「博士の愛した数式」  小川 洋子

 

 

1992年3月、私が家政婦協会から派遣されたのは、80分しか記憶がもたない男性の暮らす家だった。

男性は元数学者で、私の10歳の息子を「ルート」と呼んだ。

 

 

とまどいながらも徹底的に受容的態度で博士に接する「私」の対応に何度も涙がこみあげた。

家政婦だから、仕事だからというだけでは片付けられない。

「私」のもともと持つ素質なのか、育つ過程で身につくものなのか、その両方なのかはわからないが、「おもいやり」と呼んでかまわないものをごく自然に持っていたのだろう。

 

80分しか記憶がもたない病人、とレッテルを張り機械的に接するのではなく

この人は今こんな思いをしているのではないか、と想像することができる力は

誰かを愛するために、愛されるために、必要な力なのだろうと思う。