娘へ今は話せない、話さないと決めて、
罪悪感のようなものが心にずっとあった。
いつとは決められないけれど、
母であるわたしが娘を見ていて、
今なら話せるかもしれないというタイミング、
時期を考えようと思った。
今はただでさえ多感な時期で、
色んなことに悩み苦しんでいる真っ最中。
とても今は話せない。
でもそれっていつであろうが何歳であろうが、
受け止めるのは辛いだろう。
今ならいいよ〜なんて時は無いと思っている。
「伝えない」という選択肢もあるけれど、
それは考えられなかった。
彼女の「知る権利」「知らない権利」たくさんたくさん考えたけれど、
「知ること」で出来る行動は増えるのではないか?と思った。
知りたくなかったと泣かれるかもしれない。
お母さんのせいで、と思うかもしれない。
先祖代々引き継がれたことで、
誰が悪いわけでないと説明したところで分かってくれるだろうか。
それでも伝えることをやめようとは思えなかった。
まず
二分の一の確率で遺伝すること、
遺伝子異常があっても必ず発症するわけでないこと。
検査をするかしないかも自分で決められること。
ネガティブなことと決めつけてほしくはないけれど、
そんなこと聞かされてポジティブでいられる人は少ないと思う。
もし検査をして陽性で、HBOCであったとしても、
「大丈夫」とそう思える情報や環境、世の中。
出来る限りのことを用意してあげたい。
一緒に考えてその時に出来ることをして、
一つずつ安心に変えて大丈夫って思えるように。
一人じゃないってことを伝えたい。
陰性だったとしたら、まずは良かったね!
でも乳がんになる可能性は他の人(遺伝子異常がない人)と
同じだけあるわけだからきちんと適切な検査を
適切なタイミングで受けること。
それは伝えたい。
卵巣がんも他のがんに対しても適切な検査を受けること
生活習慣など、過剰に意識しすぎず生きていくこと。
親としてしてあげたいことは本当に山ほどある。
でも実際できることはどれだけあるのか。
1番考えたくないのは、
わたしがもう生きられない状況になって
今伝えるしかない、となること。
病気で命が尽きようとしている母親から
あなたも同じ病気になるかもしれないの、と言われるなんて
わたしなら絶対に嫌だ。
そうなる前に話さなければという焦りもあって。葛藤。
どうであれ病気と向き合ってできる治療をし、
でも過度に病気と向き合いすぎず、
多くの時間は楽しいことに夢中になって、
好きなことに笑って感動して泣いて、
やらなきゃならないことは程々にやって、
働ける体があるのなら迎えたい未来のために働いて。
そんな姿を見せていけたらと思う。