愛情を求めてもそれが報われない

または気まぐれに、または条件付きでしか

愛されない経験を幼少期に持っていると

何かとへんな誤作動をおこします

 

愛される人というのは

純粋で善い人で

内面に凸凹した部分を持っている私は

真っ当に愛情を受ける資格がない

 

まぁ、極端な言い方ですが

言葉にするとそんな感じで

だけど自分のことを卑下しているわけでもなく

一人で頑張って生きていこうみたいな。。。。

 

そんな頑なさが、ばれるのがこわかったのかな

 

昔々そんな話を、精一杯自分の気持ちを言ったら

「理解でけへんわ。へんな思考やね」

と言われて

はっ!やっぱり、私、へんなやつなんやと

さらに凸凹に磨きをかけていきました

 

でも、いつも一生懸命だったかな

空回りすることもあったけど

心の中にはいっぱいの愛をかかえ

私なりにこの人生を愛していました

ただね、いろいろ表現がヘタあせる

 

 

愛するも愛されるも

もっと原始的で

計算や打算のないもの

 

最近思うのだけど

もともとこの「愛する、愛される」は

私の得意分野だったのではないかと

 

還暦パーティ用に写真を探していた時

見つけた1枚

 

夫は、この写真を見た時

「え?これ、日本?

草原で暮らしているような少女だね」←おい、おい

と言ったのだけど

 

この笑顔の私を見ると

愛することも愛されることも

自然に受け入れて生まれた子だったとわかって

うれしかったのね

 

2歳前かな~

ここからこの少女は

いろんな出来事に遭遇し

ずっと笑い続けてばかりではなくなるのだけど

 

そこから60年ちかい時を経て

私はまたこの少女へと

戻れた気がします

 

image

 

還暦とはよく言ったものです

 

なんかもう長いブログですみません

 

還暦の振り返りということで

許してね

 

次で最後です