吉水神社から程近く
勝手神社という神社をご存知でしょうか
吉野大峰山の鎮守社である吉野八大明神の一つで、かつては勝手明神と呼ばれていました
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創建は不明です
「日雄寺継統記」には孝安天皇6年(紀元前386年)とされています
袖振山
勝手神社の背後には小高い山があります
その山は袖振山といい、かつて大海山皇子が勝手大明神に戦勝を祈りつつ琴を奏でていたところ、背後の山からにわかに五色の雲が湧き、天女が舞い降り、衣の袖を振って舞を舞ったといわれています
これが吉兆となり皇子は戦に勝利し、天武天皇として飛鳥の浄御腹宮に即位しました
戦勝祈願と同時に天女の舞の故事から芸事とも深い関わりをもち、舞や猿楽などが盛んに奉納されるようになりました
舞塚の話
文治元年(1185年)雪の吉野山で源義経と涙ながらに別れた静御前は従者に金銀を奪われ山中を彷徨っているところを金峯山寺の僧兵に捕らえられ、勝手神社の社殿の前で舞い、荒法師たちを感嘆させたと伝えられています
二人静
吉野勝手明神では毎年正月7日の神事にふもとの菜摘から菜を摘んで神前に備える風習があります
それでこの年も例によって神職が女たちに菜を摘みにやらすと、一人の女が現れ「吉野に帰るならことづけてください。私の罪の深さを哀れんで、一日経を書いて弔ってください」と頼みました
「あなたのお名前は」と尋ねられると何も答えないで、夕風に吹き回された浮雲のように跡形もなく消えてしまいました
そんな不思議な体験をした菜摘女はそのことを神職に報告するのですが、女は話しているうちに顔つきが変わり、言葉つきも変わってきたので神職は「いかなる人がついているのか、名を名乗りなさい」と言うと「静である」と名乗りました
さては静御前の霊が菜摘女についていたことがわかり「それではねんごろに弔うので舞を見せて欲しい」と女に頼みます
すると女は精好織りの袴や秋の野の花づくしの水干など、みな静が勝手明神に収めた舞の衣装を宝蔵から取り出しました
女がその衣装を着けて舞を舞おうとするといつの間にか静の霊も現れて、一人の女が二人になって舞を舞うのでした
こちらの神社は平成13年9月27日に不審火で焼失してしまいましたが再建の動きがあり、先日6月18日に地鎮祭を行いました
こちらは別の日の地鎮祭前の勝手神社です
手水の周りには蝶がたくさん飛んでいました
静御前の舞塚
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現在は吉水神社に仮遷座されています
勝手神社
奈良県吉野郡吉野町吉野山2354
駐車場なし
近隣の駐車場を借りるのが良いと思います
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