■22年ぶりに解き放たれる安倍晋三の呪縛。北朝鮮「拉致被害者家族」 | タマちゃんの暇つぶし

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MAG2 NEWS:22年ぶりに解き放たれる安倍晋三の呪縛。北朝鮮「拉致被害者家族」が明かした、右派政治家たちの本音と“救う会”の真実2024.05.21より転載します。
 
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https://www.mag2.com/p/news/599307
 
th20240520
 

未だ解決を見ない、北朝鮮による日本人拉致問題。膠着状態が続く中にあって、今年4月に上梓されたとある一冊の本が話題となっています。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』では著者でジャーナリストの高野さんが、東大名誉教授の和田春樹氏が編著を務めた拉致問題の「本質」に迫る書籍の内容を紹介。拉致被害者家族が本書に綴った衝撃的な「家族会の真実」を引くとともに、当問題を利用し国民を騙し続けた故・安倍晋三元首相に対して批判的な目を向けています。

 

※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:和田春樹編著『北朝鮮拉致問題の解決』がいま話題/もういい加減に安倍晋三の呪縛を打ち破らないと!

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

もういい加減に安倍晋三の呪縛を打ち破らないと。『北朝鮮拉致問題の解決』が話題の理由

死者に鞭打つようなことはなるべくしたくないのだが、前にも述べたように、今日この国で起きている悪いことのほとんど全ては安倍晋三(とそのエピゴーネンでしかない菅義偉と岸田文雄)のせいであって、北朝鮮による拉致問題がいつまで経っても何の進展もないまま膠着し、国民的関心事としてほとんど朽ち果てようとしていることも、またその1つである。

和田春樹の編著、田中均・福澤真由美・蓮池透・有田芳生の執筆参加による『北朝鮮拉致問題の解決/膠着を破る鍵とは何か』(岩波書店、24年3月刊)が最近話題となっているのは、この問題の「安倍的歪曲」の誤謬というか錯乱の罪について早くから批判してきた著者たちが一堂に会して、安倍とそれを操っていた「現代コリア」=救う会への遠慮も忖度もなしに率直に事の本質を語っているからで、ここにこの問題を安倍の呪縛から解き放って、22年ぶりに正しい軌道に乗せ直すための手がかりがある。

展開された北朝鮮への憎悪を掻き立てるキャンペーン

5月15日付毎日新聞夕刊「特集ワイド」は第2面の大半を割いて、日本テレビ報道局記者として拉致問題を長く取材してきた福澤真由美をインタビューしている。福澤は上掲書の第4章「拉致された人々を取材して/知られざるその肉声から見えるもの」を担当し、その中で特に、04年11月に北朝鮮側から提供された横田めぐみさんの骨壷には、焼かれた遺骨と共に「本人のものとみられる歯」が入っていたこと、同時に渡されためぐみさんのものとされる分厚いカルテの治療データともその歯は符合していたことを明かしている。

周知にように、めぐみさんの遺骨は焼かれて墓に埋められていたものを掘り出して送られてきた。それを2つに分け、警察庁科学警察研究所(科捜研)と帝京大でDNA鑑定したところ、科捜研では「DNAを検出できず」、帝京大では「めぐみさん本人のものでない別の2人のDNAを検出」という結果となった。帝京大でこれを担当した法医学研究室講師の吉井富夫は英科学雑誌『ネイチャー』に「火葬された標本の鑑定は初めてで、今回の鑑定は断定的なものとは言えない」と語っており、また当時、専門家の間でも「めぐみさんの骨が焼かれた後にそれに別の2人が触れたという可能性もある」との指摘があったが、時の小泉純一郎内閣の官房長官=細田博之は「めぐみさんのものではなく、他人の骨であることが判明した」と発表。それを受けて「救う会」などは「北朝鮮は偽物の骨を寄越した」と、北への憎悪を掻き立てるキャンペーンを展開した。当然、記者たちは真相を探ろうとしたが、当の吉井は数カ月後に警視庁科捜研の法医科長に転職し、公務員の守秘義務を口実に一切の取材に応じなかった。

問題解決と報道の制約となる「安倍3原則」という虚構

このこと自体が、遺骨についての真実を覆い隠そうとする力が働いたのではないかと疑わせるものだったが、今なお謎のままである。加えて、今回福澤が「私も『覚悟』を決めて明かしました」と毎日インタビューに答えているのが「歯」の存在で、これもめぐみさんが既に亡くなっているという北側の説明を裏付けることになるかもしれないものであったけれども、少なくとも当時は関係者が一様にその存在そのものを否定し、このことも闇に葬られた。

なぜ今になってこのことを公にしたのかと問われて、福澤は、「日本政府の拉致問題対策は、『安倍3原則』とも呼ばれる『拉致3原則』に従っている」ので「テレビでも新聞でも報道には実は多くの制約がある。タブーと言ってもいい。3原則に疑いを抱かせるものは、なかなか報じられないのが実情です。逆に言えば、メディアも『政治』と一体になって国民に向けて3原則を『定説化』するような報道をしてきたのではないか、とすら思います」と答えている。

「安倍3原則」とは、こうしたプロセスの中で、めぐみさんらが「死亡したという証拠はない」→「生存している可能性が高いという前提で帰国を要求する」→「全員が生存しているのに北は嘘をついている」という具合に表現がエスカレートして行った挙句、安倍が06年9月第1次安倍政権を発足させると共に、「拉致問題担当大臣」「拉致問題担当総理補佐官」を新設、首相自身を長として全閣僚をメンバーとする「拉致問題対策本部」を立ち上げ、その基本方針として国策化されたものである。

  1. 拉致問題はわが国の最重要課題である。
  2. 拉致問題の解決なくして日朝国交正常化なし。
  3. 被害者は全員生存しており、即時一括帰国を求める。

もちろん、横田さん夫妻をはじめ「家族会」の方々が「死亡したという明白な証拠がない以上、生きていると信じて運動を続けていく」と考えるのは当然のことであるけれども、それはあくまで「運動」の原理であり、そのまま政府の「外交」の方針とはなり得ない。だから北との交渉は完全に行き詰まり、上掲書で和田春樹が言う通り「久しい間、首相以下政府閣僚は、胸に『救う会』のブルーリボン・バッジをつける以外のことをしていない」有様となった。ブルーリボン・バッジは今では「家族会」の中からも「やってるふりバッジ」と揶揄されているというのに、岸田文雄首相も含め恥ずかしげもなくそれを胸に飾っているのである。

「拉致被害者救出ではなく北朝鮮打倒」が目的の救う会

上掲書には、福澤の章だけでなくどの章もが大事な内容を含んでいる。編著者の和田春樹は、第1章で「日朝国交交渉と拉致問題の経緯」を要領よく整理してまとめた後、第2章では「拉致問題の真実とその解決の道」と題して、特にその第3節「拉致被害者の運命/北朝鮮における生と死を考える」では、本人の弁によれば「これまでタブー視されてきた拉致被害者の生死問題に立ち入って論じている」(はしがき)。これも、安倍3原則の第3項への正面切った挑戦である。

02年の小泉訪朝時に北が認めた拉致被害者は13人で(日本側が指摘する他の2人については「入境」の事実を認めていない)そのうち8人は既に死亡したとしていた。和田はこれらの8人と「入境していない」とされる2人について、これまでに伝えられた消息情報を吟味し、北側の発表をどこまで信じられるかを判定している。詳しくは本書を読んで頂きたい。

また蓮池透は第5章「救う会と家族会の20年/「救出」から「北朝鮮打倒」への変質を問う」を書き、自らが家族会の事務局を追い出される至った経過を述べつつ、次のように述べていて印象的である。

残念なことだが、最近思うのは、家族会は本当に救出を望んでいるのだろうか、ということだ。私は首をかしげざるを得ない。少なくとも救う会の目的は、「救出ではなくて北朝鮮打倒」だ。また、右派の政治家たちにとって拉致は、日本が持っている唯一の「被害国カード」なのである。日本が植民地支配をした歴史について「加害国」と言われることへのカウンターとして「拉致問題で日本は被害国」だと言い立てる。だからこのカードは、絶対に手放したくないのだ。救う会も特定失踪者問題調査会も同様だ。拉致問題は未解決のまま長続きした方がいい。なぜなら、拉致問題が彼らの生業だからなのだ。

安倍が総理に上り詰め長く政権を維持することが出来た大きな要因の一つは、「拉致問題で勇ましく戦う指導者」という幻影を巧みに利用して家族会のみならず国民を騙し続けたことにあった。今やブルーの「やっているふりバッジ」を安倍とその追随者たちの胸から引き剥がすべき時である。

(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2024年5月20日号より一部抜粋・文中敬称略。ご興味をお持ちの方はご登録の上お楽しみください。初月無料です)

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image by: 首相官邸
 

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早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。


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