■公明党との四半世紀の連立が自民党をここまで堕落させた | タマちゃんの暇つぶし

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講談社:2023.12.20宗教団体票という麻薬~公明党との四半世紀の連立が自民党をここまで堕落させた 下駄履きの選挙、すっかり弱った議員の足腰より転載します。
 
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https://gendai.media/articles/-/120983
 
 


政治資金パーティーをめぐる裏金の問題で、政治の世界は大きく揺れている。岸田政権は、何をやってもうまくいかず、支持率は低迷してきたが、ついにこの問題で10パーセント台まで落ち込んでしまった。深刻なのは、支持率を回復させる手立てがまったく見当たらないことだ。

なぜここまで自民党はダメになってしまったのだろうか。それにははっきりとした理由があるはずだが、ここでは、公明党と連立を組んだことにその原因を求めてみたい。創価学会という巨大な宗教教団の組織票をあてにするようになったことが、結局は今日の事態を生んだように思えるのだ。


2021年、総選挙で 岸田自民党総裁(左)と山口公明党代表  by Gettyimages

1999年、謝罪してまで連立を組んだ意味

自民党が公明党と連立政権を組んだのは、1999年10月のことである。当時の自民党は、小沢一郎率いる自由党と連立を組んでいた。そこに公明党が加わる形で3党による連立政権が生まれた。ただし、その後、自由党が連立から離脱したので、自公政権の形をとるようになった。

自民党は、公明党と連立を組むまで、公明党とその支持母体となってきた創価学会との関係について批判し、創価学会のリーダーである池田大作氏のスキャンダルを暴くような記事を機関誌の『自由新報』に掲載していた。連立を組むにあたっては、自民党がそうしたことを謝罪した。

しかし、連立の決定は、公明党の党員には唐突なものに受け取られ、党大会では代議員から戸惑いの声が上がった。
ではなぜ自民党は謝罪をしてまで公明党と連立を組むことになったのだろうか。

その点に関しては、連立が成立して直後の2000年6月に行われた第42回衆議院議員選挙についての、蒲島郁夫の指摘がすべてを物語っている。蒲島はその後熊本県知事に就任しているが、この時代は東大法学部の教授で、政治学者として活躍していた。

蒲島は、この選挙において、比例区で公明党に投票した有権者の6割が小選挙区で自民党候補に投票したのだと仮定すれば、34人が落選を免れており、8割なら44人が落選を免れていると分析し、「民主党と公明党とが共闘していれば、自民党の当選者は激減したことであろう」と指摘したのである(『戦後政治の軌跡』岩波書店)。

自民党は政権を維持するために公明党と組んだ。それも、公明党に投票する創価学会の会員の票が大きな役割を果たすからである。

連立政権が誕生してから、2009年に政権交代が起こり、民主党政権が誕生したものの、2012年末の第46回衆議院選挙で民主党は大敗し、第2次安倍政権が誕生した。これも自公政権で、自民党が下野していた時代にも、公明党は自民党と連携し、民主党の側に寝返ることはなかった。

これによって、足掛け4年の民主党政権の時代を除いて、四半世紀近くにわたって自公政権は続いてきた。その間、国政選挙のたびごとに、自民党と公明党は選挙協力を行い、創価学会の会員たちは、公明党の議員の支援を行うだけではなく、自民党議員が議席を確保することに大きく貢献してきたのである。

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次ページ:強固な支持母体を持てなくなったときに

圧力団体の代わりの巨大な集票マシーン

戦後の政治の特徴は、さまざまな「圧力団体」が特定の政党を支持する体制が作られたことにある。

55年体制が確立されて以降、自民党は、経団連のような経済団体のほか、農協、日本医師会、日本遺族会などに支えられてきた。一方、社会党にとっては総評に代表される労働組合が強固な支持母体となってきた。

ところが、時代が経過するにつれて、そうした圧力団体の力が弱まってきた。つまり、政党は強固な支持母体を持てなくなってきたのである。

そうした状況のなか、票を稼ぎ出してくれる巨大な組織として、創価学会の存在がクローズアップされたのだ。

連立を組む前、1998年に行われた参議院の第18回通常選挙で、公明党は比例代表区で775万票近くを稼ぎ出した。連立後の2001年、第19回通常選挙では、選挙協力の成果もあり、それは820万票にも迫った。これだけの票を集められる組織は、ほかに存在しない。創価学会の宗教票は、政権の行方を左右する力を有しているのである。

自民党の政策と公明党の政策は、さまざまな分野で大きく違っている。憲法改正や軍事力の強化などといった最重要の課題では、両党の姿勢は根本から異なっている。

それでも四半世紀近くにわたって連立が続いたのは、自民党にとって創価学会の会員の票が不可欠だからである。公明党も選挙協力で票を増やしてきたわけだからメリットは大きいが、それも自民党の側のメリットの比ではない。連立を組まなければ、今日、自民党は政権の座にいなかったかもしれないのだ。

次ページ:どぶ板選挙から遠ざかった自民党

選挙資金さえ集めれば後は苦労しなくとも

こうした体制ができあがったことで、多くの自民党議員は選挙に苦労しなくなった。しかも、選挙の際の運動員については、旧統一教会の信者に頼ることもできたのだ。ここでも、宗教団体が自民党を支えている。

そうなると、自民党の議員は努力を怠るようになった。選挙戦術として「どぶ板選挙」ということが言われてきたが、街頭演説など有権者と直接会うために努力しなくても、創価学会の会員が汗水垂らして票を集めてくれるのだ。

自公政権が誕生して以来、言われるようになったのは、自民党の議員が勉強しなくなったということだ。私は、5年半にわたって、東京大学先端科学技術センターの御厨貴氏の研究室に所属し、御厨氏から政治についての話を聞くことが多かった。そのなかで印象に残っているのは、公明党の議員はよく勉強しているので、官僚が何か新しいことをしようとするときには、まず公明党の議員に相談に行くという話だった。これは他の人からも聞いたことがある。

創価学会票をあてにできるようになる前には、自民党の議員には自分たちを支持してくれる各種の圧力団体が重要で、そうした団体が臨む政策を実現するために勉強もしたことだろう。

ところが、創価学会に対してはその必要がない。自民党がどういう政策をとろうと、選挙協力が成立している限り、必ず自分たちのために票を集めてくれるからだ。

自民党の議員はこうした体制にすっかり甘えてしまい、勉強するという努力をしなくなったばかりか、資金集めにだけ奔走するようになったのではないだろうか。

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監視の目がない支持票のおかげ

公明党の議員の場合にも、もちろんのこと選挙のことは心配する必要はなかった。選挙活動は、創価学会の会員たちがすべて担ってくれるからで、個人で後援会を作る必要もなかった。

しかし、創価学会の政界進出を実現した第2代会長の戸田城聖は「青年は心して政治を監視せよ」ということばを残しており、実際、会員たちは公明党議員の動向を監視してきた。

実際、公明党の議員が問題を起こすと、以前は、機関紙の『聖教新聞』で徹底的に叩かれた。たとえば、これは2007年のことだが、創価学会を裏切ったとして批判の対象にしてきた元委員長、竹入義勝氏の妻について、夫の選挙期間中、選挙事務所にも顔を出さず、支持者のもとを回ったりもしなかったということで、現会長の原田稔氏は、「竹入の女房みたいな畜生家族は出すな!」と言い放っていた。

創価学会でもっとも選挙に熱心なのは、この時代の婦人部である。婦人部は、主に既婚女性の組織だった。現在は、未婚女性を中心とした女子部と合体し女性部となっているが、婦人部の女性会員たちは、とくに公明党の議員に厳しかった。

公明党の議員が不祥事を起こしたとき、離党するだけでは終わらず、議員を辞職しなければならないのも、こうした体制があるからである。

本来なら、創価学会の会員による監視は、連立以降、自民党の議員に対しても行われるべきだった。ところが、そうしたことはまったく行われず、それが自民党議員の質の低下に寄与した。

次ページもう無理をする必要もない

別れることが健全化への道

連立政権が、自民党にとって、その延命策であったのだとしたら、25年近くも効力を発揮したことは、予想以上の成果だったのかもしれない。

だが、その間に、自民党議員の足腰はすっかり弱ってしまい、今や立ち上がることさえ難しくなっている。

ではどうしたらいいのか。

公明党は、自民党がどういう政策をとろうと、それに従ってきたので、「下駄の雪」と揶揄されてきた。しかし、「下駄をはかされてきた」のは自民党の方である。その下駄を外すことが、もっとも効果的である。連立を解消し、選挙協力を中止すれば、自民党議員も考え方を改め、努力するようになるにちがいない。

もちろん、それで公明党は政権の座から下りることになるが、それが政界の浄化に役立つなら、公明党という党名に恥じない振る舞い方になるのではないか。

創価学会の会員たちも高齢化し、選挙活動に疲れている。しかも、会員たちは「池田先生のために」と奔走してきた。その池田氏が亡くなったのだから、もう無理をする必要もないのではないだろうか。
 

貼り付け終わり、