自分を愛すると決めた理由 | みんな、幸せになりたいだけでしょ

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【だから、私は私を愛すると決めたんだ】



「あなたの今日の一日は、昨日、どんなに生きたいと願っても生きられなかった人たちが恋焦がれた一日です。だから、大切に生きてください。」



そんなメッセージを
大学生の頃
何かの本で読んだ。


あの当時は
正直、よくわからなかったし
何より


「生きたくて、生きてるわけじゃないしな。死ねないから、生きてるだけだし」

と思っていた。



でも、45歳を超えて
やっと気がついた。



死にたいと思うことの
傲慢さと贅沢さに。



会計事務所時代
愛する奥さんや
小さな我が子を残して
旅立った人を見た。



ヒーラーになってから
大変な苦労をしたけど
そのことを伝えることで
人の役に立ちたいと
願いながら
旅立った人を見た。



もちろん
道半ばで行くことが
その人たちの
天命だったのかもしれない。



でも、その人たちの
気持ちを思うと

今生きている
この一日をもらった自分は
本当に恵まれているのだと思う。



そして、泣けてくる。







そんな話をするとさ
なかには


「といったって、望んで生まれてきたわけじゃないし」


という人もいると思う。



大学生の頃の私は
まさにそうだった。



でもね
立ち止まって
考えてみて欲しい。



確かに
生まれることを選んだ記憶も
生きることを選んだ記憶も
ないかもしれない。



だけど
生きてきたということは
自分を生かしてくれた
存在がいるということなんだ。



なぜなら、人間は
霞を食っては
生きられないから。



自分の命という可能性を
捧げてくれた
牛や豚や鶏や魚や

自分の子孫を
繋ぐという可能性を
捧げてくれた
米や野菜や果物や

時間という命を
捧げてくれた人たちや…


たくさんの存在の
献身によって
自分のこの「」は
できているんだ。



だから、自分が自分を
否定することは

それらの命、すべてを
否定することになるんだ。



たとえ、意識的に
気づいていなかったとしても
自分が生きるために

たくさんの可能性を
もらってきたという事実は
変わらないんだ。


知らなかったからといって
その責任から逃れることは
できないんだ。

 

じゃあ、自分はどうしたらいいんだ?


と思うかもしれない。



それは簡単だ。


もらった命に感謝すること。


そして自分以外の
数多の可能性の
総体である自分を
愛すること。


自分が貰った可能性を
使い切ること。


それでしか
たくさんの命の献身へ

報いる道はない。



だって考えてみて欲しい
例えば自分が
恐竜に食われたとして
その恐竜が

「いや、だって、俺、生きたいとか、思ってねぇし」

と、言ってるところを。



えぇーーッ‼️
じゃあ、なんで、私を食ったんだよ😫
食わなくても良かったじゃん😱



って思わない?




だから、私は
自分を愛することに
決めたんだ。



自分の命を
使い切ることに
決めたんだ。