本当にこれでもかと言いたくなるくらい、オウム真理教は手段を尽くして洗脳活動・洗脳教育をしていたが、歌による洗脳もその一つである。 


 教団活動を停止してから 1年以上が経過したが、状況は変わらなかった。事件への関与の疑惑は変わっていないはずだったが、情報が極端に少なくなった。

 そんな中、教団主催のイベントがどうしても気になり、在家信徒としてではなく観客として参加できることを知り、一般客に紛れて見に行った。それが、


音楽劇 死と転生(てんしょう)            (1991年 4月頃)

アニメ&ダンスオペレッタ 創世記 (1991年 8月頃)


の2つだった。

より強く印象に残ったのは「死と転生」の方だ。

 
 人の魂が死後輪廻転生する(と言われている)天界、阿修羅界、人間界、餓鬼界、動物界、地獄界それぞれに対して、その様子を表現する歌が作られ、信者達の踊り(舞踊)で転生を俯瞰(ふかん)するようなものだった(あくまでも想像上の話である)。



 今回はお金だけの者は餓鬼界に落ちると脅しをかけ、教団にお布施をすることが功徳となり、カルマを落とさせ、餓鬼界への転生を防いでくれるのだ。と錯覚させる歌として、村井秀夫(故人:  末尾にリンク有り)が歌っていた「貪りの苦しみ」を紹介する。(まだ僅かだが youtube にも残っている)


 歌としては傑作だと私(筆者)は思うが、決して本当だとは思わないようにして頂きたい。餓鬼界も地獄界も天界もすべては人の作った喩え話に過ぎないのだ。

 まさかとは思うが、教団にお布施しても地獄や餓鬼に転生しないで済む、などということはないので思い違いの無いように願いたい。

 
 
                         「貪りの苦しみ」       歌: 村井秀夫

人はどうでもいい 他人はどうでもいい 悲しみ超えて 
 苦しみ超えて 私は集めた 財産

 俺の苦労誰にわかるか 俺の楽しみはこれしかないんだ 
 お金だけが味方なんだ

 欲張りだった 過ちだった 心次第ですべては決まる

 物はどうでもいい お金はどうでもいい 
 悲しみ一杯苦しみ一杯 餓鬼の世界は 苦しい

 
 食べようリンゴ 石リンゴ 甘いケーキ 胃が燃える
 この世界すべて皆私の苦しみ ジュースだ石油だ黒こげ 
 缶詰バクダンばらばら

 
 財施極限カルマ落ちたよ
 私は天界楽しいよ 財施の極限素晴らしい 
 あなたも真理をおこなって 私と天界ゆきましょう

 天界すべてが快楽だ お金のカルマを断ち切って 
 貪り超越するならば あなたも私も天界だ

 正しい見解培って すべてに施しなすならば 
 プレータ世界を脱出し 長命歓喜の天界だ

 現世の観念断ち切って すべては功徳の現れと 
 功徳の理法に精通し 天での自由と幸福を


 これはおいらのものだ これは私のものだ すべて私のものだ

 これはおいらのものだ これは私のものだ 
 見えない世界知らない世界 私は知らない

 無明救済 真理の伝播(でんぱ) 真理だけが すべて果たす

 おいら餓鬼の世界へ 落ちてしまったけれど 
 あなたはきっと功徳を積んで 天へと至り 歓喜を 




 この歌をいつ歌うか? 忙しくてストレスがたまった時、


これはーおいらのものだ これは私のもーのーだ 

〝すべて私のものだ!〞


にタイミングを合わせて、一斉に笑うということが多かった。
 実際それぐらいに捉えていいと思う。


 またどうしても他の歌にも興味があるという人は、すべて空想上のものであると確認して頂いた上でなら、オウム真理教の価値観を知る参考にはなるかも知れない。〝音楽劇 死と転生〞で紹介された楽曲の主なものは、

オウムソング

                              さまよえるバルド
 
                              エンマの数え歌

                              戯忘の悲哀

                              無明 意識堕落天

                              人間転生

                              貪りの苦しみ

                              哀しみの動物世界

                              地獄

                              救済の構図 part 1   色究竟天から救済へ

                              救済の構図 part 2   個の完成

 などで検索すれば聞けると思う。あくまでも世界はこうなっているのかではなく、


〝このようにして信者達を騙していたのか〞


という見方で聞くようにして頂きたい。




《リンク》