本文:

冉求(ぜんきゅう)曰く、

子の道を説(よろ)こばざるには非(あら)ず。

力足らざるなり。

子曰く、

力足らざる者は中道にして廃す。

今、女(なんじ)画(かぎ)れり。

 

大先生訳:

冉求が言った、

「先生の教えがありがたくないわけではありません。

私の力が足りないだけなのです。」

先生はこう諭した。

「力不足の者は、中途でやめてしまう。

今、お前は初めから力不足で私の考えを実行できないと

限定してしまっている。」

 

塾長解釈:

頭の善し悪しと成功は必ずしも結びつかない。

 

その道の達人と言われている人は言っている。

「最初は弟子の中で一番不器用だった。

私より器用で上手な人がたくさんいたが、

コツコツと精進していたから今の自分がいる。」

 

「継続は力なり」とも言われています。

これも継続できる力があったから出来るのでしょうね。

頭の違いではなく、頭の強さですね。

 

教室において、生徒の発言での注意点では

自分から「力が足りないから、頭が悪いから出来ない。」

と言う言葉です。

 

自分の力を見限ってしまえば楽だから、

そういう場合が危険です。

もうその問題で悩まずに今この場から逃げてしまう。

 

それでは社会人になったときには問題社員になってしまう。

「まずはやってみなはれ!

出来ないときには一緒に考えよう。」

そんな感じで学習に取り組む姿勢を作ります。

 

伸びる生徒は見切り上手です。

難しいが出来そうな問題はじっくり腰を据えて取り組みます。

手がつきそうもない問題は、とりあえずヒントを探し、

それでも分からなければ解説を見て進めます。

全く出来ない問題に時間をかけません。

そうするうちに出来る幅が広がっていきます。

出来なかった問題も、気がつけば出来てしまっている。

 

これを自分学生時代の自分に当てはめると、全くの反対でした。

とにかく諦めが早い。

やれないことの言い訳ばかり。

楽しいこと優先。(身の回りには誘惑が一杯有りました)

 

それだもの・・・・。

ゼミの教授には心配ばかりかけていました。

しかし、就職してから一度電話をかけたことがあり

そのときは、どうにかやっていることを大変喜んでくれました。

出来ない学生ほど記憶に残っているのですね。

高校の担任も然り。

よほど学力不足だったのでしょう。

 

それでもどうにか現在までやってこれたのは、

あまり無理をしない、いい加減な性格のおかげです。

植木等の「無責任男」ではありませんが、

「ま、いいか男」です。

 

人は皆それぞれの強さがあります。

自分の強さを考えてみるのも、この時代必要かと思います。

あまり自分や周りのの欠点ばかり見ていると、暗~くなってしまいますよ。

{さ~いっちょやって見ようか~」