https://gendai.media/articles/-/111716
2014年、宗教学者の島田裕巳氏が(集英社)『0葬――あっさり死ぬ』という書籍で、同名の葬法を提起し、葬儀・供養業界が騒然となった。
「0葬(ゼロ葬)」とは、火葬場から遺骨を持ち帰らないこと。たったこれだけの行動で、お墓はおろか骨壺もいらなくなる。究極にシンプルな弔い方だ。言葉の誕生から9年が経った今、0葬は普及したのだろうか。
書籍出版からほどなくして「0葬プラン」を立ち上げ、0葬を展開してきた葬儀社に取材した。
火葬後に骨壺へ遺骨を納めない「0葬」
火葬場では、遺体を荼毘に付した後、遺族らが拾骨室で遺骨を骨壺に納めるのが一般的だ。遺骨を納めた骨壺は遺族が引き取り、後日お墓へ納骨する。お墓がいらないと感じる人や故人の希望があった人は、海などへ遺骨を撒く散骨の手配をとったり、遺骨をずっと自宅に置いて手元供養を行ったりする。
一方0葬では、遺族が遺骨を骨壺へ納めることはない。火葬が終われば遺骨を引き取ることなく、そのまま解散となる。遺骨を引き取らないのだから、骨壺はいらない。後日、お墓へ納骨する必要もないし、散骨や手元供養といった選択肢もとらなくていい。お墓がいらない人にとって、最も効率的な弔い方だ。

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遺骨を全く引き取らないと聞くと、多くの人が寂しさを感じるだろう。
しかし、欧米では火葬した際、遺骨の引き取りは任意だ。引き取りに来ない遺族もおり、それは故人への愛情の有無とは全く関係がないといわれる。魂が天に召された以上、抜け殻となった体や遺灰には執着しないという考え方があるのだ。日本人が「それは寂しい」と感じてしまうのは、宗教観や死生観の違いの現れらしい。
また、日本でも東日本では遺骨を全て骨壺へ納める「全骨拾骨(ぜんこつしゅうこつ)」が主流だが、西日本では小さな骨壺に全体の3分の1ほどを納める「部分拾骨」が一般的だ。
西日本の火葬場に残った遺骨は「残骨」とされ、不純物を取り除いた後は火葬場の供養塔に納められたり、各地の寺院等にある残骨供養塔へ送られたりする。残骨への処置手段がすでに確立されているのだから、遺骨を全て火葬場へ置いてくるというのも、不可能な話ではない。
0葬ができる火葬場探しに苦戦
不可能な話ではないけれど、簡単な話でもないようだ。私は0葬という用語ができてすぐ、0葬ができる火葬場はどれほどあるのか調査したことがある。結果は惨敗。東日本ではとくに「前例がない」「想定していない」との回答が多く、部分拾骨が一般的な西日本であっても「耳かきいっぱい程度でもいいから持ち帰ってほしい」とまで言われた。
結局、東海、関西、中国地方にちらほらと「喪主など親族にあたる人が一筆書けばOK」とする火葬場が点在するのみであった。
火葬場は一様に、後で「やはり遺骨を返してほしい」と言われる可能性を恐れていた。残骨はまとめて供養されるため、後で一体分の遺骨を取り出すのは不可能だからだ。よって喪主など遺族の中心人物が後で遺骨を要求しないと「一筆書けばOK」とする火葬場も存在するといえる。

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また、残骨が増えることを恐れて0葬をNGとした火葬場も多かったことだろう。残骨の供養にも、当然ながらお金がかかる。東京23区を除けば火葬場のほとんどが自治体の運営だから、そのお金の出所は、私たちの税金だ。
ただ、世間が0葬という用語を知り始めてからは、関東の都市部を中心にチラホラと「0葬可能」な火葬場が現れた。しかし諸事情により私の「0葬可能な火葬場を探す旅」は2016年で終了。最近はあまり関与できていなかったが、不意に気になった。
そして、0葬を展開する葬儀社に最新事情を伺った。お話を聞いたのは、「葬儀24ドットコム」の代表である近藤純一氏だ。
次ページ:0葬の現在は果たして‥‥‥
プラン開始から8年、0葬は広がった?
近藤氏は書籍『0葬』が出版されたまさにその年に、自らが経営する葬儀社に「0葬プラン」をつくり、展開を始めている。同社の0葬プランは、葬儀をせず火葬だけを行う「直葬」に、遺骨を引き取らない「0葬」を合わせたもの。現代日本において、最もシンプルな葬法だ。
もっとも「遺骨を引き取らない」といっても、火葬場の方針によりどうしても遺骨を骨壺に納めなければならないケースが大半だ。その場合は同社が火葬場で骨壺を預かり、後日散骨する。遺族は遺骨を家に持ち帰らないですむため、遺族にとっては実質、0葬となる。

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まず気になったのが、0葬を受け入れる火葬場が増加したか否かだ。近藤氏の答えはNO。依然として、遺骨を全く引き取らなくてもいい火葬場は限られているという。
ただ、東京の民間斎場には、少しの動きが見られる。最近、「遺族が希望すれば最小の骨壺に遺骨を納められるだけ納め、あとは残骨として火葬場へ残していくことも可能」と説明してくれた民間斎場があるという。
小さな骨壺に、少しだけ遺骨を持ち帰る。遺族の精神的負担は軽くなるし、しばらく家に安置して供養をするのもそれほど苦にならないだろう。後日散骨するときの負担も減る。
「東京の斎場でも、喪主となる人が関西から来るケースがあります。関西以西は小さな骨壺が主流なので、全骨収容用の大きな骨壺を見るとその存在感に驚いてしまうことも。もともとはそういうケースに臨機応変に対応するための仕組みなのではと、私は想像しています。そしてこの仕組みを弊社の0葬プランに応用できるよと、教えてくださったのでしょう」(近藤氏)
続く後編記事『両親の離婚後、疎遠になっていた親のほうの「お墓はいらない」…「0葬」を希望する人たちの「さまざまな事情」』では、0葬をめぐる実態についてさらに紹介する。
2023.06.17両親の離婚後、疎遠になっていた親のほうの「お墓はいらない」…「0葬」を希望する人たちの「さまざまな事情」奥山 晶子氏葬儀ライターより転載します。
貼り付け開始、
https://gendai.media/articles/-/111717
前編記事『お墓がいらない人たちが望む「0葬」の真実…火葬場が「0葬」に積極的ではない理由と「いちばん恐れていること」』では、0葬の定義や仕組み、私自身の取材経験などをお伝えした。
本稿では引き続き、0葬(ゼロ葬)の黎明期から「0葬プラン」を展開している葬儀社「葬儀24ドットコム」の代表である近藤純一氏にお話を伺う。
火葬場による粉骨サービスが登場
近藤氏によると、最近東京の民間斎場では「粉骨サービス」を行うケースも見られるという。
粉骨とは、遺骨を粉末状になるまで砕くこと。散骨の際には、撒かれた遺骨を発見した人から「事件性のある遺棄だ」と疑われないよう、事前に粉骨を終えておく必要がある。粉骨すると遺骨自体のかさが減るため、自宅で遺骨を保管する手元供養にも便利だ。
火葬場で粉骨まで終えておけば、分骨や散骨、手元供養などがスピーディーに行える。板橋区にある戸田斎場では以前から行われているサービスだが、戸田斎場以外にも粉骨を行う斎場が出てきたことは初耳だった。お墓の選択肢が増えたからこそ、こうしたサービスが広がっているといえるのではないだろうか。

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とくに増えたのが「直葬」「散骨」「樹木葬」
では、0葬を望む人自体は増えているのだろうか?
「じわじわ増えてきています。とはいえ最初に比べて2倍になった、3倍になったといった劇的な増加はありません。それよりも、直葬や散骨、そして樹木葬の増加の方が目立ってきていると感じます」と近藤氏。
「3密を避けるコロナの影響もあって、葬儀に人を集める必要のない直葬の依頼が増えました。散骨の依頼も、爆発的な増加ではないですが、確実に増えてきています。そして本当に増えたのが、樹木葬です。
とくに近年は寺院墓地の一角に樹木葬エリアを作るケースが目立ちます。もう、石のお墓を選ぶ人はほとんどいないのではと思えるほどです。樹木葬の増え方を見ていると、やはりお墓を作ることを選択する人が多いのだなと感じますね」
墓石ではなく樹木を祈りのシンボルとする樹木葬は、野に還るような言葉のイメージからお墓ではないと感じる人も多いだろう。
しかし、実際には自治体から墓地として認可を受けたところに据えられる、立派なお墓だ。「お墓はいらない」と主張する声が目立ってきたが、それでも選ばれるのは、「お墓」である樹木葬なのだ。
次ページ:ほとんどが「故人の希望」
0葬を希望する人の事情
8年かけて、少しずつ、本当にじわじわと増えてきた0葬。0葬プランを選ぶ人の事情は、どのようなものなのだろうか。
「ご遺族からの依頼では、『故人の希望により』という理由がほとんどです。これまで『本人の希望は知らないけれど、遺骨は引き取らない』と言ったご遺族はいません。多いのが、両親の離婚後、疎遠になっていたほうの親御さんを0葬にするお子さんです。生前、『おまえに迷惑をかけたくないから』と0葬にすることを言い渡されたお子さんが依頼されます。『迷惑をかけたくない』というのが、ご本人の想いとしては最もよく出る話ですね」(近藤氏)

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また、とくに2020年以降は、少し事情の違うケースもあるという。
「身寄りのない故人の後見人をしていた司法書士の方が相談に来られます。ご本人の0葬をしたいという希望によってなのか、なるべく安価に済ませてほしいと言われてのご依頼なのかは分かりませんが」
おひとりさまなどが専門家と任意後見契約を結ぶと、認知症などで判断能力が低下したとき、療養看護や財産管理に関する事務を委任することが可能になる。同じ専門家と死後事務委任契約を締結しておけば、死後に葬儀や墓に関する手続きを行ってもらうこともできる。弔うべき遺族がいない人のため、後見人が行う0葬。今後もニーズが増えそうだ。
次ページ:「本当に0葬でよかったのか‥‥‥」
家族の気持ちが揃っていることの大切さ
「0葬」を知った近藤氏がすぐに自社へ0葬プランを導入した背景には、「自分自身、0葬がいい」と思えた経験があったという。
「私は独身で子どもがおらず、亡くなるとき『遺族』といえる人がいない確率が高いです。たとえお墓があったとしても、納骨してくれる人もいなければ、お参りしてくれる人もいません。友人が訪れてくれるとしても数年の間だけでしょう。ですからもともとお墓はいらないと考えていました。0葬を知ったとき、これだ!と感じました」
近藤氏はFacebook上に「0葬ルーム」という0葬を勉強するためのオンラインサロンを開設し、普及に努めている。ご自身の「自分なら0葬がいい」という気持ちは強いものだ。しかし、0葬プランを選択する人の遺族の話を聞いていると、なんともいえない気持ちになることがあるという。

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以前、近藤氏のもとに0葬プランを依頼してきた女性がいた。夫に「僕の言うとおりにやらなかったら化けて出ますからね」とまで言われ、葬儀は直葬、遺骨は引き取らないという夫のプラン通りに見送ったのだと打ち明けた。
故人の希望を叶えた彼女はしかし、火葬場で一言「本当にこれで良かったのかな」とつぶやいた。近藤氏は「何も言うことができなかった」という。
おひとりさまならいざ知らず、伴侶や子どもがいる人が自ら0葬を希望しても、後に残る人はそれを望まない可能性がある。故人の希望だからと自らに言い聞かせ実行しても、満足できる弔いにはならないことがある。だからこそ、0葬は難しい。
しかし、0葬という選択肢があるのとないのとでは、弔い方の可能性がまるで変わってくる。0葬があると知って、救われる人もいるだろう。数少ない人たちが選ぶ、シンプルかつ大胆なこの弔い方が市民権を得るように、今後も発信を続けていきたい。
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