■熊脂 | タマちゃんの暇つぶし

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2024/02/14 JAの直売店を覗いたら、珍しい「熊脂」が有り、即購入しました。風袋込100g瓶入り(内容量不明)、ラベルは熊の影絵と「熊脂」の文字のみとシンプル、値札ラベルには生産者と販売店:JAあがつまの住所と電話番号と値段;1,500円(税込み)と表示されていた。

何所で獲れたのかと聞くと、ここ「地元」ですよ。とのこと、「熊脂」を見つけた人はラッキー。即購入しませう!

アマゾン;
1,熊の脂(熊のあぶら 15g、¥1,500+送料、成分:無添加、純度100%
2,熊の油20g ¥3,100 税込 、無料配送、成分:熊の脂肪、凝固剤

ヤフーショッピング;無

楽天市場;
1,羆脂(ひぐまあぶら)北海道産、天然100%、希少な熊のあぶら、20g入 1瓶2,750円+送料(クール便)
2,熊の油20g入り1個、3,120円、送料無料、成分 熊の脂肪、凝固剤

*おいら的には「馬油」よりも効果大と感じました。
・純粋な脂は気温15度Cでは固まってるが体温ですぐに溶解し、肌に浸透します。
・消費期限は確りキャップして、冷蔵庫に保管しておけば数年はOKです(おいら的に5年以上)。
・何時もある商品ではないので、見かけたら予備を購入するつもりです。
 

薬効大の熊脂!、お次は熊胆(ゆうたん)の出番です。ということで、

BEARS JAPAN:熊胆!! Vol.17 No.3(36頁) 2017. Mar.より抜粋します。

貼り付け開始、

https://www.japanbear.org/wp/wp-content/uploads/2017/04/BearsJapan_vol17-3-1.pdf

熊胆!!「ゆうたん」って、聞いたことありますか?「くまのい」の方がピンと来る方が多いかもしれませんね。主に薬として使われていますが、その利用を巡っては、いろいろな課題があるようです。歴史や文化、需要、動物福祉や持続可能な利用などなど、いろいろな背景や考え方があり、すぐに課題を解決できるかというと難しい部分もありますが、なにごともまずは知ることから!本特集では熊胆について様々な角度から迫ってみます。

きほんのき! 熊胆って?~生理学編~
 熊胆はクマの体の一部!なんといっても臓器としての熊胆を知ることが基本中の基本ではないでしょうか。北海道大学大学院獣医学研究科の坪田敏男先生に生理学的側面から熊胆についてご説明いただきました!

―― ずばり、熊胆とはクマのどの部分なのですか?
「胆のう」です。肝臓にくっついている袋状の臓器です。胆のうには、消化・吸収を助けるための胆汁(液)が貯まっています。この胆汁成分を作っているのが肝臓ですので、肝臓と胆のうは隣接しているのです。

―― 読んで字の如くですね!では、胆のう・胆汁はどんなときに、どんなはたらきをするんですか?
 胆のうから必要に応じて胆汁が放出されます。ふだん食事(採食)をしていない時には、胆汁の出口が閉じていて、胆のうに胆汁が貯まっていますが、食事(採食)をすると出口が開いて十二指腸(小腸)に胆汁が放出されます。胆汁には、主に脂肪の吸収を助ける胆汁酸(グリココール酸やタウロコール酸など)が含まれています。クマの胆汁にはクマ特有の胆汁酸(代謝物)が含まれていて、これが医薬品としての有効成分となっています。

―― 消化を助けるはたらきをしているんですね。ところで、熊胆は春のものが良いと聞いたことがあるのですが、それはなぜでしょう?熊胆には春だけ何か特別な成分が入っているのでしょうか?
 春は冬眠明け時期に相当するので、まだほとんど採食をしていません。したがって、脂肪吸収のために胆汁を使う必要がなく、たっぷりと胆汁が胆のうに貯まっています。ひと冬の間、クマは絶食していますので、胆のうには胆汁成分がたっぷり詰まっています。ですから、なおのこと価値が高いのでしょう。逆に、秋は飽食している時期で、脂肪吸収のために胆汁がどんどん動員されていますので、胆のうには十分な胆汁が貯まっていないのです。

―― 採食すると胆汁を消費してしまうから、ほとんど食べていない春の胆のうが良いということだったんですね。胆のう・胆汁がナニモノなのか、解説いただきありがとうございました!

きほんのき!熊胆って?~歴史・文化編~
 続いては歴史的・文化的な側面から熊胆に迫ってみます!日本人と熊胆の付き合いは長いのです。熊胆の歴史について、マタギ文化に詳しい東北芸術工科大学の田口洋美先生にお話を伺いました!

――熊胆と日本人は長い付き合いだそうですが、いつ頃から使われてきたのでしょうか?
 現在までに分かっている限りでは、熊胆に関する記録は、南部藩の『雑書』に記載されたものが最も古い記録です。寛永21(1644)年に熊胆と熊の毛皮の上納について記されています。また「またき」というマタギの初出も同年のことです。次いで、弘前藩の日記『弘前藩庁御国日記』(弘前市立図書館蔵)では、日記が記載されはじめた寛文4(1664)年から熊胆の調達や上納に関する記録が出はじめます。南部藩と同様に「またき」の記載もこの年からはじまっています。弘前藩では、元禄2(1689)年6月11日の条にクマを捕獲した猟師が36名記録されていて、計48個の熊胆が藩に納められています。とくに貞享年間〜元禄年間(1687〜1689)の間に熊胆の上納が頻繁に出てきますから、武家社会においては17世紀初頭から熊胆の使用は確認できるということになります。ただし、庶民がこれを利用するようになるのは18世紀以降、1700年代から1800年代になります。

 ちなみに、近世末期、天保12(1841)年に刊行された鈴木牧之の『北越雪譜』第二編のなかには「一熊を得ればその皮と胆と大小にもしたがえども、大かたは金五両以上にいたるゆえ猟師の欲るなり」(鈴木 1936:213)とあり、冬期間に捕獲したクマは倍の価値があり(冬期間においては毛皮の質が向上し、熊胆は質、量ともに格段の価値を有した)、猟師たちは銘々分配するので利益は薄くなるが、これを果敢に捕獲するのだと記しています。『北越雪譜』が出された天保12年といえば、長野県の秋山郷に秋田マタギが定着したと考えられる文政期から10年ほど後のことで、その時代にクマが大きな市場的価値を有していて、これを捕獲するために旅マタギ(出稼ぎ狩猟者、文献ではマタギ商売)が存在していたことを裏付けています。

―― なんと!少なくとも370年も前から日本人は熊胆と付き合ってきているとは…びっくりです。上納されていたとか、マタギが商売になっていたとか、経済的に重要な役割を担っていたのですね。ではその熊胆、何のために、どんな風に、使われていたのでしょうか?
 熊胆は朝鮮人参と並んで、近世末期には最高級の医薬品であったわけで、万能の薬とも言われました。熊胆は消化器系に効くとされ、朝鮮人参は肺炎や結核など呼吸器系にも良薬として用いられましたが、実際には滋養強壮剤としての効用があったと言われています。

 面白いのは、マタギなどに伝承されている薬効に、湿布剤としての利用があります。打ち身、捻挫、打撲、骨折等の時に、トチの実(生のまま)を摺り下ろし、熊胆と木灰とを混ぜ合わせ、これをトチの葉やヤマブドウの葉、あるいは布に塗りつけて患部に当てるというものです。今で言う湿布薬として用いたのです。このトチの実と熊胆を混ぜ合わせて湿布薬にしたものを新潟県の三面集落では「あいす」と呼んでいました。このような使い方は秋田マタギにも伝承されており、近世末期の山間集落では知られていた民間療法の一つであったようです。

―― 湿布薬としての使い方も…!?興味深いですね。少し話は逸れますが、クマは胆のう以外にも薬として使われた部分はあるのでしょうか。ぜひ教えてください。
 クマから得られる資源で重要だったのは、脂でした。クマの脂は火傷に効くと言われ、必ず一家に一瓶はストックされていたと言われています。また、アカギレや乾燥肌にも効用があると言われ、明治期まではかなりの需要があったと言われています。中・近世社会では脂は貴重なもので、クマの脂を入手することは極めて難しく、希少資源として価値を有したと言われています。ただクマの脂については文献にも記載がなく、伝承のみの情報となります。

 ロシア極東の先住民族は、このクマの脂を希少資源として位置付けていて、クマを捕獲した際に行われるクマまつり(オプニレ型*aの狩りグマ儀礼)では、クマの脂を溶かして飲み合うということが頻繁に行われていました。クマの脂は、薬用だけではなく食用脂としても使用されていました。極東地域には菜種やイラクサなどから油を採るということも知られていましたが、北方帯の植生が卓越するアムール川河口以北のツンドラタイガになるとクマの脂や魚油ぐらいしかなく、クマの脂は極めて希少価値を有していたと言われています。

―― 熊の油ですね!それなら見たことあります。国内のクマ牧場や、地域によっては道の駅なんかで今でも売られていますよね。他にも利用されてきた部分はありますか?
 クマの小腸を乾燥したもので「おび(帯)」と呼ばれたものがあり、これは腹痛や下痢などの症状に効くと言われ、煎じ薬として用いられていました。この他に、クマの骨が神経痛に効くといわれており、生のまま骨を削って食べたり、黒焼きにして煎じて飲んだりと、クマは内臓から骨まで余すところなく消費されていました。

―― クマは余すところなく利用されていたのですね。昔の日本人にとってはありがたい資源だったのでしょうね。日本人が動物をどんな風に利用してきたのか、興味が沸いてきました。少し脱線してしまいますが、クマ以外の動物の利用についても教えてください。
 カモシカの骨の利用もありました。カモシカの骨は焼いて粉状にして利用したのですが、燃焼させるか不完全燃焼させるかで、白焼と黒焼きの二色に分けられました。白焼にしたものは女性の冷え性に効くと言われ、黒焼きは生理痛、腰痛に効くと言われています。
 
*a アイヌ民族の行う「イヨマンテ」はクマの魂をカミの国に送る儀式として比較的よく知られていますが、このような「送り」は北方ユーラシアから北米にかけての狩猟採集民社会に普遍的に見られます。「送り」は大きく2つのタイプに分けられます。子グマを生け捕りにして数年間飼育したあとに行うのが「オマンテ型」で、一方、クマを捕獲したときに行うのが「オプニレ型」です。
 

 この他に「三猴焼(サンコウヤキ)」と呼ばれるものもあり、特に猿の頭部を黒焼きにしたものが婦人病に効くとされ、昭和30年代まで取引があったと言われています。中には、太平洋戦争後ですが、ニホンザルが希少となり、ムササビを捕らえてこれの頭部を黒焼きにして、猿猴焼と言って偽って売っていたという話もあります。それほどに需要があったと言うことでもあります。

 近世末期から盛んに行われていた秋田マタギによる旅マタギは、このような受容性の高さから換金交換を前提として営まれていたと想定されます。そして佐竹藩の古文書などに登場する「又鬼商売」という語は、この旅マタギを指しており、当時旅マタギは売薬行商を兼ねていたと考えられます。

―― ほんとうにいろいろな動物が利用されてきたんですね。まだまだ他にもありそうですが、この辺で熊胆の話に戻りまして…。大事な薬として重宝されてきた熊胆、どのくらいの価値があったのでしょうか。
 すでに故人となられましたが、長野県下水内郡栄村秋山郷の福原初吉さんが、生前語ってくれた話が実に興味深いのです。それは、昭和13(1938)年に冬働き(出稼ぎ)で東京の工場に出るのに、汽車賃が当時5円かかり、5ヶ月働いて25円の給料をもらって秋山郷へ帰ってきたそうです。すると丁度春のクマ狩りの季節で、穴に入ったクマを見つけたのでお前も来いと言われ、クマ狩りに付いて行ったら、本当にクマが1頭獲れたそうです。このクマ1頭の1人分の分け前が肉2貫目(1貫目=3.75kg)と毛皮とクマの胆の売却収益による75円であったというのです。たった1日クマ狩りに参加しただけで、東京で5ヶ月かけて得た給料の3倍の金額を手にしたの
です。その時、初吉さんはいかにクマ狩りというものが優れた現金獲得手段であるかを思い知らされたと言っていました。

 山田長治さん(1921-2001)の話では、秋山郷の小赤沢集落の猟師組の土台を築いたのは父親の山田文五郎さん(1883-1967)であるとのことでした。文五郎さんは、秋田から来て大赤沢の石沢家に婿として定着したと伝承されている松ノ助の孫に当たる人だそうです。生来の山好きで、同じ秋田マタギの血を引くといわれる三国街道沿いの新潟県側の三俣、二居、土樽の猟師仲間と親交を持ち、夏場は農業をしたり三俣の奥の八木沢というところに山小屋を建てて下駄をつくり、川漁もして川魚や下駄を湯治場に出し、秋になればクマ用の罠(ヒラと呼ばれる大型獣用罠)を掛け、雪が降る時分になると鉄砲と槍を持って山から山へと渡り歩いてカモシカ猟からクマ狩り、さらにはヤマドリ猟をして歩いていたといいます。

 つまり、山田文五郎さんは狩猟漁撈活動と下駄づくり、山住の換金生業のみで年間の生活を実現していたのです。またそれが可能な経済環境が明治後半から大正初頭の秋山郷にあったということでもあります。やがて文五郎さんは、30歳近くなってから小赤沢集落の山田達次郎家の入り婿となりました。そして大正3(1914)年8月14日の深夜、小赤沢集落の中央を流れる小赤沢川で集中豪雨による鉄砲水が起こり、川岸にあった5軒の家が流され、12名の住民が亡くなるという災害に巻き込まれました。そのとき運良く家族の命は助かりましたが、文五郎さんの家も流され、家財を一切失ったといいます。その年、山田文五郎さんは、当時新潟県側の秋成村(越後秋山郷)前倉の旦那様と呼ばれていた山田又介家から70円の資金を借り受け、家を再興したというのです。当時、秋山郷では年間の生活費が30円に満たなかった時代ですから、70円という額は大金でした。文五郎さんが資金提供を受ける際に、山田又介さんから「ところで、あんたはどのように借金を返すのか」と尋ねられて、「猟で稼いで返す」と啖呵を切ったと伝えられています。そして、その年の秋から翌年春にかけてバンドリ(ムササビ)を160羽とクマを3頭獲り、翌年に借財すべてを返済してしまったのです。さらにその後、山田文五郎さんは猟で成功し、この資金を元手に3反(30a)の水田を拓いてもいるのですから当時狩猟というものが如何に換金生業として大きな位置を占めていたかが分かります。

―― 1日のクマ狩りが5ヶ月の労働を上回ったとか、大きな借金をすぐに返せたとか、ものすごい話ですね…。熊胆に限らず、いろいろな動物の価値が高かったことで、動物たちに暮らしを支えてもらっていた人は一定数いたのでしょうね。一方、現代ではどうですか?

 1990年代の例では、通常の5〜6尺のクマ皮であれば15万円前後、7尺になると25万円前後が相場となっていました。当時はバブル経済の最中で、クマの毛皮も熊胆も経済的価値を有していました。秋山郷では、クマの腑分けの後、剥がれた毛皮は皮ヤジ取りに回されました。皮ヤジというのは、毛皮を剥いだ際に毛皮に皮下脂肪がついているのですが、この皮下脂肪を秋山郷では「ヤジ」「クマヤジ」といいました。ヤジも貴重な脂でしたので酒の肴に、塩焼きなどにして食されました。皮ヤジ取りが終わると、毛皮を木枠に張り、陰干しされました。この段階までは秋山郷内の技術のある老猟師が行い、その後は鞣(なめ)し業者に任されました。秋山郷では過去に鞣しは行われたことがなく、この加工処理は新潟県側の津南や松之山の業者に出されていたのです。現在では十日町の鞣し業者に出されることが多くなっています。クマの毛皮の相場は質にもよりますが尺あたり5万円というのが相場でしたが、現在はほとんど買い手がつかず値崩れしているというのが現状です。

 熊胆に関しては、現在では癌の予防薬になると聞いて、マタギたちを訪ねてくる人が時折いるようです。末期癌で余命2年と診断された患者の方が、熊胆を飲み続けて20年も命を長らえた、という人もいますが、効用のほどは定かではありません。いずれにしても、こうしたマタギたちの間で伝承されてきた動物由来の生薬資源は、現在ではほとんど取引がなくなり*b、熊胆はマタギたちの手元にストックされるばかりというのが現状です。

 私も10匁(もんめ:1匁=3.75g )と15匁の熊胆を丸ごと所持していますが、自家用消費材として、あるいは親類の老人たちに求められれば譲渡すると言うかたちで、換金資源としての価値はほとんどなくなっています。

―― そうですか…。高く売れないにしても、捕獲するのであればせめて昔のように余すところなく、敬意をもって有効活用されるとい
いなぁと思います。ところで、胆のうって「胆汁(液体)が入った袋」ですよね!?、下の写真では平べったくてカチカチに固まっているように見えるのですが…。「熊胆」って、どうやって作られているのですか?地域差もあるのでしょうか?


熊胆2
熊胆3
 秋山郷の猟師たちの場合は、熊胆は腑分け時に腹部から肝臓とともに取り出されます。胆は薄い袋のなかに詰まった液体で、この状態を水胆(ミズイ)といいます。胆の口を絹糸や麻糸できつく縛り、肝臓から切り離します。そして、薪ストーブの上の火棚の上などに吊されて半乾きの状態まで干されてから、杉の木の板でつくられた木枠に挟まれて20日前後かけて干し上げられます。この20日間ほどの間、毎日お茶の出がらしの葉を布に包んで、熊胆の表面を臭い取りとつや出しのために擦りつけていきます。乾燥が終了した熊胆は干し胆(ホシイ)と呼ばれ、水胆の状態の10分の1から6分の1まで軽くなります。かつてバブル期までは1匁6万円から7万円で取引されていました。なぜ秋山郷ではこんなに高額で取引されていたかというと、近世以来踏襲されてきた相場というものがあり、熊胆1匁は米1駄分とされてきたからでした。秋山郷は新潟県の魚沼地方と隣接していましたから、バブル期のコシヒカリの上質の新米2俵分としてこの相場とされたのです。米1駄分というのは2俵分ですから、バブル期のコシヒカリ1俵の相場は3万円から3万5千円であったので6万円〜7万円前後という値が付いていたわけです。

 秋田県の阿仁マタギたちは、クマを獲ると山の神様への儀礼、ケボカイを行います。ケボカイはクマの毛皮を剥ぎ、剥いだ毛皮を山の神様へ掲げ、唱え言をあげ、感謝する儀礼です。ケボカイが終わると胴体から首、そして四肢を切り離し、いよいよ胆を取り出します。胴体の胸部から腹部を真っ直ぐ縦に裂き内臓を取り出すのです。胆は肝臓の下に付いているので肝臓とともに取り出されます。そして肝臓と胆の間をつなぐ管をナイロンの糸(かつては秋山郷と同じように麻糸や絹糸が使用されていた)で結んでから胆をコヨリ(マタギが使う小型のナイフ)で肝臓から切り離します。胆は薪ストーブの上に吊され数日乾燥させてから、木枠に入れて20日以上かけて乾燥させられます。打当(秋田県北秋田市阿仁)では、生の胆で30匁(約110g)あったものを干し上げると8匁(約30g)くらいで仕上がりとなるといいます。生で10あるものは3まで下がるといわれているのです。大きいもので仕上がり17〜18匁、普通は7〜8匁であるといいます。私が阿仁に通いはじめた1980年代後半でのクマの胆の相場は1匁当たり4〜5万円とされ、20匁の胆であれば100万円近い値になるといわれていましたが、現在では1匁2万5千円から3万円と半額近くまで値崩れしています。また毛皮も同様で、1980年代後半には地元での取引価格で、7尺のクマが鞣料まで含め約20万円といわれていましたが、現在は10〜15万円とされています。ほとんど買い手はつきません。
 

*b 熊胆は医薬品として「日本薬局方」に登録されています(詳しくはp.7参照)。医薬品を製造・販売するには設備等の一定の要件を満たしたうえで、都道府県知事の許可・登録を受けなければなりません。
 

 マタギたちの全盛期、明治から昭和30年代初頭までは、1年に3頭クマを獲れば、他に何もしなくても生活できたとわれるほどにクマは良い現金収入源でした。しかし、現在では現金獲得生業としての地位も失いつつあります。1頭数十万円にはなるといっても、実際には1頭のクマをとるために数日を費やし、しかも何人ものマタギで獲るのですから、1人当たりの配当は少なくなり、良ければ数万円、悪ければ数千円にしかならないのです。

 ところで、どうして秋山郷と阿仁とでは熊胆の価値が異なるのでしょうか。それは秋田県と長野県の市場は繋がってはいなかったという証拠でもあります。つまり地域的な価値の格差があったということです。つまり、それほどに市場が狭かったのです。また、この地域的価値の格差があったからこそ、近世末期に秋田の旅マタギが旅をした理由があるわけです。地域的格差を利用することで利益を上げることが出来た、ということです。

―― 熊胆の作り方や金銭的価値の変化について、よく分かりました。熊胆・狩猟と地域文化には密接なつながりがあったんですね。たくさんの興味深いお話をありがとうございました! 

後略
 
貼り付け終わり、パチパチ大拍手!

・貴重な情報ありがとうございます(^^♪


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