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新入社員の配属の季節。
都内では、桜が満開です。
明日からは雨模様なので、桜を見に行くなら今日がラストチャンスかも。
さて、桜といえば在原業平の、次の歌が有名です。
世の中にたえてさくらのなかりせば
春の心はのどけからまし
この歌は『伊勢物語』の82段にある歌です。
『伊勢物語』は、平安時代初期に成立した歌物語で、主人公(在原業平と言われています)の生涯が、数行の簡単なシチューションの紹介に続けて和歌が次々と紹介されながら物語が進行するという仕様になっています。
後年成立する百人一首は、この「数行の簡単なシチューションの紹介」を意図的に外して歌だけで一大叙情詩をつむいでいますので、そういう意味では、歌物語の原型のようなものともいえるかもしれません。
『伊勢物語』は、数行の簡単なシチューションの紹介がある分、歌意がとりやすく、わかりやすいですが、逆にその分、歌の解釈(歌から想像できるイメージの膨らみ)が限定されてしまうという点もあります。
けれど、意外とこの段、深い意味があるのです。
そこでいつものように、おもいきった意訳で、現代語に訳してみます。
========
京の都から少し南に下った水無瀬(みなせ)という所に、惟喬親王(これたかしんのう)の離宮がありました。
毎年、桜の花ざかりになりますと、親王はいつも、19歳年上の在原業平をお供にしていました。
親王と業平らの一行は、鷹狩などはしないで、もっぱら酒を飲みながら、いつも和歌に興じていました。
お題は、鷹狩であったり、離宮の桜であったりしました。
馬を下り、桜の木の下に座って、枝を少し折って、かんざしにのように髪に挿し、身分の高い人も中ぐらいの人も低い人も、みんなで歌を詠みました。
お酒も入っているし、「さて、なんと詠もうか」などと、みんながワイワイと騒いでいます。
そんな様子を見ながら、業平が、
世の中に
たえてさくらの なかりせば
春の心は のどけからまし
(世の中に桜の花がなかったならば、みんな、このように頭を悩ませることもないでしょうに)
と詠みました。すると別な誰かが、
散ればこそ
いとど桜はめでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき
(桜は散るからめでたいのです。浮世に久しいものなどないのですから)
と詠みました。
たとえ頭を悩ませようと、桜が咲き、花が散る。その風情があるからこそめでたいし、そもそも浮世(憂き世)に、久しいものなどないのですから、というわけです。
そんなふうに、みんなで楽しみながらワイワイと歌を詠みあっていたら、日暮れ時になってきました。
「さて、どこかに場所を移そう」と、移動しはじめると、向こうからお供のひとりが、なにやら美味しそうなお酒を持ってやってきました。
さてもさても、これは嬉しいことです。
せっかくですから、このお酒を飲むのに、どこか良い場所はないかと、場所を求めて歩んでいくと、天の河というところに着きました。
業平が親王にお酒を差し上げますと、親王が、
「せっかくの美味い酒です。交野を狩りして天の河のほとりにいたるという題で、歌を詠んでみましょう」とおっしゃるので、業平が即興で、
狩りくらし
たなばたつめに 宿からむ
天の河原に われは来にけり
(狩りをしていて日が暮れてしまいました。せっかくですから七夕の織姫様に一夜の宿を借りましょう。天の河原に来てしまったのですから)
これはうまい歌を詠んだものだと、親王はたいそうお気にいられましたが、ところが返歌がうまくできない。
そこで、別なお供の人が、
「では、次の歌ではいかがでしょう」
ひととせに ひとたび来ます 君待てば
宿かす人も あらじとぞ思ふ
(織り姫様は、年に一度の恋人を待っているのですから、宿を貸してなどくれないものと思いますよ)
わはは、これは一本とられましたな、と、一行は酒も空いたので、離宮に戻り、そこでまた夜中まで酒を飲みました。
さすがに親王も酔っ払ってしまい、寝所に行くと席を立とうとしたとき、業平は、
あかなくに まだきも月の かくるるか
山の端にげて 入れずもあらなむ
(まだ飲み足りないのに、月は山の峰の端に隠れてしまうのでしょうか。さてさてお月様には隠れないでいていただきたいものです)
これを聞いた業平の妻の父親が詠んだのが、次の歌でした。
おしなべて 峰もたひらに なりななむ
山の端なくは 月も入らじを
(それならば、山の峰の稜線を、まっ平らになさってくださいましな。山の端がなければ、月もきっと隠れることができないでしょうに)
=========
だいたい、感じをおつかみいただけましたでしょうか。
伊勢物語は、平安時代初期に成立した歌物語で、このように、歌を紡ぐカタチで、物語が展開されています。
全体に、軽いタッチで、物語に合わせて、次々と歌が紹介されていくのですが、上の82段もそんな中で、表面的には、すごく軽いタッチで物語が進行しています。
ここに出てくる惟喬親王は、文徳天皇の第一皇子でありながら、朝廷内の力関係で、右大臣藤原良房の娘の染殿妃(そめどののきさき)の子、つまり、腹違いの第四皇子の惟仁(これひと)親王が皇太子に立てられているわけです。
この惟仁親王が、後の清和天皇(清和源氏の祖)になります。
なぜこうなったかというと、惟喬親王の母は出自が低かったからです。
ですから、そういう背景を知って、上にある物語を読むと、はじめに出てくる
世の中に たえてさくらの なかりせば
春の心は のどけからまし
の歌は、実は桜の花=染殿妃に掛けられいて、染殿妃さえなければ、今年の春はさぞかしのどかであったろうに、という意味が、裏側に込められていることが見えてきます。
するとこれを受けて別な者が、
散ればこそ いとど桜は めでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき
と詠んでいます。
つまり、皇太子に立てられなかったとしても、桜は桜。
散るからこそ、美しいものだってあるのですよ、と、これを軽くたしなめているわけです。
人の世は、どんな組織や団体にあっても、何事も思うにまかせないことが多々あるものです。
けれど、それでも条理をつくして、まっとうに生きようとする。
損な役回りであったとしても、まっとうに生きる。
だから、
ひととせに ひとたび来ます 君待てば
宿かす人も あらじとぞ思ふ
たとえモテ男の業平であったとしても、人の恋路の邪魔をしてはならない。
酒でも飲んで、まあ、楽しみましょうや、となるわけです。
いろいろな思いがあったとしても、まっとうに生き、まずは仲良くする。
そういうところが、なんだかとっても日本人的だと思います。
千年前も千年後も、日本人は、やはり日本人なのですから。
お酒も入っているし、「さて、なんと詠もうか」などと、みんながワイワイと騒いでいます。
そんな様子を見ながら、業平が、
世の中に
たえてさくらの なかりせば
春の心は のどけからまし
(世の中に桜の花がなかったならば、みんな、このように頭を悩ませることもないでしょうに)
と詠みました。すると別な誰かが、
散ればこそ
いとど桜はめでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき
(桜は散るからめでたいのです。浮世に久しいものなどないのですから)
と詠みました。
たとえ頭を悩ませようと、桜が咲き、花が散る。その風情があるからこそめでたいし、そもそも浮世(憂き世)に、久しいものなどないのですから、というわけです。
そんなふうに、みんなで楽しみながらワイワイと歌を詠みあっていたら、日暮れ時になってきました。
「さて、どこかに場所を移そう」と、移動しはじめると、向こうからお供のひとりが、なにやら美味しそうなお酒を持ってやってきました。
さてもさても、これは嬉しいことです。
せっかくですから、このお酒を飲むのに、どこか良い場所はないかと、場所を求めて歩んでいくと、天の河というところに着きました。
業平が親王にお酒を差し上げますと、親王が、
「せっかくの美味い酒です。交野を狩りして天の河のほとりにいたるという題で、歌を詠んでみましょう」とおっしゃるので、業平が即興で、
狩りくらし
たなばたつめに 宿からむ
天の河原に われは来にけり
(狩りをしていて日が暮れてしまいました。せっかくですから七夕の織姫様に一夜の宿を借りましょう。天の河原に来てしまったのですから)
これはうまい歌を詠んだものだと、親王はたいそうお気にいられましたが、ところが返歌がうまくできない。
そこで、別なお供の人が、
「では、次の歌ではいかがでしょう」
ひととせに ひとたび来ます 君待てば
宿かす人も あらじとぞ思ふ
(織り姫様は、年に一度の恋人を待っているのですから、宿を貸してなどくれないものと思いますよ)
わはは、これは一本とられましたな、と、一行は酒も空いたので、離宮に戻り、そこでまた夜中まで酒を飲みました。
さすがに親王も酔っ払ってしまい、寝所に行くと席を立とうとしたとき、業平は、
あかなくに まだきも月の かくるるか
山の端にげて 入れずもあらなむ
(まだ飲み足りないのに、月は山の峰の端に隠れてしまうのでしょうか。さてさてお月様には隠れないでいていただきたいものです)
これを聞いた業平の妻の父親が詠んだのが、次の歌でした。
おしなべて 峰もたひらに なりななむ
山の端なくは 月も入らじを
(それならば、山の峰の稜線を、まっ平らになさってくださいましな。山の端がなければ、月もきっと隠れることができないでしょうに)
=========
だいたい、感じをおつかみいただけましたでしょうか。
伊勢物語は、平安時代初期に成立した歌物語で、このように、歌を紡ぐカタチで、物語が展開されています。
全体に、軽いタッチで、物語に合わせて、次々と歌が紹介されていくのですが、上の82段もそんな中で、表面的には、すごく軽いタッチで物語が進行しています。
ここに出てくる惟喬親王は、文徳天皇の第一皇子でありながら、朝廷内の力関係で、右大臣藤原良房の娘の染殿妃(そめどののきさき)の子、つまり、腹違いの第四皇子の惟仁(これひと)親王が皇太子に立てられているわけです。
この惟仁親王が、後の清和天皇(清和源氏の祖)になります。
なぜこうなったかというと、惟喬親王の母は出自が低かったからです。
ですから、そういう背景を知って、上にある物語を読むと、はじめに出てくる
世の中に たえてさくらの なかりせば
春の心は のどけからまし
の歌は、実は桜の花=染殿妃に掛けられいて、染殿妃さえなければ、今年の春はさぞかしのどかであったろうに、という意味が、裏側に込められていることが見えてきます。
するとこれを受けて別な者が、
散ればこそ いとど桜は めでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき
と詠んでいます。
つまり、皇太子に立てられなかったとしても、桜は桜。
散るからこそ、美しいものだってあるのですよ、と、これを軽くたしなめているわけです。
人の世は、どんな組織や団体にあっても、何事も思うにまかせないことが多々あるものです。
けれど、それでも条理をつくして、まっとうに生きようとする。
損な役回りであったとしても、まっとうに生きる。
だから、
ひととせに ひとたび来ます 君待てば
宿かす人も あらじとぞ思ふ
たとえモテ男の業平であったとしても、人の恋路の邪魔をしてはならない。
酒でも飲んで、まあ、楽しみましょうや、となるわけです。
いろいろな思いがあったとしても、まっとうに生き、まずは仲良くする。
そういうところが、なんだかとっても日本人的だと思います。
千年前も千年後も、日本人は、やはり日本人なのですから。