に乗車、撮影した。

 まず、越中国分の海岸から撮影するために、高岡5時57分発氷見行523Dに乗車。15分程で到着。1面1線の簡素な駅だった。

            越中国分駅 @近くの踏切から

 

 駅から15分ほど、靴の中に砂が侵入するのを防ぎながら撮影地に到着。30分程滞在した。

 

高岡行522D

 

その後、雨晴隧道をくぐり、撮影地ガイドでもよく出てくる場所で何本か撮影。このあたりは、名撮影地がそれぞれ徒歩で到達できるからありがたい。

 

 

 

 そして、撮影地を巡りながら隣の雨晴駅に到着。ここでは、キハ40の離合を撮影した。JR西日本も新型の気動車を開発したようで、氷見線で国鉄型の離合が見られるのもいつまでかわからない。しかし、引退前というわけではなかったため、同業はおらず安心した。

 

朝の雨晴駅

 

離合を撮影後、氷見線に再び乗車し、終点氷見に到着。氷見では海鮮丼を食べ(高かった)、氷見から高岡まで乗り通して、無事終了。

 

乗り通し動画をupしたのでご覧ください

 

 

 

7月3日

 朝から緊急事態発生!まさかの寝坊である。この日は、草が生い茂っているとの噂はあったものの、後悔したくなかったため、白沢ー陣場(通称:シラジン)で撮影しようと考えていた。しかし、起きて時刻を確認すると7時40分。泊まっていたホテルから青森駅まで徒歩10分。乗車予定の電車は7時56分発。まさに「詰み」である。

 そこで、撮影地を石川駅から徒歩20分程の大仏公園俯瞰に定め、身支度を整えた。青森から大鰐温泉まで、特急課金をしてつがる2号に乗車した。「津軽」を撮るために「つがる」に乗るとは、中々妙な話である。大鰐温泉まで行った後、普通電車に乗り換え、石川駅に到着。そこから、汗だくになりながら歩くこと20分、ようやく大仏公園に到着。そこには、撮り鉄と思しき人から、「アジサイを撮りに来ていてそのついでに」といった人、子ども連れなど先客が計20名ほどいた。撮影場所では、弘南鉄道や特急つがるなどを撮影して時間を潰した後、お目当てを撮影した。

 

 

 撮影した後、すぐに青森駅に戻った。というのも、この日は上り急行津軽に乗車する日でもあったからである。

 

乗車記

 16時3分、大きなED75の警笛とともに、ゆっくりと動き出した。12系客車の窓が上窓しか開かないのが残念であったものの、かつて寝台特急・急行が多く走った線区に客車のボックスに揺られながら乗車できたのは非常に良かった。1駅停車するごとに流れるハイケンスのセレナーデ、現在では絶滅危惧種の折戸式のドア、青いモケットのボックス席、若者の私が国鉄を感じるには十分であった。また、臨時列車特有のノロノロ運転もあまりなく、「快走」と呼ぶにふさわしい走りを見せてくれて、感動した。

 そうこうしているうちに、19時33分、終点の秋田に着いた。このまま、上野駅13番線まで運んでほしい気持ちであったが、ここでお別れ。

 

次に旅客のED75を見る機会はいつになるだろうか。

 

↓↓↓ご覧ください↓↓↓

 

 

 

 

はじめまして。

YouTubeに動画を投稿している、たまてつです。

 

 ブログ初投稿の内容は、タイトルにもある通り、7月2日~3日に運行された急行津軽(ED75+12系5両)です。私は、7月3日の上りの指定席(進行方向窓側)を10時打ちで確保できたので、他の1.5往復を撮影に回し、最後に乗車という行程になりました。

 

7月2日

 深夜バスラフォーレ号で青森まで運ばれた後、鶴ヶ坂ー大釈迦のストレートで津軽を狙うため、鶴ヶ坂駅で下車し、線路沿いの道を歩くこと30分。撮影地には到着したものの、想像以上に草が伸びている。寝台特急あけぼの等の作例で確認した時とまるで状況が異なっている。しかしながら、今から移動してもロクなポイントが無いため、何とか草の被りが少ないアングルを探し撮影。

 

 その後、浪岡に移動し、駅の待合スペースで食事を摂った後、上りを狙う。この撮影地は、幸い草も伸びきっていなかったため、すっきりと写すことができた。余談ではあるが、上り急行津軽を待っている間に、貨物とカシオペア紀行の回送が下って行った。

 

 

 

この撮影終了後、青森へ戻り、味噌カレー牛乳ラーメンなるものを食した。名前だけ聞くとゲテモノ感漂うが、濃厚で非常に美味しかった。