母ちゃんとベルーナ


母ちゃんが倒れて約1年と4ヶ月経ち、今日母ちゃん宛にベルーナのレディース総合カタログ 夏号が届きました。
昔、私がベルーナで注文した事で季節毎に定期的に届けてくれるカタログです。

母ちゃんは、ベルーナのカタログを見るのが大好きでした。
カタログが届くと寝床に持ち込み布団の上で夜遅くまで隅々まで見ていました。
若かりし昔に戻り、新しい服や靴、小物を身に着け出かける事を空想していたのかも知れません。
カタログが届いたその日は、母ちゃんの部屋には遅くまで灯りが付いていました。

いつもカタログを見ている母ちゃんに、買いたい物が有ったら注文しようかと言うと、ページを開き靴を指差し、「これ母ちゃんに合うかな?履いてみなくても大丈夫かな?」と言いました。
「ちゃんとしたメーカー品で規格が有り大丈夫」と言うと安心し、履いてみたいと言うので私が電話注文する事になりました。

一週間程で段ボール箱に梱包されて母ちゃんの靴が届きました。
すぐに箱を開けて早速履いてみるとサイズもピッタリで履き心地も柔らかく、とても気に入ってくれました。
母ちゃんは新しい靴の事を「ベルーナ」とよんでいました。

膝が痛くてあまり歩かない母ちゃんでしたが、新しい靴が届いたのが嬉しいのか、「母ちゃんこのベルーナで山道歩けるかな。山に行ってみたい。山栗を拾うてみたい」と言うので、久しぶりに山に遊びに連れて行く事にしました。


山に着くと山育ちの母ちゃんは、膝が痛いのを忘れたかの様に山道をどんどん歩いて行きました。
時々立ち止まり緑濃い木の葉を見上げていました。
木の葉を通して陽の光がユラユラ揺れています。
とても良い木の香が漂っていました。


母ちゃんは、自生の山栗を10粒程拾う事が出来、私に見せてくれました。
とても満足し、手のひらで大事に包んでポケットに入れ持ち帰りました。

母ちゃんは帰り間際、暫く周りの木々を見上げていました。
新しい靴で山を歩けた事が嬉しかったようです。
疲れたのか車の中ではずっと寝ていました。

家に帰ると母ちゃんは、履いていた靴、ベルーナを包み紙で包み靴が入っていた箱に大事にしまってしまいました。
「せっかく買った靴なのにどうしたん」と問うと「もったいない。よそ行きじゃ。」と言いました。

結局、それ以後履くこと無く、2ヶ月後に倒れてしまいました。
母ちゃんが箱に入れたまま、お気に入りのベルーナは約1年と4ヶ月経ち、カタログが届いた事で思い出し、箱から出してみました。
箱から出した靴は少しカビが生えて白っぽくなっていました。

今は歩けなくなり、食べる事も出来なくなり寝たきりの母ちゃん。
もう一度、緑濃い山道を歩いてみたかったでしょう。
ふる里の野山を歩いてみたかったでしょう。

何時の日か母ちゃんが再びベルーナの靴を履いて元気に山道を歩く事があるようにそっと元の箱に戻しておきました。


以上です。