意識は習慣化すると無意識になる。
チベットの人たちは、いつも祈っています。
いつも数珠を片手に持って、暇さえあれば回しています。
私たちが暇さえあればスマホを見るように。
何に祈っているかというと、自分のためではなく「生きとし生けるものすべてのため」です。
これが一神教と違うところ。
異教徒であっても、彼らのためにも祈るのです。
旅行、特に海外旅行に行っていて、帰りが近くなると
「ああ、また現実に戻る〜」
と憂鬱になることがありませんか?
非日常は夢のように感じますよね。
しかし、その環境で生きている人たちから見たら、訪問者である私たちの方が夢の国から来た人間のように思うかもしれません。
常識も幻想でしかないように、現実も私たちが創り出している幻想。
意識しないと崩れ去ります。
どっちが現実なのでしょうか?
何を現実にしたいですか?
何を現実にするかは自分次第です。