オウム真理教の教団活動を停止して名前だけの在家信徒になってから、間もなく2年になろうとしていたが、事態は一向に進展してはいなかった。

 ところが 1991年 9月28日( 27日の深夜)

 何気なくテレビを見ていた所、突然


「今日、麻原彰晃が来ます!」


というセリフが耳に入った。番組のタイトルは


〝  朝まで生テレビ「激論!宗教と若者 」〞


 朝まで生テレビ放送前の番宣予告で、司会の田原総一郎 氏がそう言ったのであった。


 開始時間まで数分しかない!私(筆者)は大急ぎでビデオ録画の準備をして、番組の開始から終了まで録画できるモードで録画ボタンを押し、何とか開始時刻に間に合わせた。

 なぜそうしたのかというと、ただ1つの関心事の証拠を残して検証するためである。その関心事とは

 坂本弁護士一家(当時は)失踪事件に関して、どのような質問や追及がなされ、それに対して教団側がどのような回答をするか、またその時の態度や表情などはどうか?

ということである。

 録画は問題なくできている。さあどうなるか?


 と思って見ていたが、何と!一切、ただの一言も、このことについて触れることなく番組が最後まで・・・・終わってしまったのである!

 どういうことか?私(筆者)は少し混乱した。


※疑惑は晴れたのか?それならば問題なくテレビ出演できたのもうなずける。しかし、疑惑が晴れていないまま出演させているとしたら、何もそのことに触れないのは明らかにおかしい。

 どちらなのかは、これだけではわからないではないか!

と思ったのだが、このようにも考えた。

※テレビ局は会社である。私(筆者)は個人であるから調査能力には限界があるが、会社組織ならばそれなりの調査をした上で、問題なしと判断したのでオウム真理教を出演させたのではないか?



 とにかくこの番組は全国的に放送された。



ということはこれを見ていた大半の人は、疑惑が晴れたので出演させてもらえたのだろう、と思ったことは充分想定できる。




・・・読者の方々に確認しておきたい。

 今さら言うまでもなく、坂本弁護士一家殺害事件の犯人はオウム真理教である。日時は1989年11月 4日明け方(午前 3時ごろ)だった。

 即ちこの番組は、殺人犯をゲストとして出演させ数時間もの間、疑惑のあった事件への質問や追及を一切しないで自己PRさせてあげていたのである。

 これを機にオウム真理教は知名度を飛躍的に向上させ、信者数を大幅に増大させて発展していったのだ。




 その時まで事件への関与の疑惑を懸念して教団活動を停止していた私(筆者)にとっては、この番組で教団が疑惑を追及されなかったことは、活動を再開する根拠にはなり得ると思った。しかしすぐには再開しなかった。

 たった一度の放送では偶然ということもある。即ち運良く見逃してもらえていた場合も考えられなくもないからである。

 しかしその後も

 とんねるずの生ダラ「麻原彰晃の青春人生相談」

 たけしのTVタックル「祈りの丘」


 などに生放送で出演し、朝まで生テレビの時と同様に坂本弁護士一家殺害事件(当時は失踪事件)についての疑惑は一切追及されることはなかった。


 これもじかに(生放送で)見ていた私(筆者)はとうとう騙され、完全に間違っていたのだが喜んだ。

「ああ良かった!これで疑いは晴れた。もしまだ疑惑が残っていたらこのような扱いでテレビにゲスト出演させてもらえる訳がない!」


という間違った確信をいだいたのである。


 ついに私(筆者)は停止していた教団活動を再開させた。さらにはそれまで停止していた分を取り戻すぐらいの勢いで活動したのである。



 その結果、私(筆者)はそれまで勤めていた会社をやめ、教団に出家するための見習い信徒(マハーポーシャ信徒)の生活に入ることになった。

 上述の〝朝まで生テレビ「激論!宗教と若者」〞を録画したビデオテープは、会社を去る時に仲の良かった先輩社員にプレゼントした。その意味は、


〝 坂本弁護士一家殺害事件(当時は失踪事件)には教団は無関係である証拠 


として渡した訳であるが、その後数年のうちに


〝 殺人犯をゲスト扱いし、テレビの生放送で自己PRさせた証拠 

 と成り果ててしまったことになる。そのテレビ局が犯した暴挙とも言えるやり方の責任を、これまでにいったい誰がとったであろうか?

 私(筆者)は当然だがこのことを生涯忘れることはない。またこのことを追及することも、その責任が果たされるまで生涯やめるつもりはない。






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