5月3日は憲法記念日でしたが、新聞などの世論調査などを見るに、憲法審査会での議論がメディアも含めて国民の皆様に伝わっていないと実感しました。
そこで、具体的な憲法改正条文案をベースとした議論やNHK中継の導入など、国民的な議論を喚起していくための3つの提案をさせていただきました。
なお、立憲民主党の議員から、一部の地域で災害が発生して選挙ができなくなった時は、法律で選挙期日を延期して対応すればいいとの発言があったので、野田内閣で閣議決定された答弁書を紹介し、『法律を制定することにより「国政選挙の選挙期日を延期するとともに、国会議員の任期を延長すること」はできない』と指摘しました。
憲法審査会発言要旨(2024年5月9日)
憲法審査会も今国会、残り6回となった。今後の運営について以下の3点を提案したい。
- 来週からは、全会派を入れた「起草委員会」を設置し、これまでの議論を経て、概ね意見の集約が図れた「緊急事態における国会機能維持を可能とする憲法改正」について条文案づくりに着手すること。その際、「3会派案」をベースにしていただきたいこと。
- 国民投票広報協議会の規程案を策定すること。
- 広く国民に議論を知っていただくためNHK中継を導入すること。
以上、3点を会長及び幹事の皆様にお願いする。
議論の分かれる論点についても、具体的な条文案をベースに議論した方が国民にも分かりやすい。というのも、憲法記念日における各種メディアのアンケートを見たが、議論もしていない架空の論点について賛否が示されているものもある。憲法審査会で何を議論しているのか、もっと解像度高く、国民の皆様にお示しする必要があると実感した。
ちなみに、「憲法改正に賛成ですか反対ですか」という問いがあるが、冷静に考えるとおかしなアンケートだ。例えば、「法律改正に賛成ですか反対ですか」と聞かれたら、多くの国民は、まず、「どの法律ですか?」と問い返すはずだ。憲法改正についても「どの条文をどのように変えるのか」について問うレベルまで具体化する必要がある。また、そのことが無用な不安を払拭することにもつながる。
特に、大規模災害が発生した場合などに選挙実施が困難な時に、選挙期日を延長し、議員任期を延長することについてのルールと手続きを定めることには、多くの国民が理解を示してくれるはずだ。
この論点についての国民の理解を得るために、野党第一党である立憲民主党の果たす役割が大きいと考える。各国の例を見ても、与野党が合意できた改憲案には、国民も安心して国民投票で賛成の意を示すとされている。
立憲民主党の逢坂幹事が述べたように、災害に強い選挙づくりも進めることには私も賛成だ。オンライン投票も可能にすればいい。しかし、それでもなお選挙実施困難な事態は想定し得る。
前回も述べたように、昨年2月22日に、泉「次の内閣」で閣議了承された「中間報告」(PDF)を見ても、立憲民主党も「選挙困難事態」は否定していないし、緊急集会の位置付け、「射程」について必要あれば憲法に明記することも検討するとしている。
逢坂幹事から「スーパー緊急集会」についての回答をいたいただいたが、より具体的に答えてもらいたいのは、立憲民主党は、現行憲法下で、憲法改正なく①70日を大幅に超える期間、②憲法上、衆議院の優越が認められる「当初予算案」や「条約」も取り扱えると考えているのか。
私たちは、参議院の緊急集会の射程は、あくまで「一時的」「限定的」「暫定的」であり、その射程を超える活用を行うなら、やはり憲法改正が必要だと考える。解釈で「緊急集会」の権限、射程を拡大するのは、皆さんが恐れる権力の濫用につながる可能性がある。であれば、衆参同時活動の原則に戻り、選挙実施困難な事態が発生した場合には、選挙期日を延期し議員任期を延長する憲法改正の方が、よりよい改正だと考える。
もう一点議論を整理するために質問したいのは、昨年、参考人でお越しいただいた長谷部教授がおっしゃった、大規模災害が発生した場合、「選挙が可能となった地域から順次、繰延投票を行なって当選者を決めていけばいい」そして「3分の1以上の議員が選出されたら定足数を満たす」とする考えに同意するのか。例えば、南海トラフ地震が発生し、四国、近畿、東海ブロックの各府県で選挙ができないが、他の地域ではできる場合に、その選挙結果が全国民を代表する選挙としての正当性があると言えるのか。私はとても選挙の一体性が確保されているとは思えない。こうした長谷部教授の考えに、立憲民主党は賛成するのか意見を伺いたい。
最後に、長谷部先生のような学者と私たち国会議員との間には根本的な違いがある。学者は「既存の条文の解釈」を出発点にして現状を説明する学説を組み立てるのに対し、私たち国会議員は「立法者」であり、それゆえ、例え蓋然性が低くても、可能性がある限り国民の生命や権利を守るため、あるべき法制度を構築する責任を負っているはずだ。危機に備えるかどうかを決めるのは学者ではない。それは国民の生命や権利を守る責任を背負った私たち国会議員である。私たちが決めなければ答えは出ない。
芦部先生が晩年、9条と自衛隊の矛盾を整理しきれず、「政治的マニフェスト」と考える説まで考えて悩んでおられたようだが、憲法の規範性を外す説に至るなどは本末転倒の議論である。しかし、こうした学者の悩みを取り除くのも、立法者として私たちしかできないことである。前回も申し上げたが、「書いてあることは守りましょう」「書いてあることと異なる事態が生じた時は書いてあることを改めましょう」それが立憲主義の原点である。