未だに何故か信じられないのだが、最後の夜になった。


この部屋ともお別れである。


最後は見ての通り、1人で6人部屋を使うという贅沢をさせて貰って、終わり良ければ全て良しという所だろうか。


昼間は相変わらず暇だったので、保険感覚の連絡をしたり、音楽聴きながら読書してみたり、アマプラで映画を見たりと最後の時間を優雅に過ごさせて貰った。


不思議な事に病棟Wi-Fiは弱くて、スマホだといつの間にか切れていて、あっという間に月契約の通信量の7ギガ使い切ってしまったけど、ノーパソは逃げ場が無いからか切れないので、アマプラの映画を楽しめた。


入院中に7〜8本は観たかな、途中で眠くなってしまって、なんか中途半端に観てたのもあったけど、かなり楽しめた。


もう、しばらく入院は怖いから嫌だけど、またお世話になる時は使えるなと思った。


最後なんで入院生活に総じて感想を言わせて貰えるなら、まさに「天国と地獄」だったなと。


地獄部分は大きく二つ、手術と怠惰。


単純に身体に何かされる(つまり手術)のは、本当に無い方が良い。


手術を受けるのは、3度目だが、毎回苦痛と恥辱にまみれて過ごす。


余程のど変態でも無い限り、尿道カテーテルは苦痛以外の何者でも無いはずだ。


麻酔明けのぼろぼろになった感じも、何回やっても好きになれない。


そして「怠惰」。


何でもやってくれるのはありがたいけど、何にもしなくなるのは本当に怖い事なんだと実感してる。


おまけに外出に厳しい制限かけてたせいで、動かないもんだから、身体の鈍り具合が恐ろしいレベルになってしまった。


数日前にあんまりにも退化しているので、階段昇降

やってみたら、怪我レベルの筋肉痛になって、明日退院だと言うのに、歩くのがきつい。


精神的にも気をつけないと依存性が根付いてしまうのでは無いかと怖くなった。


天国部分はその裏返しみたいになってしまうが、治療と癒しである。


なんだかんだ言っても、悪かったものを改善はしてくれた筈なので、きっと倒れる寸前の自分を救ってくれたと思いたい。


まぁ、そう思わないと元気な状態から身体障害者に変えられた意味が見出せない。


そして、天使(看護師)の存在は大きい癒しになった。


男性も女性も若い人が多いのだが、皆本当に感心してしまうほど、献身的な看護している。


これまで記事で何度か書いてきたが、老人達は見ていると、自分で何にも出来ない悔しさを、どういうわけか彼らに平気でぶつける。


出来ないのは自分が悪いからなのに、平気で文句言っているのを見ると、横から「うるさいんだよジジイ!自分でやれ!」と怒鳴りつけたい願望に何度襲われたことか。


そんな理不尽な文句にも「ごめんなさいね、痛くて辛いんだよね。」と優しく応対するのをみて、この人達は怒るってことは絶対しないんだよなと感心した。


彼らの聖人君子ぶりには本当に心洗われる思いをいっぱいしたのだが、感謝の言葉ってそれほど伝えられなかった。


明日は沢山ありがとうと言って、ここを出ていきたい。


なんか腹膜炎とか起こして、またすぐ帰ってきそうな気もするけど、本当にお世話になりました。