魂の学び舎沖縄・カウンセリング
  • 20Sep
    • えぇーーー‼

      18日は、ブログ更新の日でした。ブログをかきあげ投稿しようとしたとき、PCの画面が真っ黒になりました。えぇーーー‼なに?カーソルやキーボードをあっちこっち押しても反応なし、焦りました。しばらくほっておくと、元に戻ったので、ほっとしたのもつかの間、文書は保存されてなく、復元も出来ませんでした。もう一度うちなおそうとしたら、また、直ぐに同じ現象が、画面は真っ黒に私の頭は真っ白でした。そして、私が思ったのは、9月のセミナーで教わったら、55の魂に響く言葉のひとつです。それは、明日はなんとかなると思う馬鹿者。今日ですら遅すぎるのだ。賢者はもう昨日済ましている。という言葉です。前もって書いて保存しておけばそんなことにはならなかったと反省した。私のブログを読んでいただいている方に感謝とお詫びを申し上げます。

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  • 08Sep
    • 自分をケアできる自分を創ろう

      最近、日本の各地で台風や地震の被害が相次いで起こっている。その状況を見ているととても心が痛む。そのたびに思い出すことがある。それは、ドクター・ヒューレンの講演会で、「日本は女性の怒りが強いそれが災害を引き起こす」というようなことを言われていたことである。男尊女卑の歴史が長くその中で女性が我慢を強いられて来た。まだまだ女性の怒りは収まっていないそれをケアしていく必要があるという意味だと私は解釈した。そして、いまだに日本の社会は男社会である。ある医科大学では、男子の受験生には加点して、女子の受験生は減点して合格者を決めていたという耳を疑うような信じられたいことが行われていたという。また、日本の女性管理職率はアジアの水準に比べ最も低い状況であり、日本女性の社会的地位は低いといえる。能力も人望もない人が男というだけで管理職に昇進する会社もあると聞く。家庭においては、共働きであっても家事や育児は女性がするものというのが当たり前となっていることが多いのではないだろうか。ドクター・ヒューレンが言われている、日本女性の怒りが強いというのは、決して日本女性の意識に問題があるということではなく、いまだに女性の我慢と忍耐と犠牲の上に成り立っている社会を見直さなければいけないということなのでなないだろうか。日本女性の怒りの強さが、本当に災害を引き起こしているのかどうかは、私はよくわからないが、もしそうだとしたら私たち女性が自分で自分をケアできる自分を創っていかなければならないと強く感じる。女性が自分で自分を愛し大切に扱うことができるようになることが大事なんたと思う。社会が悪いとか、男が悪いとか、社会を変えようとか、男を変えようとか思うより、、、、、。

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  • 28Aug
    • 母の元気な姿がうれしい

      母は、足を骨折してから自分で歩くことができず、施設にお世話になっているのだが、最近はアルツハイマーも進行し会いに行くと、他人を見るような目で見ることがあるが、今日は「あ~」という顔をして、嬉しそうに目を輝かせていた。沖縄民謡や踊りの動画を見せると少し前までは、一緒に歌ったり踊ったりしていたのだが、ここ最近は忘れたといって歌が出てこない。そして、すぐに眠ってしまい何度も起こして話をしていたのだが、今日は全く眠ることもなく動画に見入り歌を口ずさむ姿が見られた。そんな母の小さな変化をうれしいと感じる自分がいる。忘れられたと思うと、寂しいと感じる自分がいる。そんな自分をケアしつつどんな母も受け入れられるようにしていかなければと思う。

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  • 18Aug
    • 水木しげる展

      今日水木しげる展に行ってきた。ゲゲゲの鬼太郎や怪物くんは沖縄でも放映されていたのでよく知っているし、ゲゲゲの鬼太郎の歌が面白くてよく歌っていた。NHKで放映されたいたゲゲゲの女房も楽しく視聴させていただいたので少しは水木しげる氏を理解しているつもりでいた。今回水木しげる展に行くことで、いろんな漫画を描かれていたことを知ることができた。特に沖縄戦の漫画も描かれたいたことを初めて知った。そして、沖縄の妖怪も描かれ展示されたいたが、その中で私が知っているのは3つだけで沖縄にこんなにたくさんの妖怪がいること知り驚いた。ところどころに、名言集が展示されたいたが、その中で私の心に残った言葉が。「虫や植物の声は地球の声」という言葉だった。私が幼いころは、蛍がいっぱいいて夜になると光って飛ぶ蛍の舞が神秘的で幻想的でなんだか違う世界にいるような感じがした。しかし、ここ何十年も自分の地域で蛍を見たことがない(久米島では久米島蛍を見ることができる)私が中学生のころ、ヘリコプターで農薬を畑に散布することがあったが、そのころから蛍が少なくなっていったような気がする。そしてまた、夏の朝はうるさいほどの、セミの声に起こされていたのだが、ここ数年セミの鳴き声が減っている。木々の伐採が原因なのだろうか?きっと蛍やセミたちは「私たちの住処を奪わないで」と言っているのではないかと思う。虫たちの住処が奪われるということは自然破壊が行われたいるともいえるのではないだろうか。地球は、きっと「自然を破壊しないで」と言っているそんな気がする。

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  • 08Aug
    • 茅ヶ崎の夏合宿Ⅱ

      今までも。ワークをするのは「私」を育てるためといろんな場面で教わってきたし、分かっているつもりであった。しかし、自分の中でいつの間にか黒パターンを落ち着かせるために、黒パターンを小さくするためにワークをするということにすり替えていたような気がする。だから、前にケアしたパターンと同じパターンが出てくると、まだひっかている自分を責める。今回の合宿で、そこではないということに改めて気づかされた。「私」が大きく育っていれば、黒パターンが多少大きくても振り回されることはないということである。そして、語りかけをするときは、黒パターンをどうにかしようとするのではなく、「私」を育てることを意識して行うことが大事だということです。語りかけを作るときはその時の情景を思い浮かべるのではなく、その時に出てきた感情をもとにパターンの言い分を拾っていく。その時の情景を思い浮かべて作ると、あれがこう言ったああ言った、こうだった、ああだったとパターンがパターンをケアすることになる。「私」がきちんとパターンの言い分を聞いてあげることが大事ということである。実際に語りかけをするときは、体を使って、うたうように、流れるように、同じ集中力、同じやさしさ、同じ感覚、同じエネルギー、同じ空間、許し、同じモチベーションで語ること。そうすることで黒パターンに響かせていくということです。

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  • 28Jul
    • 茅ヶ崎の夏合宿

      26、27日に行われた茅ヶ崎の合宿に参加させていただきました。私は人見知りするところがあり、初めての所では緊張するところがあるのだが茅ヶ崎の皆さんが優しく受け入れて下さり緊張することもなく参加することができました。先生からは前もって、沖縄で学んだことと同じテーマになりますがすみませんというお話がありました。同じテーマであってもいつもと違う場所で、違う人たちと学ぶことで、新たな発見があり、より深く落とし込むことができ、自分の中に刻まれた感じがしました。茅ヶ崎の人たちはとても前向きで真摯に自分のパターンと向き合い、お互いのパターンに対しても真剣に取り組み、お互いの成長をサポートしあっているという感じがしました。沖縄の仲間たちが前向きではないという意味ではありません。私の中にボーっとしたところがあり、継続力に欠けるところがあるのですが、茅ヶ崎の仲間たちのひたむきさに触発され頑張る意欲が沸いてきました。一日目が終わって夜の女子会では、「学んだことを、きちんと自分のものにして次のセミナーに望む自分たちでできることは自分たちでやる」「相手に対して聞きたいことがあっても聞かないのは、愛がないからだと先生から指摘された」ということ。私は、愛がないというのは、相手に対してという意味かと思ったのですがそうではなく自分に対してだということ。そして、その日に学んだことを遅くからでも実践していること。とても心に響きました。茅ヶ崎の皆さんありがとうございました。合宿のテーマから何をより深く落とし込むことができたのかということですがそれは次に譲りたいと思います。台風の影響で沖縄に帰れるか心配しましたが無事に帰ってきました。

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  • 18Jul
    • 常識とは!?

      先日、知人と話しているとき「姪の子は自分の前を通るとき、どいて」というが甥の子のは「通してちょうだい」と言ったという。それを聞いて、衝撃的だった、今まで「どいて」というのが当たり前だと思っていたと。姪っ子は自分たちの習慣でしつけ、甥っ子の子はお嫁さんがしつけたからだろうと。それを聞いて目からうろこだった。常識は人それぞれ違うんだと思った。育った環境や習慣によって、あたりまえと思っていることが全然違うんだということに気づかされた。私は、子どもたちが自分に対して「どいて」と言うと「通してちょうだいというんだよ」と言っていた。しかし、そんな話をした後に自分を観察していると、子どもたちに対して、「どいて」、「どいてちょうだい」、「通してちょうだい」と言っている自分がいた。子どもに対してだから、状況に合わせて使い分けているのだと言えば聞こえはいいが、大人に対しては決して「どいて」などとは言わないだろうと思う。常識だというのであれば誰に対しても、同じような言葉遣いするべきたと反省させられた。そして、常識は人それぞれ違うものであり、人が作ったものであり、それをほかの人に当てはめようとするとそれはパターンになるのだと思う。

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  • 08Jul
    • みんな自分のカプセルの中で生きている。

      今回の沖縄のセミナーで先生が、一人ひとり自分のカプセルがあり、みんなその中で生きているとお話をされていました。だから、相手が言ったことも自分のカプセルの中で起こっていることであり、自分で変えることができるという事です。それは、けして相手の言葉をポジティブに受け止めようとか、自分の都合のいいように変化させたり、なかったことにしたりするという事ではありません。相手の言葉は、勝手に自分のカプセル(自分の世界)の中に入ってくるのではないと思います。自分のパターンに触れることによって自分の世界の中に入ってきてそこにとどまるのだと思います。パターンに触れることがなけれカプセルのそばを通り過ぎるだけかもしれないしたとえ入ってきても素通りするだけだと思う。ただ、カプセルは透明で見えないので自分の世界と相手の世界の境界線が分からずあれがああ言ったから、こう言ったからと相手のせいにし、自分の世界と相手の世界がごちゃ混ぜになって、自分の世界で起こっているだけだということに気づかないでいるのだと思う。それに気づくことによって、すべては自分の世界の中で起こっていることであり、自己責任だということを自覚することができるのではないだろうか。自分の世界の中で起こっていることであるならば自分で選び変え創造することができる。自分だけの世界だから自分で創造し、変化させていくことができるのだと思う。そう思うと、人の目を気にする必要もないし、人に気を遣う必要もないし、人のせいにする必要もないし、自分らしく自分の世界を創造し、なりたい自分を創造し生きていけばいいと思う。

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  • 28Jun
    • 物事を複雑にするのはパターン

      6月18日の洋子先生の『深刻にならなくていい』というブログで、深刻にするのはパターンだということが書かれていた。確かにそうだと思う。物事をあるがままに受け止めればいいだけなのだが、パターンはいろいろ思考し、物事を複雑にし深刻にしていく。自分の中にもそんなパターンがある。何かあると自分を悲劇のヒロインに仕立て上げようとするなぜそうするのだろうか、自分を憐れみいたわってもらおうとしているようだ。パターンで対処しようとすると、ますます複雑にますます深刻になり深みにはまっていく。物事をあるがままに受けとめれば何でもないことを大きな問題にしていくのだ。それは、だれが?他でもない自分の中にあるパターンがである。先生のブログの中では、人は生まれた次の日から死に向かって一日一日歩んでいるとある。そう捉えると、何か心が軽くる感じがする。そして一日一日真剣に生きなければと思う。深刻にではなく。なにかあった時は、「深刻にならなくていい」と自分に言ってあげよう。

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  • 18Jun
    • ワールドカップ

      6月14日にワールドカップが開幕した。運動神経ゼロの私は、スポーツは出来ないが見るのは好きだ。だからと言ってルールやメンバーのことをよく知っているわけでもない。ただ、見るのが好きと言うだけだ。今までは、日本の試合以外には関心がなく見ることもなかったのだが、今回は録画して他の国の試合も見ている。何故かというと、最近の日本の試合を見ていると、中々ゴールが決まらない。シュートの回数は対戦相手のチームより多いのに負けてしまう。どうしてだろう、他の国はどんな風にゴールを決めているのだろうという思いもあり他の国の試合まで見ている。私が見たからと言って、何の力にもならないのであるが(笑)私が印象に残っているのはいつの試合だったかは覚えていないが、コーナキックを受けた本田圭佑選手がヘディングシュートでゴールを決めたことだ。見事であった。心が震えた。今度の試合でも是非見事なゴールを期待したい。日本の選手の皆さん頑張ってください。

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  • 08Jun
    • 兄の死を悼む

      5月31日兄(次男)が満68歳でこの世を去りました。1年半前にすい臓癌が見つかり抗がん剤治療を続けておりました。癌が見つかってからも畑や養鶏をしておりましたが、今年の3月に余命2週間と言われ入院しておりました。余命2週間と言われて以降2カ月以上も頑張ってくれました。それから、私は兄の足もみをしに病院に通っていましたが、4月の末に風邪を引き兄にうつしてはいけないという思いから行くのを控えておりました。早く治して行かなければと思いながらも中々回復せず、明日は行こうと決めた日に兄は逝ってしまいました。危篤だと呼ばれ病院に行くと兄はもう意識はありませんでした。足を触ってみると、足の甲が浮腫んでいました。足もみをするとしばらくして浮腫みは取れていきました。でも、もう一度だけでもいいから元気な兄の足をもんであげたかった。兄もきっと心待ちにしていたに違いない。それを思うと悲しくて辛くてどうしてもっと早く風邪を治さなかったのだろうと自分を責めている自分がいます。兄は寂しがり屋で愛情表現の下手なところがありましたが愛情深い人でした。もう40年以上も前のことですっかり忘れていたのですが、高校卒業後本土就職をして夢破れ打ちひしがれていた私を、東京にいた兄が上野公園の桜を見せ動物園に連れて行ってくれました。そして、沖縄に帰る日も晴海港から船で2泊3日一緒に帰ってきてくれました。葬儀の日お坊さんから、「人は誰でも死ぬ、故人の死を自分の死と向き合うきっかけにしてもらいたい」「長い間一緒にいるといい思い出も、そうではない思い出もあると思うがそれを思い出し感謝してもらいたい」というお話がありました。自分の死について真剣に考えることはこれからの生き方を考える事にもなると思います。これから自分がどう生きるのか後悔しないように、やろうと思ったことを先延ばしせずに実行する。自分は病院嫌いで、薬を使わずに治そうという思いが強いところがある。兄が亡くなった次の日、頭が痛く風邪をぶり返しそうになったのですぐに病院に行き点滴をすることで良くなりました。それをきっかけに、今は一日越しに病院に行くことで長引いていた副鼻腔炎が快方に向かっている感じがする。兄はそういう事も私に気づかせてくれたのだと思う。葬儀屋さんから出された七七日忌の日程表に5月31日卒と書かれたいた。それを見て、この世から卒業すると捉えるんだなと思った。そう捉えると死は別の意味を持ってくる気がする。今日の先生の日記に神におみやげを持っていくと書いてありました。兄はどんなおみやげを持って行ったのだろうか。亡くなった日、主治医の先生から「医療用麻薬を使うと痛みを取り延命にもつながるが、兄はそれを望まなかった、かなりの痛さだと思うがずっとそれに耐えてきた、たとえ医療用であっても麻薬は使いたくないという強い意志が感じられた、それが本人の生き方だと思うのでそれを尊重した」と聞かされた。義姉から病気に対する愚痴や後悔の言葉を一言も言わなかったという事であった。いろんなことを教えてもらい気づかせてもらった兄に感謝です。そして、闘病生活を愛情深く支えてくれた義姉、子どもたち、孫たちに心から感謝します。また、葬儀に参列して下さった方々、日ごろお世話になった方々に感謝いたします。

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  • 28May
    • すべては自己責任

      カウンセリングを始めたころ「すべては自己責任」と言われると、全部自分が悪いの!?と苦しくなっていた気がする。自己責任とはすべて自分が悪いという事ではない。私たちは、腹が立ったり、悲しかったり、苦しかったり、イライラしたりなどの感情が出てきたとき、それを他人のせいにすることが多いと思います。「○○がこう言ったから」「○○がこうしたから」こんな感情が出てきたと思うことが多いでしょう。しかし、決してそれは自分以外の他人のせいではないのです。それは、自分の中にある何か(パターン)に引っかかっているからなのです。「○○に~~と言われたから傷ついた』と感じるのは自分の中のパターンが反応しているからなのです。そのパターンが相手に傷つけられたと感じるんです。それは相手の言い分を認め正しいと思っていることにもなるのです。相手の言い分に翻弄されているのは自分の人生を生きているとは言えません。自分がやっていることに自信がある場合は、他人から何を言われてもそれを相手の意見として受け止めることができると思います。あるいは、誰かに何か言われた場合自分のために言っていると思うと素直に受け止めることができるが、それが嫌味だと思うと反発すると思います。同じことを言われても自分の反応が違うのは、自分の中の何か(パターン)が反応しているからなのです。そんなふうに見ていくと「すべては自己責任」ということが分かってきます。それは、すべてをポジティブに受けとめられる心を創ろうと言っているのではありません。自分の中にあるパターンを知りケアすることですべてを受けとめられる自分、パターンで反応しない自分を創造していこうという事なのです。自分の人生を外側のものに翻弄されて生きていくのか、それとも自分のものとしてしっかり生きていくのか。それは自分次第「すべては自己責任」

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  • 18May
    • 花やから

      母の日に「花やから」の公演を母と妹と3人で見に行った。私の家族は、男6人女3人の9人家族であった。大人になってからは女だけでと言って3人で出かけることがある。「花やから」は、女の子たちだけのグループで、小学生くらいの小さな女の子から20代位の女性たちで構成されたいる。彼女たちは花のような笑顔で元気で自由にをテーマとしているようだ。そのテーマの通り、彼女たちは笑顔て歌い踊り見る人も笑顔にする。沖縄の伝統的な踊りや劇の中に近代的な発想を取り入れ、見ていて楽しく枠にとらわれない自由さを感じた。全ての踊り、歌、劇、終始笑いを誘った。特に小さい子が大人顔負けの掛け合いで繰り広げる寸劇は微笑ましく可愛らしく見ている人たちを魅了した。フィナーレは沖縄の恒例のカチャーシー、彼女たちは客席に降りて来て踊り観客と一体となった。特に高齢と思われる方々の処では身をかがめて話しかけ踊る姿が見られた。母の処にも何人か来て一緒に踊り記念撮影もした。母は歌が始まると一緒に歌い、カチャーシーも踊り嬉しそうにしていた。妹は動画を撮り、それを見て私が「あんた上手だね」と言うと「うん、私上手なのよ」と言うので2人で笑いなんだかさわやかな気持ちになった。「すごく楽しかったね、良い公演だったね、花やからの公演また行こうね」と話しながら帰路についた。

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  • 08May
    • 子どもたちと関わる中で

      大人に対しては、相手を尊重し受け入れ「私」として意識的に関われるようにしているつもりである。しかし、相手が子どもとなると大人として、教師として、教え導かなければならないというパターンが発動する。何故ならば、私の方が人生経験が長いし、私の方が正しいと信じているからだと思う。一人の男の子がゴールデンウイークでの体験を何度も繰り返し話していた。それを聞いていた女の子が「何回も○○、○○と言って同じことばかり言わないで」と強に口調で言っていた。それを聞いた、私は「そんなこと言ったら、○○さんが嫌な気持ちになるからねそんな言い方しないよ」と注意した。はたしてそれは、「私」としての対応だったのだろうか?私に注意された女の子は自分を否定されたと思っただろうし、何故注意されたのか理解できなかったかもしれない。ならば、どんな対応があったのだろうか?女の子に「何度も同じことを言ったらどうして嫌なの」と気持ちを聞くこともできただろう。そして、男の子の気持ちを聞くことも大事だっただろう。私は、男の子が嫌な気持ちになったと決めつけて女の子を注意している。もしかしたら、男の子は「あっ!そっか!」と軽く受け止めただけかもしれないのである。子どもに関わるとき、つい常識とか、こうあるべきという枠にあてはめよとする。だからこそ、「私」として関わっているかよく自分を見ていかなければならない。前のブログでも「私」として関われる自分を創造していきたいと述べたが、どんな時でも自分をよく観察していかなければならないと強く感じた。

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  • 28Apr
    • 4歳児Ⅱ

      以前のブログで、私は園に弁当を持参していること書いた。5歳児はそれを見て「インチキ」と言っていたのだが、4歳児は誰一人「インチキ」と言う子はいない。ただ、「これな~に」と弁当のおかずの名前を聞いてくる。みそ汁は中が見えないので「みせて~」と言ってくる。卵が入っていると「○○も卵好きだよ」というものの「自分もたべたい」という子もいない。あるがままをそのまま受け止めてる。そこにパターンは存在しない。パターンはまわりの大人や自分の体験によって刷り込まれていくのであるが、4歳児はまだまだ刷り込みが少ないという事なのだろう。実に面白い4歳。自由な4歳。遊びもおもいおもいにやりたいことをやっていく。見ていてワクワクする。

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  • 18Apr
    • 4歳児

      昨年は5歳児を担当していたが、今年は4歳児を担当することになった。1歳でこんなに違うものかというのが正直な感想である。部屋にいないので探していると、隣のクラスで遊んでいる子がいる。まず、5歳児では入園当初であっても他のクラスに入って遊ぶ子はいない。名前を呼んでも返事がない、いないのかと思えばすぐそばで遊んでいる。自分がやっていることに夢中で人の声は耳に入らないようである。私が見ている子は遊びに飽きてくるとすぐに外に飛び出し門の方へと走っていく。ちょっと目を離したすきに飛び出していくのでヒヤッとさせられる。私は、「おうちに帰りたい。お母さんに会いたい」と泣く子に「そうだね、おうち帰りたいよね、お母さんに会いたいよね」と声掛けしながら抱っこして部屋へ連れていく。(体も小さいので、5歳児でそうはいかない)しかし、それは本当にその子を受入れていることになっているのだろうか?パターンで自分の言いなりにしようとしているのではないだろうか?宇宙人のような4歳児たちに「私」として関われる自分をどれだけ創造していけるのか。そして、「私」として関わることでこの子たちがどのように成長していくのか。この一年間が楽しみである。

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  • 08Apr
    • 不安はパターンが生みだすもの

      今までに体験したことのないものを受入れるのに不安を感じる自分がいる。それに突き動かされて、それがどんなものかインターネットで調べたり詳しく知っていると思われる人から情報を集める。そして、ますます不安は助長され、高まっていくそしてついそれを口にしてしまう自分がいる。その反面、自分の中にそんなことに動ぜず落ち着いているもう一人の自分がいる。穏やかで静かで大丈夫だと確信しているかのようである。実際に体験してみるとそんなに不安がることは無かった。情報は、今から起こるであろうことに細心の注意をはらって対処するために必要な事である。しかし、不安につき動かされてパターンで集めた情報はますます不安の材料になっていく。それに心を乱され騒ぐのは、パターンに飲み込まれ翻弄されているからである。どんな時でも、「私」として選択し行動していける自分を築き上げていかなければならない。パターンが出てきたら口にする前に語りかけをする。そして選択し実践する。あらためて、そんなことを感じさせられました。

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  • 28Mar
    • 子どもたちの成長と力

      7月のブログで子どもたちが自分の正しさを主張しぶつかり合うことに触れたが、卒園するころにはこんなにも成長するんだと感動させられた。ある女の子が「Aさんが決めたことを聞かない」と訴えてきた。よくよく話を聞いてみると、二人で遊んでいるところにAさんが仲間に入れてと来たので二人でAさんの役を決めたが聞かないとう事のようである。「それなら聞かないのはしようがないよ」と私のパターンが出てきたが、それは置いておいて、「ふーんそうなんだ」こたえた。Aさんにも話を聞き、お互いになにが嫌だったのか気持ちを開示してもらい、「じやぁどうしたらいいのかな」と声掛けし様子を見ることにした。すると3人はお互いに自分の言いたいことを強い口調で主張しあったが、自分の言いたいことを言い終わると相手が嫌だと言っていた気持ちを受け止め理解し「○○でごめんね」「自分も○○でごめんね」とお互いを思いやる言葉が出てきて仲良く遊び始めた。7月ごろはいつまでもお互いの正しさを主張し譲ることなく平行線であったが、今では自分たちで問題を解決していく姿に子どもたちの成長と力を感じ感動させられました。子どもって1年でこんなにも成長するもんなんだなと学ばせてもらいました。

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  • 18Mar
    • ドラマを見て‼

      以前はドラマを見て泣くことがよくあった。でも最近は、そういうことはほとんどなくなっている。それは、ドラマを冷ややかに見ているとか、感動しなくなったとかいう事ではない。どういう事かというと、今まではドラマの登場人物に感情移入し、自分のパターンと共鳴するところがあると、涙を流していた気がする。しかし、今はその人の思いや、悲しみや、辛さや、喜びに思いをはせ共感し受けとめつつも分離感を持ってドラマを見ており、自分のパターンに触れる事が少なくなっているのだと思う。ところが、あるドラマで、お母さんから電話が入りそれを取らない男性が、パートナーに「どうして出ないの」と聞かれ「これ以上傷つけられたくない」と答えるシーンを見て、いきなり涙があふれ出しとめどなく流れた。「えぇっ!」「なぜ!?」「お母さんにこれ以上傷つけられたくない」という言葉に私のインナーチャイルドが反応したようである。「でも、なぜ!?」母に反発していた頃もあったものの、大人になるにつれ母の優しさや、温かさや、偉大さを感じることが多く尊敬のまなざしで母を見るようになっていた。だから、母親にこれ以上傷つけられたくないという言葉に反応する自分に戸惑った。でも、涙を流している幼いころの自分がまだいたことにも気づかされた。そういえば、最近料理をしながら母が言っていたことをよく思い出していた。それは、「あとうさちなち」という言葉である。どういう意味かというと要するに「先にやるべきことを後回しにして、要領が悪い」という事である。何故その言葉を思い出すかというと、料理をしていて確かに自分が要領が悪いと感じることが多々あり、母の言っていた通りだなぁと思っている自分がいるからである。それがパターンであることに気づきケアしていれば、もしかしたらインナーチャイルドが登場し、泣き出すことはなかったのかもしれない。ところが、要領の悪い自分を母の言う通りだと責めているから、インナーチャイルドが「自分はその言葉で傷ついていたんだよ」「なぜ、分かってくれないの?なぜ、気付いてくれないの?」「なぜ、ケアしてくれないの?ちゃんとよく自分を見てよ」と訴えてきたのだと思った。

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  • 08Mar
    • おわかれ遠足

      今日はおわかれ遠足でした。早朝、雨が降っていたものの園に着くころには、雨もやみ空も明るくなってきたので、このまま雨が降らないことを祈ってチャーターしたバスに乗り込んで、おきなわこどもの国へと出発した。バスの中では歌やなぞなぞをしながらわいわいがやがや楽しく過ごした。現地に着くとあめは降っていなかった。良かったと思った。荷物を置いて、動物園に出発しようとしたころから雨が降り出した。子どもたちも、みんなかっぱを着て動物園へと出発。歩いている間だんだんと雨脚は強くなり、風も強く雨はよこなぐりに降ってきた。それでも子どもたちは、いろんな動物たちを見て楽しんでおり雨なんて気にする様子もない。歩いていると、他の園の子どもたちとすれ違ったがみんな楽しそうであった。沖縄こどもの国は以前に比べると園内がきれいに整備され、テントや屋根のついた場所が設置され、雨の日でも暑い日でもそこにシートを敷いて弁当を食べたり、遊んだりできるようなスペースがあり来園者が利用しやすいようになっていた。おきなわこどもの国には150種類の動物たちがいるそうである。キリンの角は2本だと思っていたが5本あることを今日初めて知りました。ワンダーミュージアムは触れて体験し遊びを創造していける施設で、大人でも充分楽しめる。もう一度行って見たいと思った。帰りの階段がとても長く、日ごろの運動不足がたたって足は、がくがく上がるのがやっと。子どもたちに「頑張れ、頑張れ」と言いながら自分の方が立ち止まりそうになる状態でした。そばにはエスカレータがあり「あぁ~乗りたい」と思ったが、子どもたちの手前乗るわけにはいかない(笑)それにしても、遠足の日は晴れて欲しいと思うのは、雨の日は楽しめないというパターンから出て来ているのだと子どもたちの様子を見て感じさせられました。それでもやっぱり、遠足の日は晴れている方がいいと感じる自分がいました(笑)

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