母ちゃんが見たキノコ雲  その2 


母ちゃんが見たキノコ雲の下では沢山の一般市民が一瞬にして亡くなりました。
その時命が助かった人もその後数年経って放射線の影響を受け病気になり多くの方が亡くなったとの事です。

原爆ドームの対岸の一角に「原爆の子の像」があります。原爆で亡くなった全ての子供を慰める為の慰霊碑です。
原爆放射線により亡くなった佐々木禎子さんの同級生達がその死を悲しみ、中心になり募金活動し完成させた像です。
佐々木禎子さんは 2才の時に被爆し、黒い雨を浴び、それでも元気に暮らしていましたが放射線による白血病により10年後に亡くなりました。
当時は白血病の治療方が無く、亡くなる寸前まで病気平癒を願い、薬の包紙などで鶴を折っていたとの事です。
佐々木禎子さんの折った包紙の小さな鶴は非核平和の象徴となっています。

原爆に遭わなかったら80歳のお婆さん。
まだまだ元気に暮らしていた事でしょう。
そっと手を合わせました。

原爆の子の像全景です。
修学旅行の生徒達より沢山の千羽鶴が奉納されています。

子供達の像が取り付けられています。

釣り鐘と大きな折り鶴が飾られています。

床面の碑文です。


折り鶴を持つ少女は佐々木禎子さんでしょう。
平和記念資料館には佐々木禎子の短い生涯を伝える資料が写真と共に展示されています。
お棺に入った姿は涙を誘います。

平和記念資料館に展示されている佐々木禎子さんの折り鶴です。
薬の包紙などで折られた小さな小さな折り鶴です。



やすらかにお眠りください。

おわり