「木もれ陽の街で」 諸田 玲子
戦後の混乱も落ち着いてきた昭和26年、看護学校を卒業し、大手商社の医務室で働く小瀬公子は、東京・荻窪で父母と妹、二人の弟と暮らしていた。
ある日恩師の家を訪ね、恩師の甥の画家、片岡と言葉を交わす。
「~ことよ」というしゃべり言葉、正月のしきたりとか、近所にある与謝野晶子の生家とか、古き良き時代の描写に癒される。
私も昭和を生きてきたのに、まるで100年以上の昔のように感じて、時の流れの速さに驚いてしまう。
働く女性とは言え、公子は本当にいいとこのお嬢さん。
だからこそ、崩れた雰囲気の片岡に惹かれてしまうのだろうなあ。
そして片岡も、穢れを知らない公子に惹かれてしまうの、わかるなあ。
大抵の人は、自分のなかに壊したいものがあって、それをかなえてくれるのは、自分にはないものを持っている人、だとうすうすわかっているから、そういう相手を求めてしまうのかもしれない。
さらに戦後、という自由をようやく感じられるようになった時期でもあるし、おさえていた欲望が、価値観の変化とともに急激に膨らんでしまうということも、あったかもしれない。
戦前から戦中にかけ、疲労・二日酔い・乗り物酔いに効用ありと売り出されていたヒロポン(覚醒剤)が、戦後には中毒が問題になり販売されなくなったという。
戦争を挟んでのこういった価値観のどんでん返し、あれこれあるのだろうけど、人の心も同様に、大きくかき乱されたのだろうなあ、と思う。