MAG2 NEWS:なぜ、石破首相はクリスチャンであることをあまり口にしないのか?2024.10.25より転載します。
 
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https://www.mag2.com/p/news/626582
 
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石破茂首相がクリスチャンであることをご存じでしょうか? 政治にかかわる場所やメディアではその話はほとんど出ませんが、今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者である引地達也さんは、彼がクリスチャンであることを偶然知り、石破氏への見方を変えたと話しています。

クリスチャンの首相に滲む「天命」

原敬、片山哲、吉田茂、大平正芳、麻生太郎、そして石破茂─。

日本の宰相を務めたクリスチャンの方々に石破首相が加わった。

石破首相は選挙や国会、テレビのインタビューでは意図的なのか、宗教の話はしない。

しかし、キリスト教に関する登壇やインタビューでは、雄弁に信仰を語る。街頭演説やマスメディアへの対応の石破首相が広く出回っている中で、信仰を語る石破首相を見てこそ、宰相のパーソナリティがはじめて理解できるような気がする。

この理解はとても単純で、神の前では塵芥の存在であるわたしたちが政治を行うことの難しさを感じながら政治の世界に身を置いてきたかと思うと、その苦労に同情もしてしまう。

首相が自民党の傍流でいる時には許された信仰心ゆえの行動が、総裁となり、政府を率いて、国家を背負うことになった今、聖書の言葉は石破首相の心を支えると同時に、結果的に示された行動に国民の命運をかけることにもなる。

私が20代の頃、共同通信社の記者として鳥取支局に赴任した時、まずあいさつに出向いたのが、日本基督教団鳥取教会だった。

そこには知己の知り合いから、たずねるように進言された信者の方がいるとして、日曜礼拝に出かけ、牧師にあいさつをした。

私が記者だと告げると、牧師は「今日、石破さんは来ていない」との反応だったが、その時、石破代議士がクリスチャンだとは知らず、私は何を言っているか分からなかった。

話を進めていくと、そこが、石破氏が洗礼を受け、そして地元で通う教会だった。

当時、政治改革を訴える防衛オタクとの印象と、地元では自治大臣、県知事を務めた石破二朗氏の子息というブランドが突出していて、クリスチャンであることなど、それらの情報にかき消されていた(結局、私が日本基督教団鳥取教会を訪ねたのは間違いで、正確にはこの教会近くの別の教会が正解だった)。

この日以来、石破代議士という政治家を見る目が変わった。

日本の防衛力強化を唱えるメンタリティと、神の愛を信じ、平和主義と相性の良いクリスチャニティがどう共存しているかという目線で、である。

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一方で支援団体には父親が進行していた浄土宗系のものがあり、神道もある。

そして、選挙時には創価学会からの投票も確実に得ている。

これらすべての宗教とつながるクリスチャンの石破氏は、宗教を必要なものと考え、そして宗教への尊敬と信頼を捧げる思いが純粋にあるからこそ、現在も各団体と継続したつながりを維持しているのだと想像できる。

演説の話の中に出てくる寓話やたとえ話は、宗教人としての矜持が織り込まれていて、その世界観は政治家としては異質だった。

一方で、自民党以外の「外の世界」ではクリスチャンという宗教への敬愛の情は、他宗教を信じる人とも通底していた。

石破氏の母方の曽祖父は牧師、金森通倫(1857~1945年)であることはクリスチャンの間では有名だ。熊本洋学校の生徒でつくるキリスト教グループ「熊本バンド」のメンバーとして活動、同志社大を作った新島襄から洗礼を受けた。

各地で伝道活動を続けたが、最終的には洞窟で生活する「仙人」として知られた。

風変りな曾祖父だが、世間ずれしているところは石破首相もそうなのかもしれない。

魑魅魍魎とした政治の世界の中で、石破首相はどんな啓示を受けて自分がここにいると考えているのだろうか。

「天命」を授かりものとして全身全霊で受け止める姿は、政治家なのだろうか、宗教者なのだろうか。

最終的には首相も仙人になるのだろうか。

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障がいがある方でも学べる環境を提供する「みんなの大学校」学長として、ケアとメディアの融合を考える「ケアメディア」の理論と実践を目指す研究者としての視点で、ジャーナリスティックに社会の現象を考察します。

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