「青春18×2 君へと続く道」 (2024)

シュー・グァンハン   清原 果耶

 

 

台湾で友人と経営してきたゲーム制作会社を離れることになり、東京に最後の出張に来た36歳のジミーは、鎌倉や長野、新潟を訪れながら、18年前出会った日本人バックパッカー、アミの故郷・福島を目指す。

 

 

18年前の台湾の風景が、日本の90年代を思い出させて、それだけで郷愁に包まれて切ない気持ちになる。

ちょっと前のようだけど、すでに30年が経っているなんて、信じられないなあ。

 

人生は長い、と思う人と、人生は長いようでそうでもない、と思う人。

そんなふたりの間には、幅はそんなにないようでも、悲しいくらい深い溝がある。

 

例えば18歳の私は、人生は長いと思い、36歳の私は、人生は長いようでそうでもない、と知っていた。

18歳の私から見ると36歳の私はあまりに頑なで、暗く、用心深く見えるだろうし

36歳の私から見ると、18歳の私は、無知であほで、楽観的に過ぎるように見えるだろう。

でもその18歳の明るさに照らされて、36歳まで歩いていけたとも言える。

さらにその明るさは弱まりつつも、最後の時まで私の足元を照らしてくれるのだろう。

 

時の流れは、ささやかに見えて、人を替えるぐらいの、大きな力を持つ。

その力の1つとして、喪失を受け入れる、という力があるのだろう。

 

握りしめていると、見えなくなってしまうから、ちょっと手を緩めて、時々見返して、少しずつ、自分のなかに溶けていくのを見守る、という感じ。

そういうふうに喪失を、自分のなかに招きいれて、自分の一部にして生きてきたし、これからもそうしていけるといいな、と思った。