続・パリ不戦条約(国際連盟規約と「戦争の違法化」問題) | 狂直の日記

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※8/18 論旨明確化のため一部表現修正、表現の重複修正、脚注として新たに注9挿入、以降の番号繰り下げ。

 

 昨年4月に当ブログで、パリ不戦条約を取り上げ、「同条約をもって戦争が違法化されたとまでは言えず、我が国の満州事変から大東亜戦争までの一連の行為もまた、当時の国際法に照らして違法であったとまでは言えない」という趣旨のことを論じました。

 お読みになった方の中にはこう思われた方もいらっしゃるかも知れません。

「パリ不戦条約で違法化されなかったとしても国際連盟規約があるでしょう」と。

 

 国際連盟規約はこのように定めています。

 

締約国ハ戦争ニ訴ヘサルノ義務ヲ受諾シ」(前文)

聯盟国ハ、聯盟国間ニ国交断絶ニ至ルノ虞アル紛争発生スルトキハ、当該事件ヲ仲裁裁判若ハ司法的解決又ハ聯盟理事会ノ審査ニ付スヘク、且仲裁裁判官ノ判決若ハ司法裁判ノ判決後又ハ聯盟理事会ノ報告後三月ヲ経過スル迄、如何ナル場合ニ於テモ、戦争ニ訴ヘサルコトヲ約ス」(第12条)

 

 事実、国際連盟は、小国ではあるものの国家間の紛争や紛議をいくつか解決しており、大国間のそれらも話し合いのテーブルに着かせることはできていました。

 

 しかし国際連盟規約もまた、戦争を違法化したものとまではいえないと考えられます。

 なぜなら国際連盟はあくまで国家主権に基づく組織であり、国際連盟規約は国家主権を制限し得ず、戦争自体の合法性・違法性についての条約や国際慣習を新たに創設したものではなかったからです。

 

 当時において自衛権は「国内法において認められているところの犯罪行為に対する私的防衛権」(注1)とは異なり、相手方の暴力行為によって初めて生まれてくる権利ではなく「主権国家固有の権利であり、国家の主権という言葉そのものの中に包含されている」(注2)ものでした。

 

 締約国が「戦争ニ訴ヘサルノ義務ヲ受諾シ」たといっても、それは「各国間ニ於ケル公明正大ナル関係ヲ規律シ、各国政府間ノ行為ヲ律スル現実ノ規準トシテ国際法ノ原則ヲ確立シ、組織アル人民ノ相互ノ交渉ニ於テ正義ヲ保持シ且厳ニ一切ノ条約上ノ義務ヲ尊重シ、以テ国際協力ヲ促進且各国間ノ平和安寧ヲ完成セムカ為」で、 「連盟はたんに国際協力の制度に過ぎなかった」(注3)のです。

 

 また国際連盟は超国家的組織ではなく、国家主権を前提とした国家間機構であったため、国際連盟の総会と理事会における決定は全会一致を原則としていました(注4)。「国際連盟の結成された後でさえ、主権をそのままに維持する、同位的国家群があったにすぎ」ませんでした(注5)。

国際連盟はあらゆる国家を包含する組織ではなく、かつその組織みずから、各国がそれから脱退できるように規定を設けていた」(注6)のであり、「連盟は国家主権にたいしてとくに慎重な考慮を示し、全会一致の原則を採用することによって、主権の重要性をとくに強調」(注7)していました。すなわち「連盟においては国家主権と国家の利害が、依然として根本的な役割を演じ」(注8)ていたのです。

 国際連盟の創設を提唱したロバート・セシルも「国際連盟は超国家的な組織ではない」と自ら説明しています。セシルの構想によれば、国際連盟は強制力を持った組織ではなく、「国際世論の役割に期待することで、国家主権の原則を維持しながら、平和的変革の問題を解決する」(注9)ための組織でした。国際連盟規約には国際軍の創設に関する規定は盛り込まれていません。セシルも、国際軍は実現不可能ではないかと疑問を抱き、国家主権を侵害するものであると批判していました。

 

 加えて国際連盟規約で戦争が違法化されたわけではありませんでした。国際連盟規約にて「第一二条、第一三条又ハ第一五条ニ依ル約束ヲ無視シテ戦争ニ訴ヘタル聯盟国」に対する制裁(第16条)規定は置かれていたものの、国家主権すなわち自衛権を制限し得なかったことに加え、「第一二条、第一三条又ハ第一五条」の規定は「たんに開戦にいたるまでの諸手続に言及しただけであって、戦争自体の合法性ないし非合法性に影響を及ぼさなかった」(注10)からです。

 さらに国際連盟の決定には強制力がなく、「勧告」と「決定」には事実上違いがありませんでした(注11)。

 

 これらのことは国際連合憲章(国連憲章)が数々の強制力を持った措置を執る権限を国連に与えていることと比較するとよくわかると思われます。

 国連憲章においては「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を」慎まなければならず(第2条)、安全保障理事会(国連安保理)が憲章に違反した国家に権利の停止や除名などの制裁を科すよう総会に勧告できることが規定されています(第5・6条)。

 また国連安保理は「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し」、「国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、 勧告をし」(第39条)、経済制裁等の措置や国連軍の派遣を行うことができます(第41・42条)。

 

 国内法であれば、強制力がなかろうと実行が伴うまいと違法なものは違法であると言えます。それは国家主権が及ぶ範囲内で、国民の負託を受け、民主的手続きを経て成立しているという正当性があるからです。

 しかし国際社会においては国家の主権を超える組織が存在しません。国際法の法源は条約と国際慣習法であると言われますが、前者は各国の同意する以上のものを作ることはできないし、後者は各国の実行が伴わなければ慣習として確立されているとは言えません(たとえどれだけ「決議」が行われ、「世論」の批判にさらされたとしても)。国際連盟規約やパリ不戦条約があってもなお、各国の主権は制限されず、戦争が絶えることもありませんでした。

 そして国際連盟規約やパリ不戦条約には戦争そのものを違法化する規定は含まれず、各国が戦争を違法化する慣習を形作っていたわけでもありませんでした。

 したがって、パリ不戦条約と同じように、国際連盟規約もまた、各国の主権を制限し、戦争を違法化したとまではいえないと考えられます。

 

 

 戦争が違法化されるのは、第二次世界大戦後の国連憲章を待たねばならず、今次ロシアによるウクライナ侵攻は、同憲章に明白かつ重大に違反しているが故に、国際社会の非難の対象であると考えます。一方で、我が国の満州事変から大東亜戦争までの一連の行為を、同一視することはできないと考えます。

 

 

【脚注】

(注1)東京裁判研究会『共同研究 パル判決書(上)』(講談社学術文庫、1984年)P347

(注2)前掲書、P347

(注3)前掲書、P371

(注4)秦野貴光「ロバート・セシル卿の国際平和機構観―国家主権・世論・平和的変革―」『国際政治』第193号「歴史のなかの平和的国際機構」(日本国際政治学会編、2018年)

(注5)『共同研究 パル判決書(上)』P370

(注6)前掲書、P336

(注7)前掲書、P371

(注8)前掲書、P371

(注9)秦野「ロバート・セシル卿の国際平和機構観―国家主権・世論・平和的変革―」

(注10)共同研究 パル判決書(上)』P336

(注11)秦野「ロバート・セシル卿の国際平和機構観―国家主権・世論・平和的変革―」

 

【参考文献】

筒井若水『新・資料 国際法基礎講義』(有斐閣、1995年)

筒井若水『国際法辞典』(有斐閣、1998年)

東京裁判研究会『共同研究 パル判決書』(講談社学術文庫、1984年)

モーリス・ハンキー 長谷川才次訳『戦犯裁判の錯誤』(時事通信社、1952年 経営科学出版、復刊2020年)

高坂正堯『国際政治』(中公新書、1966年)

秦野貴光「ロバート・セシル卿の国際平和機構観―国家主権・世論・平和的変革―」『国際政治』第193号「歴史のなかの平和的国際機構」(日本国際政治学会編、2018年) 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji/2018/193/2018_193_12/_pdf/-char/ja