■クリスマスツリーと十字架、その意外すぎるルーツと歴史 | タマちゃんの暇つぶし

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クリスマスツリーと十字架、その意外すぎるルーツと歴史<newsNueq-4452-F>2023/12/25 14:14より転載します。
 
貼り付け開始、
       
 講談社学術文庫
 竹下節子( 比較文化史家 )
 クリスマスツリーと十字架、その意外すぎるルーツと歴史をご存知ですか?
 ~ ケルト、磔刑、聖遺物、そして日本の鬼

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 https://gendai.media/articles/-/121208
 2023.12.23


 クリスマスツリーと十字架、キリスト教に深く埋め込まれたそれらのツールは、
 一体何にルーツを持ち、どのような歴史を辿ってきたのでしょう。
 ケルトの樹木信仰から、キリストの磔刑像、奇跡を起こす聖遺物、
 日本の鬼を祓った十字まで、
『 キリスト教入門 』の著者・竹下節子氏が、
 日本におけるキリスト教布教にもかかわる、秘められた物語の数々を明かします。

 十字架
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 < 抜粋 >

 ■ クリスマスとキリスト教の典礼

 クリスマスはキリスト降誕のミサのことで、
 12月24日の真夜中ということになっている。

 ※ ヨシュア・インマヌエルの誕生日は、BC4年4月7日。
   12月25日未明は、実際には元々は冬至の日の元旦だった。
   エジプトのコプト暦を
   シーザーがそのまま導入したユリウス暦( 自分の名:July を挿入 )を、
   オクタビアヌスがアウグスト暦( 自分の名:August を挿入 )にしたため、
  「 7 」の「 September 」が9月になってしまった。
   それを、1582年、グレゴリウス13世が改訂してグレゴリオ暦に。
   この3度の改訂で、本来12月22~23日であった「 元旦( 冬至 )」が
   ズレ込んで12月25日となってしまった。
  「 冬至 」は古来、世界的に「 再生 」を象徴する日である。

   nueq lab
   クリスマスって何の日? ・・・バビロン暦とグレゴリオ暦と和暦
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   https://nueq.exblog.jp/17452417/
   2011年 12月 25日
   ・ 冬至と新嘗祭
   ・ 七曜日の配列の不思議とマルドゥク

   nueq lab
   クリスマスの起源
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   https://nueq.exblog.jp/21722032/
   2013年 12月 25日
   ・ クリスマスって悪魔崇拝のニムロドの誕生日?
   ・ バベルの塔はバビロンにはなかった!

   ※「 バビロン 」とは、アッカド語「 バブ・イル・オン 」
     =「 神の門 」の圧縮型。
     シュメール語がインダスに伝わり、
    「 カ・ディンギラ・ドゥラ・ビーラ( 火の男神が鎮座する城の神の門:
     ドラヴィダ語 )」が転訛し、「 カンド・ドル・ヰ 」に、
     更に転訛して「 神門(戸)・鳥居 」に。
     出雲大社の神門( 鳥居 )の先には火男神と火山女神を祀っている。

   ※ < newsNueq-4103:ニムロデとベネチアの黒い貴族の正体 > 2023/02/10

   ※ キリスト教がローマ帝国で広まる以前は、ミトラ教が席巻していた。
     ミトラ教はローマ軍が負けてばっかりいたパルティアの軍神。
     < newsNueq-4102:密儀宗教ミトラ教の聖域を古代ローマの遺跡で発見 
             宴の痕跡も! > 2023/02/10
     ミトラ教は、冬至を元旦とした。
    

 多くの教会の年間の典礼カレンダーはこのイエスの生誕から
 十字架上の死と死後3日目の復活までの一生をたどるようにできていて、
 ミサで聖書の中のそれにちなんだ場所が朗読されたりする。

  ノートルダム大聖堂広場のクリスマスマーケット
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 悠久の東洋宗教と違って
 キリスト教には天地創造から最後の審判にいたるまでの線的な世界観があり、
 そのせいで進化論とか進歩思想が発展したなどと言われているが、
 毎年繰り返してイエスの生涯を追体験する点では循環的でもある。

 もっとも、イエスが生きていた頃のユダヤ世界は終末論が色濃くて、
 最後の審判にそなえて禁欲せよという言辞も多かった。
 だがその後キリスト教の迫害時代も終わり、
 世界の終末がなかなか来そうもないので、メモリアル風の典礼に移行したわけだ。

 ※ インマヌエルの生きた時代、シーザの腹心:アンティパトロスの建国した
   イスラエル国に対するローマの圧迫は日増しに強まり、
   インマヌエルがキプロスで死去した30年後には、
   皇帝ネロの発したイスラエル消滅命令で実際にイスラエル王国は滅亡した。
  ( 発令後、遠征軍が出発した直後に反乱が勃発し、ネロは自殺 )


 ■ クリスマスツリーと十字架のルーツ

 クリスマスツリーというのは
 ヨーロッパ大陸の先住民族ケルト人の樹木信仰にルーツがあると言われている。

 冬にも葉を落とさない生命力にもよるが、
 先の尖った形が神や霊を降ろす依代としてぴったりだったのだろう。
 日本の正月の門松も竹の先を尖らせることも偶然ではないだろう。

 受難のシンボルの十字架には尖ったイメージはないから、
 イエスの脇腹を貫いたという「 ロンギヌスの槍 」が呪術的なグッズになったのかもしれない。

 もちろん「 木の十字架 」も受難のシンボルとして拝まれているが、
 それもケルト人の樹木信仰にルーツがあるのだろう。

 初期教会やギリシャ正教では復活のイエス、栄光のイエスがシンボルとなっても、
 ローマ風の死刑である十字架刑を表に出すことはなかった。
 ケルト族やゲルマン族の多いヨーロッパにあった
 「 樹木に聖なるものが宿る 」という信仰を十字架に託した結果、
 キリストの受難像が強調されるようになったのだろう。

 ※ ストーンヘンジ( ケルト以前の民族? )の近くでは、
   更に古いウッドヘンジが発見されている。

   ウッドヘンジの平面配置図
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b5/Woodhenge_Karte_DB.jpg
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   ウッドヘンジの全景
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/Woodhenge.jpg
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   ※ 短い丸太ん棒を指標的に設置してあるが、三内丸山遺跡や、
     真脇遺跡、ストーンヘンジの様な高さを持っていたと想像される。


 ■ 十字架の辿ってきた道

 といっても、ギリシャ語聖書の十字架の原語は
 スタウロスという「 杭 」を意味することばであって、
 イエスが処刑されたのは、真っすぐの柱かせいぜいT字形のものであり、
 いわゆる十字架だとは思えない。
 それがいつのまにか十字架になったのは、
 イエスが天と地、神と人を結び万物を結ぶ仲介の存在であるという教義を
 図形化するようになったからだろう。

 十字は、古来2つのベクトルが交わるパワー・ポイント
 ( これがカギ十字になると回転力も加わる )であるという認識があり、
 光の放射でもあった。

 ※「 米 」と云う字は、八方に広がる光を象形している。
   まさに「 八紘一宇 」だ。

 最初のキリスト教徒たちは2世紀頃から十字のマークを使い出したが、
 それは受難の十字架でなく、復活の栄光で悪魔祓いに有効なシンボルだったのだ。


 その十字をキリストの磔刑像に結びつけたのは主としてカトリックだった。
 だからカトリックで使う十字にはイエスの磔刑十字架が多いし、
 教会にも墓石にも繰り返し現れる。

 しかも苦しみの姿がリアルさを追求して
 イエスの受難に思いをはせるという伝統も生まれたため、
 カトリックの十字架には壮絶なものも少なくない。
 グリューネバルトのイーゼンハイムの祭壇画から、
 スキャンダルを起こした現代フランスの彫刻作家ジェルメーヌ・リシエの十字架まで
 衝撃的な芸術作品も数々生まれた。

 ※ グリューネバルトのイーゼンハイム祭壇画( 1516 )
https://taesunworld.com/wp-content/uploads/2021/07/a0c813da289adac572478dec64bd754d.jpg
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   グリューネバルトはルネッサンス期のドイツの画家

   ジェルメーヌ・リシエのアッシー教会アプス祭壇中央の十字架( 1950 )
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQiaBn94_Wo3c9wL9sX3VnAJMGzbLh2FtzkeXrlu8gkjw&s
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 カトリック世界のヒステリー症状に、
 両腕を広げた十字形の「 金縛り 」が多かったり、
 イエスの受難と同じ手足や脇腹から血を流す「 聖痕 」現象が観察されたりするのも、
 イエスの受難と関連して信者が自らの肉体を「 十字架 」にしてしまう
 心身関係の深さがしのばれて興味深い。

 もっとも、カトリックの宣教史において、出血と窒息によるさらし刑という
 残酷な刑罰である磔刑図が抵抗を受けたこともあったようで、
 イエスの姿のない意匠的な十字架や、受難の後の復活のイエスが
 シンボルのメインに置きかわる流れも常に存在している。


 ■ 日本の鬼を祓った「 十字 」

 「 十字 」にはおもしろいエピソードがある。

 1541年の日本( 豊後 )に漂着したポルトガル人たちに
 領主・大友義鑑(よしあき)が「 鬼の住む家 」として
 空き家になっていた廃屋を提供した。幻
 を見るなどの怪現象に悩まされたポルトガル人たちは
 家の周りに悪魔祓いの十字架を立てめぐらした。
 新種の結界が効いたらしく怪現象がおさまり、
 その効果を見て感心した人たちが真似をして、
 墓地をふくむ豊後の至るところに十字架を立てたという。
 領主もこの「 鬼を祓う方法 」に関心を示して、キリスト教に興味を持った。
 この話を聞いて宣教に希望を持ったフランシスコ・ザビエルたちが
 日本へと向かうことになるのである。

 ※ この豊後のエピソードが事実であるとしても
  ( キリシタン大名の大友がキリスト教布教のためにでっち上げた可能性も )、
   ザビエルを日本に連れてきたのは、伊集院系の弥二郎である。
   弥二郎は、イエズス会の監察使( 責任者 )としてシンガポールにいた
   ザビエルを日本に連れてこようと、薩摩から旅立った。
   が、ザビエルがゴアに戻った後だったので、ゴアに行き、
   ザビエルを説得して島津の薩摩藩に連れて来た。
   弥二郎は、島津によって薩摩を奪われた伊集院系なので、
  ( 鍛治町出身の西郷隆盛、大久保利通他もみな伊集院系 )
   まさか、島津の家紋の「 丸に十字 」の旗を掲げていたとは思えないが、
   この「 丸十字 」は、源頼朝が比企氏の娘との間にできた隠し子( 島津忠久 )を
   北条政子に殺されないよう、薩摩に送った際に授けた
   二匹の龍が交差した象形とされている。

 ※ 弥二郎は、今、薩摩・日向・長州など各地でだいだらぼっちの様な
   巨人「 弥五郎どん祭り 」が行われている。
   そして遠州でも「 弥二郎どん祭り 」が。
   実は、ザビエルを宗教論争で打ち負かした弥二郎はその後、
   伊豆へと移動して韮山の製鉄所&鉄砲工場を作って、
   生まれた子どもが世良田次郎三郎( 徳川家康 )との説もある。
   この伊豆山中の怪物のことを北条早雲と云う。


 つまり日本になじみのなかった魔よけとしての十字形を導入したことがきっかけで、
 キリスト教が日本人の目を引いたという経緯があったのだ。

 ピラミッドパワーのようによく効く「 形 」がまずあったというのがおもしろい。
 この「 形 」が、いつのまにかイエスの受難の道具に重ねられたわけである。

 ※ ど~~~みても今時のSNS( Stupid Narcist Satisfaction )レベルの
   与太話としか思えんが?
   この「 Stupid Narcist Satisfaction 」は、今や諸悪の根源とも化している
   糞企業にも及んでいる。
  「 サービス内容は如何でしたでしょうか? 評価をお願いします。」
   だとぅ~~~!??????
   アホかッ!!!
   一々人の言うこと、気にしてんじゃねェッ!!!
   しかも、それを「 お客様 」に対して要求するなど、
   失礼千万! 言語道断!!!!!!!

   nueq lab
   首吊り紐と囚人カード
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   https://nueq.exblog.jp/21821717/
   2014年 01月 09日
   ※ ネクタイと首吊り社員証
   ・ ランチ時の醜い光景
   ・ 基本的人権と人間の尊厳


 ■ もうひとつの十字架伝説

 十字架にはもう一つの伝説がある。
 13世紀頃から流布していた聖人伝である『 黄金伝説 』に、
 シェバ( サバ )の女王( ※ シバの女王 )が
 イエスの十字架を予言したというエピソードが出てくるのだ。

 今のエチオピアまたはイエメンのあたりにあったと思われる
 シェバの国の女王がイスラエルのソロモン王を表敬訪問した時、
 ソロモンの宮殿にあった木の橋を渡ったシェバの女王が、
 一人の男がこの木にかけられて死にユダヤの王国を滅ぼすだろう、と言った。
 驚いたソロモンは橋を取りはずして埋めてしまった。
 その木はじつはエデンの園にあった知恵の木であり、
 アダムの墓の上にあったものをソロモンが宮殿造営に使用したものだった。
 その木が結局、イエスの十字架に使われたということだ。

 ※ この中世と云う時代、特に地中海沿岸では様々な与太話が「 発明 」されている。
   その最たるものが、『 ヨハネの黙示録 』だ。

 ※ シバの女王の「 シバ 」は、エチオピアでもイエメンでもない。
   エリトリアだ。

   エリトリア
   -----------------------
   https://maps.app.goo.gl/32h95HYTM4MWvVQM8

   エリトリアの対岸にエルサレムがあった。
   イエメンは当時フェネキアである。
   もちろんシバの女王は、ジブチもソマリアもエチオピアも領有していた。
   ソロモンのイスラエルはシバの女王との貿易で豊かになった。

   < newsNueq-310 :エルサレムはイエメン北にあった! > 2017/07/27
  
 
 イエスは第二のアダムとも呼ばれているが、
 アダムの原罪とイエスの贖罪を結びつけるのが同じ木であったという構造になっている。

 キリスト教を4世紀に公認したローマ皇帝コンスタンティヌスの母
 ヘレナがこの十字架の木を発見して持ち帰ったと言われており、
 それがさまざまな奇跡を起こした。
 その木が十字軍によってさらにヨーロッパにもたらされて
 西欧世界における最も貴重な聖遺物となった。


 ■ 聖遺物がもたらす「奇跡」

 イエスの十字架の聖遺物と呼ばれる木片は至るところにあって、
 その総量はもとの十字架をはるかに超えると言われている。
 当然偽物が含まれているわけだが、それらの聖遺物信仰がつづいたのは、
 拝観にやってきた病人や障害者の奇跡的な治癒がどこでも見られたからである。

 ※ プラシーボ効果♪

 たとえばパリのノートルダム大聖堂に保存されているそれは、
 クリスタルの美しい筒に朽ち木のかけらが入っているだけで、
 十字形に重ねられているわけではない。 
 そこにはもう「 十字 」のマジックはなく、ただ、物質としての木があるだけだ。

 今でも復活祭の前の聖週間には公開されるこの聖遺物の前で人々が並び、
 ひざまずいてクリスタル越しに接吻する。
 イエスの受難によって罪を贖われた人々が、エデンの園への郷愁を抱いて、
 原罪という病の治癒を期待してやってくる。

 ※ ヨシュア・インマヌエルの教えと真逆の「 宗狂 」となったキリスト教が、
   人々に植え付ける「 強迫観念 」。
   それが「 原罪 」である。

 小さな村のひっそりした教会内のフォークロアではなくて、
 先進国の首都の中心にある世界有数の観光ポイントである
 ノートルダム大聖堂でそのような光景が繰り広げられるのは印象的だ。


 ■ キリスト教、十字のパラドクス

 朽ち木は十字形をしていなくても、ひざまずいた信者は
 自分で額(父)、胸(子)、両肩(聖霊)と片手で十字を切る。

 ※ この「 父と子と聖霊 」もまたタワゴト( 与太話 )でしかない。
   これはユダヤ狂の「 セフィロト:生命の樹 」から来ている。

 ※ この時、「 アーメン 」と唱えるが、
   この「 アーメン 」とは、イクナートン( アメン・ホテップ4世 )、
   スメンクカーラー、ツタンカーメン( トゥト・アンク・アメン )と
   3代のファラオを暗殺して王家を簒奪したアメン神官長:アイが
   おそらくは部下のアロン将軍やモーゼ副将軍をして
   対ヒッタイト戦の人間の盾として連行され、
   後に「 ユダヤ人 」と称されることになる12民族に教え込んだものかもしれない。
  「 アメン 」は、エジプトの八百万の神々の象徴神:太陽神のこと。


 ひと昔前までヨーロッパの食卓では丸いパンを
 ナイフの先で十字の切り目をつけてから手でちぎるのが普通だった。

 十字のアクションは逆説的に破壊を意味することもある。
 バツ印だ。
 死の後で復活したキリストが
 信者の死後に永遠の生命を与えるというパラドクスをかかえたキリスト教に
 十字はよく似合う。

 ※ 磔にされたのは、お母さんのマリアがローマ兵士にレイプされて
   生まれた「 原罪 」の三男:トーマスである。
   これがゴルゴダの丘の「 引田天功マジック 」のカラクリ♪
                              (^o^)b

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 竹下節子
  比較文化史家・バロック音楽奏者。
  東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。同博士課程、
  パリ大学比較文学博士課程を経て、
  高等研究所でカトリック史、エゾテリズム史を修める。
  著書に『 ローマ法王 』『 聖者の宇宙 』『 ジャンヌ・ダルク 』『 無神論 』
 『 神と金と革命がつくった世界史 』など多数。

  ※ おフランス高等研究所の比較文化史家って云うたかて、アマチュアレベルちゃう?



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  < newsNueq-2938:1万2千年前の " エデンの神殿 "と農業の始まり > 2020/10/19



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