■自民の派閥解消など所詮は「権力闘争」に過ぎぬ訳 | タマちゃんの暇つぶし

タマちゃんの暇つぶし

直ぐに消されるので、メインはこちらです→ http://1tamachan.blog31.fc2.com/ 

MAG2 NEWS:「父が安倍晋三と不仲」だった福田達夫が、安倍派解散を“進言”の茶番。自民の派閥解消など所詮は「権力闘争」に過ぎぬ訳2024.02.06より転載します。
 
貼り付け開始、

https://www.mag2.com/p/news/592365
 
ok20240205
 

国民の誰もが納得出来ない裏金疑惑について、派閥の解消だけで幕引きを図ろうとする自民党。しかしその派閥ですら、時を置かずして「復活」してくるのは火を見るよりも明らかなようです。今回、毎日新聞で政治部副部長などを務めた経験を持つジャーナリストの尾中 香尚里さんは、「派閥解消ブーム」に湧く自民党の内情を冷静な目で解説。その上で、現在自民党内で行われていることは「政治改革に名を借りた権力闘争に過ぎない」と一刀両断しています。

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

自民党の「派閥解散ブーム」と「施政方針演説」について思うこと

裏金事件に揺れる自民党に「派閥解散ブーム」が起きている。岸田文雄首相が1月18日、自身が会長を務めていた岸田派(宏池政策研究会)の解散を検討する考えを表明すると、翌19日には安倍派(清和政策研究会)と二階派(志帥会)も解散の方針を打ち出し、2月1日には最後の総会を開いた。25日には森山派(近未来政治研究会)も解散を決定。わずか1週間ほどの間に党内六つの派閥のうち、麻生派と茂木派を除く四つが「解散」の方針を打ち出した。

既視感しかない。自民党は30年以上も前、リクルート事件の反省を受けてまとめた政治改革大綱に「派閥の弊害除去と解消への決意」をうたったはずではなかったか。実際にすべての派閥が解散し、政策集団に移行したはずではなかったか。

それなのに、今回の裏金事件で自民党の政治刷新本部が打ち出した政治改革に関する中間とりまとめには、派閥について、またも「本来の政策集団へ移行」と、恥ずかしげもなく書かれている。

あれは単なる「生まれ変わったふり」でしかなかったのか。30年以上前に「派閥解消への決意」をうたって改革を誓った結果がこれなのに、同じことを平気で繰り返せる神経を疑う。

筆者は1994年、全国紙で政治部に配属されたが、当時の自民党はまさに「政治改革ブーム」だった。リクルート事件などの政治腐敗で国民の批判が高まり、自民党は結党以来初めての下野を経験。政界再編による「自社さ」村山政権の発足で、自民党は選挙を経ることなく政権に復帰したが、この頃にはまだ「改革しなければ信頼は取り戻せない」といった空気が、党内に残っていた。

やり玉に挙がったのは、やはり「派閥のあり方」だった。党の改革実行本部は

  1. 「派閥」の名称は使わない
  2. 派閥事務所は年内に閉鎖
  3. 派閥総会は開かない

という派閥解消策をまとめ、各派閥のトップも了承。すべての派閥が「解散」した。真っ先に派閥事務所を閉鎖したのが、当時の三塚派、すなわち現在の安倍派だった。

「清和会」と呼ばれたこの派閥は、しかしこの後、現在の「清和政策研究会」に名称を変更して存続。そして、第2次安倍政権の発足以降、最大派閥として好き勝手に権力を振るい、その間に裏金にまみれていたのだ。

筆者でさえリアルタイムの時代を覚えているのだから、永田町には当時を記憶している人など、いくらでもいるだろう。にもかかわらず、今回の派閥解散をまるで自民党の歴史的転換点のように考える声が少なからずあることが理解できない。

2月1日、安倍派の「最後の総会」が開かれたが、裏金事件の最大の舞台となった派閥であるにもかかわらず、派内の関心が向いているのは「裏金の全容解明」や「政治責任の取り方」ではない。派閥に残る資金などの残務処理である。毎日新聞の報道によれば、残務処理にあたる「清算管理委員会」が「今後の政策集団などの再結集に向けた核になるとの思惑があり、その主導権をめぐり派閥幹部と中堅・若手が対立している」という。

「再結集」。当然のようにこう書かれていることに、正直あ然とする。もっとも、30年前の経緯を思い起こせば、こんなことは政界全体で織り込み済みなのだろう。

次ページ:なぜ派閥解消劇に永田町全体が沸き立っているのか

自民党の権力闘争と化している派閥解消劇

中堅・若手の先頭に立って安倍派の解散を進言するなど、幹部を突き上げてきたのが、福田達夫元総務会長だというのも分かりやすい。

福田氏は安倍派、すなわち清和会を創設した福田赳夫元首相の孫であり、安倍晋三元首相とは折り合いの悪かった福田康夫元首相を父に持つ。福田氏は1月19日の派閥臨時議員総会で派閥の解散方針が決まった後「反省の上に新しい集団を作ることが大事」と述べたが、要は「安倍氏一派に牛耳られた派閥を、この機に創設者の系譜に取り戻す」意図があるのではないか。

結局は政治改革に名を借りた権力闘争に過ぎない、とみた方がいい。

そのような目で党内を見回せば、他の派閥も似たり寄ったりにしか見えない。

例えば茂木派だ。裏金事件の影響が少ない茂木派は派閥を解散せず、政治団体として存続する方針を打ち出しており、茂木氏は一時、裏金事件を理由に安倍派幹部に離党勧告を検討すると報じられた(結果として本人が否定した)。

茂木派の前身は小渕恵三元首相が率いた小渕派だが、2000年に首相だった小渕氏が急病で倒れ、後任に森喜朗氏が首相となって以降、党内は「清和会一強」状態となっていた。茂木氏には「いつかわが派が政権を取り戻す」との思いが強く、裏金事件での安倍派の窮地を、自派にとってのチャンスと見たのかもしれない。

だが茂木派の足元では、小渕優子選挙対策委員長や青木一彦参院議員ら、派閥を退会する議員が続出している。茂木派は「政権を取り戻す」以前に、安倍派とは別の意味で派閥崩壊の危機に陥っているのだ。

茂木派の前身は小渕恵三元首相が率いた小渕派。優子氏はその次女である。青木氏の父親は「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄氏で、二人はともに派閥の「本流」と言える。派閥解消ブームに乗り、日本新党出身で「外様」の茂木氏から派閥の実権を取り戻そうとしている、と見ることも可能だろう。

「政局メガネ」をかけてみれば、安倍派と茂木派の内部で起きていることは、妙にシンクロして見えるのだ。

およそ政治改革などとは言えないこんな派閥解消劇に、メディアも含む永田町全体が沸き立っているのは、それがすでに改革ではなく、自民党の権力闘争と化しているからだ。

自民党政治刷新本部の中間取りまとめには「派閥解散」への言及すらなかった。どうせ派閥は何らかの形で復活する、と党内外の誰もが思っている。そして彼らの関心は、その時に起きる派内の権力移動であり、自民党の派閥の力学の変化だ。「安倍一強」で停滞していた自民党に、久々に大きな権力闘争が起こりそうだ、ということに、党内も外野も血湧き肉躍っている。こんな状況を一番喜んでいるのは、実は岸田首相自身なのかもしれない。

1月26日に召集された通常国会。首相の施政方針演説には「裏金」という言葉すら盛り込まれていなかった。そんな「幕引き」感あふれる施政方針演説のなかで、岸田首相は「政策集団(派閥)が『お金』と『人事』から完全に訣別することを決めました」と訴えた。

それはつまり「『お金』と『人事』を派閥ではなく、執行部が握る」ということだ。派閥のうるさい声を廃し、首相が党内の権力を掌握したい、ということでしかない。

これもまた党内の権力闘争である。

今自民党内で起きているのはこういうことだ。「能登半島地震への対応が急務の時に裏金事件とは……」と嘆くのは少し違う。そんな大事な時に「汚れた政治への反省どころか、党内の権力闘争とは……」と嘆くべきなのである。

61AAsT7QaPL._SL1200_

最新刊
『野党第1党: 「保守2大政党」に抗した30年』
好評発売中!

 
 


image by: 首相官邸

尾中香尚里


プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

 
貼り付け終わり、