狂直の日記

狂直の日記

多摩武蔵守のブログです。
こちらのブログは政治話中心で行こうと思います。ブログタイトルは『三国志』虞翻伝の評より拝借しました。
Twitterアカウントは https://twitter.com/tama_musashi です。

 岸田内閣の支持率がなかなか上がらないどころか、低下し続ける傾向が続いています(さりとて野党が支持されているわけでもありませんが)。

 確かに、コロナ禍で被った経済的打撃が癒えていないところにインフレ傾向と物価高、前々から決まっていたこととは言えと社会保険料の料率改定とくれば、怨嗟の声を上げたくもなるでしょう。それはわかります。

 

 しかしながら、以下のことも思い出していただきたいのです。

 

 増税を止めているし、むしろ減税にまで踏み込んだし、賃上げと景気の好循環を実現すべく様々な手を打っているし、実際その効果は統計で現れ始めています。

 2023年度は賃上げ額(11,245 円)、賃上げ率(3.60%)はいずれも昨年、コロナ禍前の令和元年を大きく上回りました(注1)。

 また「内閣府は2024年度に物価高を上回り、所得が増えるとの予測をまとめた。賃上げに定額減税の効果が加わることで、1人当たりの所得が23年度に比べて3.8%増え、2%台半ばと見込まれるインフレ率を超す」(2023/12/20日本経済新聞)としています。 

 また「今回も12本ある閣法(内閣提出法律案)をすべて通し、補正予算も成立させ、長年の懸案であったALPS処理水の海洋放出も実現し、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働へ道筋をつけ、対中国外交では日本の立場を主張してきちんと強行させたうえ、ガソリンや電気代の値上がりに対して補助金を出し、インフレを克服して国民の生活を守っているという点で、かなり優秀な実績を上げている総理です」 (山本一郎氏)(注2)。

 

 物価高はロシアがウクライナに攻め込んだせいだったり、コロナ禍で経済を止めたことや経済的な死者を出さないために各国がお金を刷ったことが尾を引いたことによるものだったりして、岸田総理のせいではありません。 

 その辺を勘違いして「増税メガネ」と揶揄する向きもあるようですが。 

 

 とはいえ、そんなときに「そうか、誰のせいでもないんだな」と飲み下すことは難しいことです。
 岸田総理に矛先が向くのも無理からぬことでしょうし、岸田支持者になれとは言いません。

 

 しかしながら、マスメディアの世論誘導やデマに乗っかって「お灸を据える」真似だけは止めてください。

 そうやって民主党政権が生まれ、後々まで禍根を残したのですから。     

 

 余談ですが、保守派論客による岸田総理へのバッシングや誹謗中傷は目に余ります。私も岸田総理が完全無欠とは思いませんが、反日媚中だとか、財務省の犬だとか、 検討士だとかのレッテル張りをするばかりで、ヒステリックで全く理屈でなされていません(注3)。

 国民の賛成多数とは言えない中で安倍元総理への国葬儀を実現したのに。他ならぬ高市早苗氏が、「安倍総理のまいた種を着実に育てている」と評しているのに。

 自分の望む事をしなかければ「仕事をしていない」と言い、したらしたで褒めるどころか「遅い」「どうせ選挙アピールだろう」と難癖を付ける。こんなのネットいじめ。サイテーだよ。  

 

(注1)厚生労働省発表

 

 

(注2)

 

 

(注3)

 これらのデマや誹謗中傷についてはPULP氏が詳しく情報収集と検証を行い否定・反論しています。

※8/18 論旨明確化のため一部表現修正、表現の重複修正、脚注として新たに注9挿入、以降の番号繰り下げ。

 

 昨年4月に当ブログで、パリ不戦条約を取り上げ、「同条約をもって戦争が違法化されたとまでは言えず、我が国の満州事変から大東亜戦争までの一連の行為もまた、当時の国際法に照らして違法であったとまでは言えない」という趣旨のことを論じました。

 お読みになった方の中にはこう思われた方もいらっしゃるかも知れません。

「パリ不戦条約で違法化されなかったとしても国際連盟規約があるでしょう」と。

 

 国際連盟規約はこのように定めています。

 

締約国ハ戦争ニ訴ヘサルノ義務ヲ受諾シ」(前文)

聯盟国ハ、聯盟国間ニ国交断絶ニ至ルノ虞アル紛争発生スルトキハ、当該事件ヲ仲裁裁判若ハ司法的解決又ハ聯盟理事会ノ審査ニ付スヘク、且仲裁裁判官ノ判決若ハ司法裁判ノ判決後又ハ聯盟理事会ノ報告後三月ヲ経過スル迄、如何ナル場合ニ於テモ、戦争ニ訴ヘサルコトヲ約ス」(第12条)

 

 事実、国際連盟は、小国ではあるものの国家間の紛争や紛議をいくつか解決しており、大国間のそれらも話し合いのテーブルに着かせることはできていました。

 

 しかし国際連盟規約もまた、戦争を違法化したものとまではいえないと考えられます。

 なぜなら国際連盟はあくまで国家主権に基づく組織であり、国際連盟規約は国家主権を制限し得ず、戦争自体の合法性・違法性についての条約や国際慣習を新たに創設したものではなかったからです。

 

 当時において自衛権は「国内法において認められているところの犯罪行為に対する私的防衛権」(注1)とは異なり、相手方の暴力行為によって初めて生まれてくる権利ではなく「主権国家固有の権利であり、国家の主権という言葉そのものの中に包含されている」(注2)ものでした。

 

 締約国が「戦争ニ訴ヘサルノ義務ヲ受諾シ」たといっても、それは「各国間ニ於ケル公明正大ナル関係ヲ規律シ、各国政府間ノ行為ヲ律スル現実ノ規準トシテ国際法ノ原則ヲ確立シ、組織アル人民ノ相互ノ交渉ニ於テ正義ヲ保持シ且厳ニ一切ノ条約上ノ義務ヲ尊重シ、以テ国際協力ヲ促進且各国間ノ平和安寧ヲ完成セムカ為」で、 「連盟はたんに国際協力の制度に過ぎなかった」(注3)のです。

 

 また国際連盟は超国家的組織ではなく、国家主権を前提とした国家間機構であったため、国際連盟の総会と理事会における決定は全会一致を原則としていました(注4)。「国際連盟の結成された後でさえ、主権をそのままに維持する、同位的国家群があったにすぎ」ませんでした(注5)。

国際連盟はあらゆる国家を包含する組織ではなく、かつその組織みずから、各国がそれから脱退できるように規定を設けていた」(注6)のであり、「連盟は国家主権にたいしてとくに慎重な考慮を示し、全会一致の原則を採用することによって、主権の重要性をとくに強調」(注7)していました。すなわち「連盟においては国家主権と国家の利害が、依然として根本的な役割を演じ」(注8)ていたのです。

 国際連盟の創設を提唱したロバート・セシルも「国際連盟は超国家的な組織ではない」と自ら説明しています。セシルの構想によれば、国際連盟は強制力を持った組織ではなく、「国際世論の役割に期待することで、国家主権の原則を維持しながら、平和的変革の問題を解決する」(注9)ための組織でした。国際連盟規約には国際軍の創設に関する規定は盛り込まれていません。セシルも、国際軍は実現不可能ではないかと疑問を抱き、国家主権を侵害するものであると批判していました。

 

 加えて国際連盟規約で戦争が違法化されたわけではありませんでした。国際連盟規約にて「第一二条、第一三条又ハ第一五条ニ依ル約束ヲ無視シテ戦争ニ訴ヘタル聯盟国」に対する制裁(第16条)規定は置かれていたものの、国家主権すなわち自衛権を制限し得なかったことに加え、「第一二条、第一三条又ハ第一五条」の規定は「たんに開戦にいたるまでの諸手続に言及しただけであって、戦争自体の合法性ないし非合法性に影響を及ぼさなかった」(注10)からです。

 さらに国際連盟の決定には強制力がなく、「勧告」と「決定」には事実上違いがありませんでした(注11)。

 

 これらのことは国際連合憲章(国連憲章)が数々の強制力を持った措置を執る権限を国連に与えていることと比較するとよくわかると思われます。

 国連憲章においては「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を」慎まなければならず(第2条)、安全保障理事会(国連安保理)が憲章に違反した国家に権利の停止や除名などの制裁を科すよう総会に勧告できることが規定されています(第5・6条)。

 また国連安保理は「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し」、「国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、 勧告をし」(第39条)、経済制裁等の措置や国連軍の派遣を行うことができます(第41・42条)。

 

 国内法であれば、強制力がなかろうと実行が伴うまいと違法なものは違法であると言えます。それは国家主権が及ぶ範囲内で、国民の負託を受け、民主的手続きを経て成立しているという正当性があるからです。

 しかし国際社会においては国家の主権を超える組織が存在しません。国際法の法源は条約と国際慣習法であると言われますが、前者は各国の同意する以上のものを作ることはできないし、後者は各国の実行が伴わなければ慣習として確立されているとは言えません(たとえどれだけ「決議」が行われ、「世論」の批判にさらされたとしても)。国際連盟規約やパリ不戦条約があってもなお、各国の主権は制限されず、戦争が絶えることもありませんでした。

 そして国際連盟規約やパリ不戦条約には戦争そのものを違法化する規定は含まれず、各国が戦争を違法化する慣習を形作っていたわけでもありませんでした。

 したがって、パリ不戦条約と同じように、国際連盟規約もまた、各国の主権を制限し、戦争を違法化したとまではいえないと考えられます。

 

 

 戦争が違法化されるのは、第二次世界大戦後の国連憲章を待たねばならず、今次ロシアによるウクライナ侵攻は、同憲章に明白かつ重大に違反しているが故に、国際社会の非難の対象であると考えます。一方で、我が国の満州事変から大東亜戦争までの一連の行為を、同一視することはできないと考えます。

 

 

【脚注】

(注1)東京裁判研究会『共同研究 パル判決書(上)』(講談社学術文庫、1984年)P347

(注2)前掲書、P347

(注3)前掲書、P371

(注4)秦野貴光「ロバート・セシル卿の国際平和機構観―国家主権・世論・平和的変革―」『国際政治』第193号「歴史のなかの平和的国際機構」(日本国際政治学会編、2018年)

(注5)『共同研究 パル判決書(上)』P370

(注6)前掲書、P336

(注7)前掲書、P371

(注8)前掲書、P371

(注9)秦野「ロバート・セシル卿の国際平和機構観―国家主権・世論・平和的変革―」

(注10)共同研究 パル判決書(上)』P336

(注11)秦野「ロバート・セシル卿の国際平和機構観―国家主権・世論・平和的変革―」

 

【参考文献】

筒井若水『新・資料 国際法基礎講義』(有斐閣、1995年)

筒井若水『国際法辞典』(有斐閣、1998年)

東京裁判研究会『共同研究 パル判決書』(講談社学術文庫、1984年)

モーリス・ハンキー 長谷川才次訳『戦犯裁判の錯誤』(時事通信社、1952年 経営科学出版、復刊2020年)

高坂正堯『国際政治』(中公新書、1966年)

秦野貴光「ロバート・セシル卿の国際平和機構観―国家主権・世論・平和的変革―」『国際政治』第193号「歴史のなかの平和的国際機構」(日本国際政治学会編、2018年) 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji/2018/193/2018_193_12/_pdf/-char/ja

 

要旨:ウクライナ戦争の本当の問題は、ロシアが核保有国であるのをいいことに、何のおとがめも受けず放置されること。これでは国際法をドブに捨てることになるのではないか?

 2月から始まったロシアによるウクライナ侵攻は、首都キーウと主要都市ハルキウの占領こそ防いだものの、ウクライナ東部においてロシア軍に押し込まれ、その後しばらく膠着状態が続いていました。ウクライナ軍は戦力において劣勢ながらも、国民の旺盛な士気と欧米諸国の援助に助けられて持ちこたえることができました。
 そして9月、ウクライナ軍が東部で反撃に成功。国土を奪い返し、住民を解放することができました。
 それは疑いもなくよいことです。
 しかしそれでめでたしめでたし、とはなりません。 

 ネットで知人の意見を見かけてはっとさせられたのですが、一番の問題はロシア戦時国際法違反の行為を多数働いているにもかかわらず、核保有国であるがために制裁を受けていないに等しいことなのです。
 ロシア軍が行ったとされる下記の行為は戦時国際法違反であり「厳密なる意味における戦争犯罪」です。なお複数ソースからの報道がありますし、英米の情報機関もつかんでいると思われますので、これらの行為をロシアが働いたことはほぼ確定しています。

・捕虜虐待
・住民虐殺、強制移住
・原子力発電所やダムを攻撃、破壊

 無論ウクライナも捕虜を見世物にしている疑いがありますし、これらは戦時国際法違反であって当事者は処罰されなければなりません。しかしロシアは事実上おとがめなしというのが実情です。
 これでは「戦争は間違いなく悲惨だが、最低限のルールは設けなければ」と努力してきた先人達の叡知と、積み重ねられてきた国際法秩序を毀損することになりかねません。
 国際法は条約と国際慣習法でできていますが、それは各国が同意する以上の規則を作ることはできないということです。
 各国の同意と実行が伴わなければ、国際法として認められません。
 だからロシアの行いを放置するのは、国際法にとって非常に有害なのです。

 私達が非難すべきことは、戦時国際法違反を厭わぬ者のみが、何の制裁も受けず放置されること。
 国際法秩序を守るべきなのは、国際法の権威が損なわれ、暴力と恐怖によって他者を支配する方が得をする社会になることを避けるためなのです。

 危うく「ウクライナが機甲戦力でロシア軍追い返せて支配地域奪還できてよかったね、めでたしめでたし」で思考停止するところでした。反省。

 余談ですが、大東亜戦争について私のような人間が「他の国もしてるのにどうして日本だけが」というのは「免罪しろ」というのではではなく、「戦争に勝ったら何をしても許されるのか」ということを言っているに過ぎません。「ロシアと我が国を一緒にするな」と指摘してきたのも、事実に反し、我が国の名誉を損なうだけでなく、問題の所在を見えなくすると恐れたからです。

 平和のためなら国際法の裏付けもなしに事後法で敗戦国を罰する(そして戦勝国にはおとがめなし)のが許されるのか、それが本当に平和と国際法に役立つのか。

 はっきり「否」と言ったのが、かのラダ・ビノード・パールであり、世にいう「パル判決書」の骨子です。

 

 なお大東亜戦争における我が国の戦争犯罪や加害行為について、当事者は連合国による戦犯裁判で処刑され、我が国は連合国に対してサンフランシスコ平和条約を締結し、各国との条約に基づき賠償し、東南アジア諸国には準賠償(これらの国は戦争当事国ではなかったので)を行い、謝罪も何度もしている事実を申し添えます。

※2023/8/19 《》内追記、脚注、参考文献追加。

 

 今回のロシアによるウクライナ侵攻をめぐって、パリ不戦条約が度々話題になっています。ロシアの行いは国際的な規範である紛争の平和的解決や武力による現状変更の禁止に違反し、国家間の秩序を乱すものであると非難されています。我が国政府もこの立場に立っています。

 これらの規範は、パリ不戦条約や国連憲章などにより国際社会で共有している価値観として築き上げられ、国際法の一部を形成していると言われます。 

 

 また今次のロシアの侵攻が、戦前の我が国による満州事変から大東亜戦争にかけての一連の行為と似ているという議論も一部で見られ、その過程でパリ不戦条約が引き合いに出されていることもあります。

 私は、「ロシアの行いと我が国の行いを単純に同一視はできない」と考えており、ツイッターにていくつか考えを述べました。今回はパリ不戦条約についてまとめ・再構成してお送りします。 

 

 パリ不戦条約は1928(昭和3)年に締結された多国間条約で、戦争の違法化を初めて定めた国際条約とされています。これは第一次世界大戦の惨禍を受けて提唱されたもので、戦争を違法化しようとする国際的な取り組みの一つであり、後に国連憲章の基礎となったとも言われます。

 満州事変から大東亜戦争にかけての我が国の行為について、パリ不戦条約以降の戦争の違法化の流れに逆行するものであるとの評価が一般的であると思われます。2015(平成27)年内閣総理大臣談話(安倍談話)もこの認識の上に立っていると思われ、「日本は、次第に、 国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした 『新しい国際秩序』に対する『挑戦者』となっていった」と述べています。

 また満州事変や日華事変の当時から「これは侵略戦争ではないか」という批判は我が国の内外問わず存在していました。したがって、戦後になって初めて、我が国の一連の行為が侵略と批判されるようになったわけではありません。これらのことは事実関係として踏まえる必要があります。

 

 しかしながら、一般的に思われているほどパリ不戦条約が高等な理念であったのか、また我が国の行為がパリ不戦条約により違法とされたのかは別に検討を要すると考えられます。

 パリ不戦条約は武力行使そのものを否定したわけではなく、各国が自衛権と「それが自衛権の行使かどうか」を判定する権利を留保しながら「締約国相互の不戦」を宣言して他国の武力行使を牽制するというものでした。

 ラダ・ビノード・パール(パール判事)は極東国際軍事裁判(東京裁判)において、パリ不戦条約は自衛権を否定したものではなく、また何が自衛であるかは各国の判断に任されており、同条約において侵略と自衛の概念は確立されておらず、これをもって戦争が違法化されたとは言えないとして、「(パリ不戦条約は)現存の国際法になんらの変更をももたらさなかった」(注1)と、多数意見に対する反対意見書を提出しています(注2)。

 イギリスのモーリス・ハンキー(ハンキー卿)(注3)もパリ不戦条約に対するパール判事の評価は正しいとしています。

《「それが作られた経過を熟知している者として、また、この条約の計画を調整する一切の段階、および二つの大戦の間、この条約に影響を与えた一切について特別な責任をもつ者として私が確信することは、条約の調印からニュルンベルグ・東京の判決と刑の言い渡しを読んだ時まで、私は、この条約を、戦争を計画し準備し遂行することを戦争犯罪として訴追する根拠として使い得るなどという暗示は、一回だに耳にしたことがないということである」(注4)。》

 また制定時の事情も、「“平和”は人気があり、ブリアンの条約案(パリ不戦条約)はいかなる実際上の効果ももたらさないという利点を有していた」「内容的に無意味であるがゆえに反対もしにくいものであった」。さらに米英仏が様々な留保をつけ、条約はますます無意味になったというのが実情でした(注5)。  

 

 上記より、パリ不戦条約を崇高な理念として過大に評価するのは実態とかけ離れていると考えられます。また我が国の満州事変から大東亜戦争に至るまでの一連の行動は、国際的な批判の対象であったとしても、当時の国際法に照らして違法であったとまでは言えないと考えられます。

 

 なお安倍談話も単に我が国の行為を侵略と位置づけているわけではないことに留意すべきでしょう。「初めは世界と歩調を合わせていたが、ブロック経済による経済的打撃が端緒となり、行き詰まりを力で打開しようとして世界の大勢を見失った」と、事実を記述しつつ失敗の教訓を残そうとしています。   

 

 また今回のロシアの行為が国連憲章違反であることは明白です。

 

【脚注】

(注1)東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書』(講談社学術文庫、1984年)P316

(注2)我が国で翻訳出版される際『パル判決書』とされたが、もとは多数意見への反対意見書。

(注3)1877~1963。イギリスの政治家。1908年、内閣の小委員会である帝国国防委員会で書記官補に就任。その後同委員会書記官、ロイド・ジョージ戦時内閣の内閣官房長官、枢密院書記官長を歴任。1916・1919年の二度にわたり騎士(ナイト)の称号を授けられた他、数々の叙勲を与えられ、初代ハンキー男爵と称される。

(注4)モーリス・ハンキー 長谷川才次訳『戦犯裁判の錯誤』(時事通信社、1952年 経営科学出版、復刊2020年)P292

(注5)ヘンリー・キッシンジャー 岡崎久彦監訳『外交(上)』(日本経済新聞社、1996年)P394

 

【参考文献】

 東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書』(講談社学術文庫、1984年) 

 モーリス・ハンキー 長谷川才次訳『戦犯裁判の錯誤』(時事通信社、1952年 経営科学出版、復刊2020年)  

 ヘンリー・キッシンジャー 岡崎久彦監訳『外交』(日本経済新聞社、1996年)

 本書は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において判事を務めたラダビノッド・パールが提出した、多数意見に対する反対意見書である。パールは、「日本の行いは当時の国際法や国際情勢に照らして違法・異常とは全く言えない」とし、いわゆるA級戦犯として起訴された日本の指導者達の全員無罪を主張している。また東京裁判は国際法上の根拠を欠いているとし、「法律の外貌を纏った勝者の敗者に対する復讐でしかない」と断じている。

 

「パールはA級戦犯が無罪であると断じただけであって、日本の行為が無罪と断じたわけではない」との批判については、どうであろうか。

 

 しかし、パールは判決書の冒頭において「ここに述べられた行為は全て国家の行為である」と明言している。指導者達は国民の意思を付託され、憲法に従い国家を運営するために権力の座に就いたのであり、その行為は国家の行為であり、彼らの無罪は日本の無罪であるとしている。

 

 このように、本書は東京裁判の否定を基礎としている。また世界平和は事後法で敗戦国に責任を押しつけることで得られるものではないと論じている。

 

東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書』(講談社学術文庫、1984年)