一言にチベットといっても、第一の都市ラサと郊外とではまるで別の国のような違いがあります。
ラサにはデパートもあり、ビルやマンションもあり、車もたくさん走っており、大都会です。
漢民族の流入が多く、マンションも建設ラッシュなのだそうです。
郊外の町はいわゆる昔ながらの町並みがあり、道には牛が歩いているのんびりした町です。
道路工事中だったり。
何十km走ったら、集落的な村がポツポツあるといった感じ。
外国人が立ち入れない村もたくさんあり…。路線バスもないのでヒッチハイクで行くしかないそうです。
ラサのような変化を見て
「もはや昔訪れた古き良きチベットではない」
と嘆かれる人もいらっしゃいますが、それは日本も同じことで・・・。
じゃあ、このグローバル化の波をとどめることができるかということは無理な話です。
遊牧民もお坊さんもスマホ
を持ってます![]()
ラサ市民のガイドさんは、買い物はほとんどネットで買うと言ってました![]()
たとえチベット民族としての文化や伝統が薄れていったとしても、それを憂えたとしても、それを押し留めることは至難の業です。
自分たちは電気や石油をふんだんに使う便利な生活をしておきながら、他の民族には昔ながらの生活がいいなどと言える義理はないです。
それは先進国の都合のいい理論。
今までの大陸の3,000年の歴史を振り返って、多数の民族が何百、何千と出てきては消えていきました。栄枯盛衰の理です。
それはチベット民族やヤマト民族にも言えます。
そこに同情の余地はありません。
遊牧民が、遊牧を辞めて定住する傾向はチベット以外でも起こっているようです。
5年前に行ったモンゴルでも首都ウランバートルに遊牧民が流入してマンションの建設ラッシュでした。
ドバイでも遊牧民が都市に集まってきていると聞きました。
遊牧民が遊牧を辞めたら、何かそれまで循環していたものが途切れるような感触があります。
木こりが居なくなって里山が荒れるような?そんな感覚です。
とはいえ、この流れもどうしようもありません。
話は変わりますが、アモラ・クァン・インの「プレアデス 人類と惑星の物語」には、地球に人類が来るまでの話が書かれています。
どこの星でも同じように、栄えて乱れて自己浄化して…の繰り返しです。
地球も大いなる実験場です。
それをみると人間は愚行を繰り返す生き物のようにみえます。
ですが、その営みの中で何かを得る。
自分の未来は自分で決めるこの法則の中で、自己を他者に明け渡さず生きていくことをこの巨大な実験場で命ある限りやっていきたいです。






