■老後貧乏になりたくなければ、落ちこぼれサラリーマンを目指せ。 | タマちゃんの暇つぶし

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マネーボイス:老後貧乏になりたくなければ、落ちこぼれサラリーマンを目指せ。資産形成に学歴や偏差値は関係ないという現実=神樹兵輔氏2024年5月27日より転載します。
 
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今回は「老後貧乏になりたくなければ、落ちこぼれサラリーマンを目指すべし!資産形成に学歴や偏差値は関係ないという現実」というテーマでお届けしたいと思います。日本では、入学試験の合格レベルに「偏差値」という尺度が使われることが多く、それが敷衍(ふえん)して、さまざまな分野でも用いられるようになっています。いわく企業の入社偏差値、給与や年収の偏差値といった案配です。顔面偏差値という場合もあるようです。しかし、「高学歴」や「高偏差値」は、学校時代の物差しにすぎません。そんな過去のプライドにこだわっていると、社会人になってからの上手な世渡りが出来なくなるのです。(『 神樹兵輔の衰退ニッポンの暗黒地図――政治・経済・社会・マネー・投資の闇をえぐる! 』)

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※本記事は有料メルマガ『神樹兵輔の衰退ニッポンの暗黒地図――政治・経済・社会・マネー・投資の闇をえぐる!』2024年5月27日号の一部抜粋です。ご興味を持たれた方はぜひこの機会に今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:神樹兵輔(かみき へいすけ)
投資コンサルタント&マネーアナリスト。富裕層向けに「海外投資懇話会」を主宰し、金融・為替・不動産投資情報を提供。著書に『眠れなくなるほど面白い 図解 経済の話』 『面白いほどよくわかる最新経済のしくみ』(日本文芸社)、『経済のカラクリ』 (祥伝社)、『見るだけでわかるピケティ超図解――21世紀の資本完全マスター』 (フォレスト出版)、『知らないとソンする! 価格と儲けのカラクリ』(高橋書店)など著書多数。

学歴や偏差値は人生の役に立つか?

日本では、入学試験の合格レベルに「偏差値」という尺度が使われることが多く、それが敷衍(ふえん)して、さまざまな分野でも用いられるようになっています。

いわく企業の入社偏差値、給与や年収の偏差値といった案配です。顔面偏差値という場合もあるようです。

言うまでもなく、偏差値は、50が平均で標準値になります。

それ以上の値ならば上出来、それ以下ならちょっと困る……といった物差し代わりになるわけです。

ところで、この学歴や偏差値は、人生の道のりにおいて、どれだけ役に立つのでしょうか。

大学受験の医学部入試などでは、偏差値70前後ないと、合格は難しい――と言われますが、医師などの難関国家資格取得が前提での学力が必要とされるケースを除いては、あまり意味があるとは思えません。

世の中に出てしまうと、偏差値でその人物の能力を推し量るというようなことが、ほとんどなくなるからです。

もちろん、新卒で一流有名大企業に入るためには、高偏差値の大学を出たほうが有利――といった社会人スタート時点での選別はあるようですが、それが一生涯に及ぶ人生を決定づけることはほぼないでしょう。

なぜなら、しょせんは人に雇われるサラリーマンの身分である限り、組織の中での競争原理にさらされて、「椅子取りゲーム」に翻弄させられるのが関の山だからです。

筆者自身の卑近な例でも、上場企業を含め、日本企業や米国資本の企業をいくつも転職するサラリーマン生活を27年ほど務めましたが、50歳で会社員を卒業して自由人になった時に自分の人生を振り返って、「サラリーマン時代は束縛が多くてあまりにも自由がなかったなぁ…」というのが実感だったからです。

もちろん、筆者独自の「価値観」を読者の皆様に押し付ける気はありませんが、多くの60歳で定年退職した人たちの話を聴いてみても、概ね筆者と変わらないような感慨を持つ人が実に多い――というのは共感するところなのです。

そして、一般的には60歳の定年年齢を元気で迎え、ハッと覚醒した時に、その後の長い人生を「どうやって過ごそうか…」「あと5年後の65歳から受給できる年金だけではとても生活費に足りなさそうだけど、どうしようかなぁ…」などといって、途方に暮れる思いに浸る人たちのほうが圧倒的に多いのです。

いま、現役のサラリーマンとして働いている方、特に20代、30代、といった若い年代の方々は、こういう長い人生後半についても、今のうちからしっかり考えておいたほうがよいでしょう。

人生は長いようでいて、短いものだからです。

とりわけ、20代・30代の若い人たちは、現在サラリーマンの組織社会で、無我夢中に働かざるをえない忙しい立場でしょうが、そのまま10年、20年と会社の仕事を続けていて「何が」得られるのか――ということをよーく考えたほうがよいのです。

たとえば、自分の会社の40代上司や50代上司の顔ぶれを見てみましょう。

そして彼らの現実の姿と自分の将来の姿を、客観的に二重写しにしてみるのでもよいのです。どれだけ、希望と夢があるでしょうか。

はたして現在のあなたは、10年後〜20年後に、自分の会社の40代・50代の上司のようになりたいでしょうか。

そう考えた時、それがあなたの「今後の人生」を考える上での大きなターニングポイントになる可能性がある――といってよいわけです。

Next: 高学歴&高偏差値パラドクスが人生の足かせになってきた現実

「高学歴パラドクス」「高偏差値パラドクス」が人生の足かせになってきた現実

「高学歴パラドクス」や「高偏差値パラドクス」といった言葉を聞いたことはないでしょうか。

実は、世の中に、こうした「パラドクス(逆説)」にとらわれ、弄ばれ、不本意な人生を送る羽目に陥った人たちは大勢います。

むしろ、低学歴の人たちのほうが、のびのびとした自由を謳歌して、高収入を得られるようになった事例のほうが多いのです。

これは「低学歴パラドクス」と呼んでも差し支えないでしょう。

「落ちこぼれ」と蔑まれるぐらいのレベルの地位に身を置いた人のほうが、世の中では成功して、幸福を実感している人のほうが多いのが実際なのです。

大企業で社畜になって、自分の人生の時間の大部分を消耗する生活では、「余裕が生まれない」からなのでしょう。

たとえ給料が平均より安くても、自由に使える個人的時間が多いほど、高収入を得るチャンスや効率のよい投資に出会える場面は多くなるからです。

ちょっとぐらい平均より高い収入を得て、大企業で朝から晩まで社畜を続ける生活よりは、たとえ給料が低くても中小企業や零細企業で、「余裕」のある生活を送っている人のほうが、「人生の気づき」が多くなり、「ちょっと、こういうこともやってみようかな」という人生成功への導火線に数々恵まれるから――と言ってもよいわけです。

実際そういう人のほうが私自身の周囲には多いのです。

定年まで大企業で働いてきた人たちのほうが、現在は貧困老後といってもよい状況――なのは、どういうことでしょうか。

なぜ、高齢者になってから、「幸・不幸の逆転現象」が多く見られる現実があるのか――と言えば、「高学歴信仰」の呪縛にいつまでも囚われてしまった人が、世の中にはあまりにも多いからです。

子供の頃から、「しっかり勉強して、いい学校を出れば、将来は安定した有名大企業に入れて、給料も沢山貰えて、人生が安定する」などといった神話に毒されて育ってしまったからでしょう。

繰り返しますが、大企業だろうが、サラリーマンという勤め人である限り、生涯収入などタカが知れているのです。

一生涯カツカツです。

まず、第一に認識しておくべきは、「高学歴=お金が稼げる」ということとは一致していません。

これは、ちょっと考えれば当たり前すぎる話でもあるしょう。

しょせん、サラリーマンとしての収入の多寡は、そこそこ知れているからです。しかし、残念ながら、そこを勘違いしている人が多いのです。

当然のことですが、勉強ができる人が、会社での仕事もできる――とは限りません。

仕事は目前の課題を周囲の人たちとコミュニケーションしながら解決していく能力が問われます。

求められる能力は勉強とは異なるのです。

世の中には、大学院の博士課程を出ても、どこからも及びのかからないオーバードクターが溢れている――とはよく聞く話です。

勉強が好きとか、勉強が出来ても、仕事に使える能力でなければ社会にとっては、不要だからなのです。

また、一流有名大学を卒業した人たちは、競って一流大企業に就職しようとするでしょう。

しかし、そこに待っているのは、「椅子取りゲーム」の競争社会です。

遮二無二働かされる社畜となって激務に耐えても、やがてそれに見合った「昇格・昇給」というご褒美が貰えるかどうかも、はなはだ不確かな世界なのです。

ゴールの見えないラットレースを強いられて、途中で身も心もボロボロになって脱落する人もあとを絶たないでしょう。

勉強だけで、評価を得てきた人には、耐えがたい試練となってしまうだけなのです。

家には寝に帰るだけの社畜を続け、肝心の家庭生活が破綻する人も大勢います。

あまり人気のない業種や会社に入るほうが、競争の少ないブルーオーシャンとなり、相対的に評価されるチャンスも高いのに、プライドが邪魔をするのか、高学歴、高偏差値の人たちは、あえてレッドオーシャンの大企業の海に飛び込みたがるから不思議なのです。

つまり、こうした高学歴で高偏差値の人は、「度胸」もないのです。

ゆえに、いつまでも、つらくても大企業という看板にしがみつきたがります。

なまじ、頭だけは小賢しくはたらくために、さまざまなリスクを用心深く考えてしまうからです。リスクの過大評価です。

ゆえに、目の前によいチャンスが訪れても、収入が安定的な大企業勤務の属性と、自由社会でのリスクを天秤にかけるため、臆病になりがちで、せっかくのチャンスを逃すことも多くなるのです。

公務員や大企業に就職してしまうと、その傾向がより高まるわけです。

一見安定しているかに見える大企業勤務の既得権益を手放すことに抵抗があり、アクションを起こすことができなくなるのです。

しかし、それも50代を迎えれば、今日では「役職定年制度」で役職を外され、給与も激減します。

ロートルは要らない――という露骨な差別的待遇が待っているのにです。

失敗しても、「人生には敗者復活」という道もある――といった人生観における臨機応変な柔軟性がないわけです。

こうして、「高学歴パラドクス」「高偏差値パラドクス」の中で、もがき苦しみながら、貴重な人生を苦渋に満ちた生き方で過ごしがちになるのです。

これでは、たった一度の貴重な人生の使い方としては、非常にもったいないでしょう。

サラリーマンの生涯収入はあほらしいほど少ない

ユースフル労働統計によれば、大卒の男性で一般企業に入り、定年まで勤めた場合の生涯収入は、2億9,000万円程度とされています。この金額でさえ、日本の場合は年々縮小気味です。

しかし、実際には企業規模や、転職のアル・ナシなどで、大卒男性の生涯収入はさらに少なく、2億円そこそこといったケースも多いのです。

こうなると、高卒男性の生涯収入である2億6,000万円前後よりも少なかったりと、さほど変わらないような状況でもあるでしょう。

おまけに、総務省の家計調査で見ると、夫婦2人以上の勤労者世帯で、25歳〜60歳の消費支出は、ざっと1億9,000万円です。

2億9,000万円の生涯収入があったとしても、税金や社会保険料が引かれれば、実質7割の可処分所得(自由に使えるお金)となって、手取りはたったの2億300万円そこそこです。

2億300万円の手取り生涯収入から、消費支出1億9,000万円を引き算すれば、手取りはわずかに1,300万円です。

こんな状況ですから、カツカツの生活で貯蓄もしなければならないものの、その貯蓄さえ出来ないケースも多いでしょう。

かくして60歳から年金支給の65歳までの無職・無給期間を経ると、貧困老後に陥る人が続出します。

安いアルバイトで糊口をしのぐよりないのです(60歳〜65歳就業率71.5%、65歳〜69歳同50.3%、70歳〜74歳同33.5%)。

実際、各世代別の平均貯蓄額を見ても、「貯蓄ゼロ世帯」が、大体2〜3割程度占めているのが現状だからです。

ちなみに、60歳で退職金を1,500万円程度得たとしても、60歳から85歳までの消費支出は、家計調査で約8,100万円とされていますから、とうてい足りるものではありません。

たとえ年金収入(基礎年金を含む厚生年金受給額平均約14.5万円)があっても、60歳から85歳までの25年間の消費支出には、これではまだ4,350万円も不足するからです。

人生の成功は「タイミング」と「ポジショニング」が得られる「偶発性のチャンス」がある環境を選ぶことに尽きる

では、どうやって、人生の成功をつかみ、老後の安心でもある経済的な安定を得たらよいのでしょうか。

人は、人生のいくつかの場面で、「才能の目利き」に出会います。

「きみ、これを本気でやってみる気はないか?」などと言われる場面のことです。

自分の思いもよらない才能を見抜かれた瞬間といってもよいでしょう。

あるいは、「好きなこと」を、他人から高評価されて気づく場面もあるでしょう。

あなたにも、きっと過去にそうした瞬間が、何度も訪れていたのではないでしょうか。

これが、「人生の幕開け」になることが意外にも多いのです。

副業にしろ、転職にしろ、独立開業、投資にしろ、しかりなのです。

そのことで、人生が急激に好転した――という人はけっして少なくないのです。

これこそが、社畜から逃れる、成功のチャンスであり、幸福な人生幕開けの糸口をつかんだ瞬間なのです。

こうした「偶然のような幸運」が、実は世の中ではよくあることなのです。

スタンフォード大学心理学部のJ・D・クランボルツ教授たちが、1999年に発表して注目されたのが計画された偶発性という「人生を成功に導くための理論(計画的偶発性理論・PlannedHappenstanceTheory)」でした。

クランボルツ教授たちは、世の中で大成功した人たち数百人を対象に、成功の要因を徹底分析したのでした。

その結果、驚くべきことに成功者の約8割の人が、自分の成功は「予期せぬ偶然によってもたらされた」という認識だったのです。

自分に特別な能力があったからとか、頑張って努力したから――といった回答が多いことが予想されたのですが、結果はそうではなかったのです。

人生の成功は、予期せぬ偶然によって8割が形成されるのです。

ただし、その偶然をただ待つのではなく、よい偶然に巡り合えるように行動して偶然に近づき、その結果得られた偶然を活用して努力すれば大成功がもたらされる――ということに他ならないわけです。

「タイミング」と「ポジショニング」が得られる環境に身をおく重要性です。

自分に偶発性のチャンスがもたらされそうな場所をこそ、自分に提供してやらなければいけないのです。

Next: サラリーマン根性を捨てる「勇気」が人生を切り拓く

「小さな人生の幸福発見」も「世紀の大発見」も、しょせんは「偶発性のチャンス」の近くにいたから実現した

世紀の大発見も、「偶発性のチャンス」が呼び込んでいます。

●世界初の抗生物質ペニシリンは、1928年に英国の研究者アレクサンダー・フレミングが実験中にクシャミをし、飛んだアオカビが、ブドウ球菌の入ったシャーレに落ち、ブドウ球菌が溶けたように見えた――のが端緒でした(実際は球菌の発育を阻害)。

●電子レンジの発明は、1945年、米国企業のレーダー技術者パーシ─・スペンサーが、レーダー操作中にポケットのチョコバーが溶けた事実に気づいたことがキッカケでした。

●錆びない金属ステンレス鋼の発明は、1912年、英国の技術者ハリー・ブレアリーが合金の失敗作として放置した、クロムを混ぜた鉄が錆びないのを見つけたのが端緒です。

●ニトログリセリンは危険物質ですが、1866年ノーベルが、液漏れし沁み込んだ梱包材を見て、何かに吸収させれば危険でないと気づき、ダイナマイトを発明しています。

特別、私たちの場合は、こんな大発見につながらなくてもよいのです。

自分に人生の「楽しみ」「よろこび」「やりがい」が与えられる環境にいればこそ、いずれかのチャンスがつかめることを、クランボルツ教授の研究は教えてくれているわけです。

クランボルツ教授は、「偶発性のチャンス」を呼び寄せる5つの指針を提唱しています。

★好奇心……絶えず新しい学びの機会を求める。

★持続性……失敗にめげず継続する。

★楽観性……次の機会に賭けるポジティブな楽観性をもつ。

 

★柔軟性……こだわりを捨て、自分の信念や態度、行動も柔軟に変えてみる。

★冒険心……結果がどうあれ、リスクを恐れず、行動に移してみる。

どんな場合であっても、「これ、面白いかもね…」「これ、好きなんだもんね…」といったノリのよさが大事なのだ――と説いています。

「高学歴」や「高偏差値」は、学校時代の物差しにすぎません。

そんな過去のプライドにこだわっていると、社会人になってからの上手な世渡りが出来なくなるのです。

もっと身軽に、もっと貪欲に、人生をゲームのように割り切って生きていくほうが、きっと実り豊かな、魅力的な人生発見につながることでしょう。

サラリーマン根性を捨てる「勇気」をもつことこそが、人生の飛躍にも役立ちます。

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神樹兵輔の衰退ニッポンの暗黒地図――政治・経済・社会・マネー・投資の闇をえぐる! 』(2024年5月27日号)より一部抜粋

※タイトル・見出しはMONEY VOICE編集部による
 
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