その本と偶然の出会いは、神田神保町の古書店。民俗学や歴史学の書物を多く取扱されているお店ですが、路面店ではないので、なかなか入るには勇気が要りそうなハードルの高さを感じてしまう私・たまねこです。でも、この時はなにか予感めいたものがあって、すんなり階段を上がっていました。
店番をされているおばさんに出迎えられて中へ。古書独特の雰囲気にわーっと包まれます。
比較的発行年が新しい、東京の歴史本と東北の山岳信仰に関する本を手にレジへ向かう途中、一冊の本が目に留まりました。「澤田謙著 後藤新平一代記(平凡社)」かなり時代を感じさせるな…と背表紙からぺージをめくると、昭和4年(1929年)発行。実に90年以上前から読み継がれた1冊でした。
値札が付いておらず幾らなのか気になり、おばさんに訪ねると、ちょっと待ってくださいね…と別の場所にいる店主へ携帯で連絡をとってもらいました。程なくしてやってきた店主から「入荷したばかりでまだ値付けしてないんです。ちょっと待って下さいね。」と調べてもらい、値段「2,000円」が決まりました。この出会いは「買い」だ。
後藤新平に関する本は、これまで数冊読んできたのですが…この本は著者が生前の後藤から直接訊いた内容から書かれているようで、本人が語る「その時の後藤新平」が生き生きと感じることができます。
この本を手にした目的は「臺灣民政長官」時代の後藤新平を知りたかったのですが、副産物として、その前に就任した「臨時陸軍検疫部事務官長」時代の後藤を知ることができました。のちの臺灣民政長官時代に繋がる児玉源太郎との出会いと、異例の抜擢(文官でありながら陸軍(武官)の行政をすること)、児玉の庇護があったからこそ成しえた「偉業(僅か2ヶ月で401棟の検疫所の建設、日清戦争後コレラなどが蔓延していた中国から帰還する23万人の兵に対する検疫)」などが、
とても分かりやすく書かれていました。
ここまで読んだ時、ふと思ったのが新型コロナウイルスに揺れる今の日本。色々考えさせられることばかりですが、一番大事なのは、一切の責任を負う「児玉源太郎」のような懐の深さで行われた明快果断の採決(縦割りに拘らない役割分担:兵隊に関する検疫は陸軍、日本国内の防疫は内務省の責務とする)ができる人が今の日本におられるのでしょうか。どんな影口からも役人や部下を守る政治家や上司はいるのでしょうか…色々懐古的に賛美されることがあるけれど、本質は今も昔も変わらず「ミライを考え行動するひと」であること…そのことを忘れてはいけないな…と感じました。
参考:後藤新平記念館