ダイヤモンド・オンライン(DOL): 癌になって思う「がん保険は、やっぱり不要だ」 山崎 元氏:経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員2023.2.22 4:25より転載します。
 
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https://diamond.jp/articles/-/318134

がん保険のイメージ写真


「がん保険は要らない」と言っていた筆者が癌になった。それでも「がん保険は、やっぱり不要だ」と思った。これは筆者としての結論だが、その判断に影響を与えた要素が筆者と同様の方は少なくないはずだ。今回はその要素についてお伝えするので、読者は、ご自身としての結論を得てほしい。

私の癌と治療経過

 冒頭から私事で恐縮だが、筆者は昨年不幸にして癌にかかった。ステージIIIの食道癌である。そして、幸いにして治療は順調であり、体力はかなり回復した。現在、再発防止目的で薬剤を投与しており、向こう一年ほど検査なども含めて1カ月に一度程度通院する予定だが、仕事を含めて日常生活に支障はない。

 

 ただし、「不幸」と「幸い」の比較は、残念ながら「不幸」の勝ちだ。最大限に治っても病前の状態までは回復しない。端的に言って、以前と同じように飲んだり食べたりできるようにはならない。飲んだり、食べたりは、本当に楽しかった。ビジネスや人間関係の上でも大変有効だった。そして、何よりも再発のリスクを抱えている。食道癌は再発や転移が多い癌なのだ。読者は癌にかからない方がいい。

 さて、癌になってみると、筆者の元にはがん保険に関する質問が多数寄せられた。「がん保険は要らない」と言っていた人物が、実際に癌になってどう感じたか興味を持たれたのだろう。

 本稿では、筆者の癌とその治療経過を手掛かりに、がん保険の要否について考える。筆者と似た条件にある方は多いと思うが、読者と筆者とで意思決定のための条件が同じでない点はあるかもしれない。もとより自分一人の経験を一般化して押しつけるつもりはない。

 読者は、ご自分の問題として改めて考え直してご自身の結論を得てほしい。

次のページ;癌になっても「がん保険は、やっぱり不要だ」と思う理由とは?

 なお本記事では、病気としての癌の表記として漢字の「癌」を充てる一方、「がん保険」への言及では「がん」を充てる。保険会社は癌が恐ろしい病気ではないというイメージを醸し出したいのだろうと推察して、その慣行を尊重する。

 患者になってみた実感としても、文章の字面としても、癌一般には「癌」が適切だと強く思う。ひらがなの「がん」は間抜けだし、それで病気が軽くなるわけでもない。
癌患者としての筆者の条件

 筆者の癌治療の概要を簡単に説明する。

 癌が見つかったのは昨年の夏だ。ある大学病院を選んで治療することにした。手術で病変部分を取り切れると見込まれる食道癌の現在の標準治療は、先に抗癌剤治療を二度程度入院して行い、その後に手術を行うものだ。筆者は、つごう三度、合計40日程度入院した。

 手術を受けたのは昨年の10月下旬で、術後13日で退院した。治療の進歩とともに厚生労働省の方針もあってか、入院は意外に短かった。

 現在、手術後3カ月と少々が経過し、再発防止のための投薬治療を続けている。幸い、概ね順調な回復過程をたどっていて、先般の術後3カ月目のCT(コンピュータ断層撮影)検査では再発・転移は見つかっていない。

 筆者は発病時も現在も満64歳で、証券会社の社員であり、東京証券業健康保険組合に加入している。民間保険会社のがん保険には一切入っていなかった。さて、筆者の癌に治療費はいくらかかったのだろうか?

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筆者の場合の「治療費負担」はいくらかかった?

 確定申告を控えた時節柄、筆者の手元には医療費の領収書がまとめられている。支払いで大きなものは、3回の入院から退院した際に行った支払いだが、1回目の入院の際に67万円、2回目の入院で55万円、手術を含む3回目の入院の際の支払いが83万円だ。合計で205万円である。なお、以下も含めて、金額は1万円単位で大まかに記述する。

 それぞれの支払いは、まず診察券を支払い用の端末機に入れ、次にクレジットカードを入れて暗証番号を打ち込むだけだった。その後に、機械から領収書と診療明細書など数枚がプリントアウトされて完了だ。支払い自体には3分もかからない。

 手術入院の退院までを一区切りと考えると、ここまでに、大学病院で支払ったその他の医療費(検査費用、処方薬代など)と、大学病院に至る前の段階でお世話になった街のお医者さん3軒や調剤薬局で払った費用の領収書が、「合計で、20万円を超えるかもしれないけれども、30万円には至るまい」と思える程度に存在する。多めに見て、医療費の合計を235万円と見積もっておこう。

 この235万円の支払いの大きな部分は、いわゆる差額ベッド代だ。一泊約4万円で、合計40泊している。この大学病院は個室(シャワー付き)の部屋代が相対的にやや高めだと後から分かった。近隣の大きな病院は3万円台半ばくらいの設定が多い。地方の病院だともっと安い場合が多いだろう。

 病院の選択に当たっては、個室代などの価格を全く気にしていなかった。病院の症例数や執刀してくれる医師の経験や評判などで決定した。結果的に「当たり」だったと思うが、この点は真剣に選んだ。少々の値段の差よりも、受けられる治療の質が重要だと考えた(普通の考えだと思う)。

 個室を選んだ理由は、主に、消灯時間が自由であることや、原稿書きや電子メール、オンライン会議ができることなどだ。個室代分を稼ぎ出すほど熱心に仕事をしたわけではないが、仕事に穴を空けずに済んだし、他の患者さんに気を遣わずに済んだので、これで良かったと思っている。

 同じ病院でもっと高い部屋のオプションが複数あったし、4人一部屋の入院だと一泊約7000円なのだが、この辺を自分の現状にとってほどほどだと判断した。もう入院せずに済むといいのだが、仮に再入院するとしたら、同様の条件の部屋をまた選ぶだろう。

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健康保険組合の「給付金制度」で医療費は思ったより安く

 ちなみに、差額ベッド代は健康保険の対象外だ。また、税務的にも医療費として控除の対象にはならないと聞いている。この一泊4万円は、筆者の「自発的贅沢(ぜいたく)」だと思ってくれていい。もっと安く済ませることが十分可能だ。

 加えて、差額ベッド代を除いた約75万円が全て自己負担の医療費になるかというと、現実はもっともっとお財布に優しかった。筆者の場合、健康保険組合独自の給付金制度があるからだ。

 東京証券業健康保険組合の場合、一回に2万円を超える保険診療の医療費支払いは、2万円との差額が給付される制度がある。給付のタイミングは自己負担額の支払いの3カ月後だ。

 他の健康保険組合では、医療費の支払い一回当たりに自己負担の上限を設けて計算するケースもあるし、1カ月の医療費に上限があって差額が後から補填されるケースもあるようだ。

 また、加入員の自己負担における上限金額の設定に違いがある。個々の健康保険組合によって条件が異なるが、企業や業界単位の健康保険組合の場合は何らかの補填的給付があるケースが多い。特に、サラリーマンはご自身が加入する健康保険組合の条件をホームページなどで確認しておくといい。

 例えば、初回の入院費を支払った昨年9月分の医療費では、保険診療分として筆者が窓口で機械に支払った金額が25万円だった。ところが、「一部負担還元金現金給付」として健康保険組合が支給してくれた金額が23万円あって、この支払いは12月半ばに行われている。

 2度目の入院の支払い27万円と、2万円を超える通院の支払い3万円があった10月分には、後から26万円が支給されている。支給額の決定は支払い一件単位なので、前者の支払いに対して25万円と、後者の支払いに対して1万円の合計が26万円だということなのだろう。この月は2万円を超える支払いが2回あったので、筆者は4万円負担した。

 3度目の入院の支払いがあった11月は、筆者の支払いが14万円で、健保組合からの給付は12万円だ。ここまでの3回で合計61万円支給されている。

 なお、煩雑になるが本記事の性質上記しておくと、筆者が窓口で支払った金額のうち保険診療に該当する金額については、国民健康保険の高額療養費制度の上限額が支払いの上限になるように病院側が調整する仕組みがある。一回当たりの支払い額があまり大きくならないようにとの配慮だろう。

 これが先に適用されて高額療養費制度で支払いの上限があり、まずこれを支払う。その支払い額に対して健康保険組合が一件2万円を超える分をさらに負担してくれる仕組みだ。

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健康保険の保障は手厚い

 ここまでのところ、個室代の160万円を筆者の個人的贅沢として考えて除外すると、健康保険でカバーされなかった「どうしても必要だった」医療費の支払いは、手術の入院が終わって治療が一段落した段階で十数万円だった(75万円マイナス61万円は14万円だ)ということになる。

 今後の医療費はどうなるか。筆者は主治医と相談して、再発防止のための薬剤投与を行うことにした。毎月一回、1年間である。その他に、定期的に検査があったり、飲み薬の処方があったりするが、大きな金額ではない。

 高価な薬だが、毎月の窓口の支払いは、保険適用部分が12万円に、時間を予約して診療できる仕組みの利用料が1万円の合計で13万円見当の予定だ。そして、12万円の方は健康保険組合の給付金を考えると負担が2万円に減る。結局、1カ月当たり3万円を1年間負担することになると見込んでいる。

 改めて計算してみて、そもそものわが国の健康保険制度および健康保険組合(筆者の場合は東京証券業健康保険組合)の付加的な給付制度が、こんなに手厚いものなのかと感心する。

 証券会社のサラリーマンである筆者の場合、どうしても必要な医療費支出は煎じ詰めると十数万円だった。本人の収入によって負担額が変わるが、国民健康保険の高額療養費制度までが負担の上限額になるフリーランスの場合も、筆者程度の癌にかかった場合の負担額は数十万円の単位だろう。「治療費が足りなくなる心配」だという理由からがん保険に加入する必要性はない場合が多いだろう。

 読者は何らかの健康保険に加入しているに違いない。ならば、少々余裕を見るとして自由になる預金が200万円か300万円くらいあれば、入院の条件などをその都度考えるとして、健康保険が適用される標準的な治療を行う限り、がん保険に入っていなければ癌の治療費が払えないという事態はまずないだろう。

 がん保険の保険料を毎月支払うよりも、預金なり積立投資なりで早く何百万円かの備えを作ることを考えた方がいいと筆者は思う。老後の生活に備えた蓄えの形成も必要なのだから、同時に行うといい。

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意思決定は結果論ではなく「事前」がベース

 筆者が、がん保険に加入していたらどうだっただろうか。例えば、癌と診断を受けた時に50万円とか100万円といった一時金をもらえるケースもあるだろうし、入院一日当たり1万円とか2万円といった保険金も大いに助けになったはずだ。

 筆者の場合も、癌にかかることが前から分かっていたなら、何らかのがん保険に入っておいた方が金銭的に「得」だった可能性は大きい。

 しかし、がん保険に加入するか否かの意思決定は、自分が将来癌にかかるかどうかが分からない「事前の」時点で行うものだ。かつての筆者にとってもそうだったし、多くの読者にとってもそうあるべきだ。

 筆者が思うに、特定の結果の損得と、確率を考えた「事前の」損得を区別して、後者のロジックに従って判断できるかどうかが、経済的に正しい意思決定ができるか否か、いわゆる「カモになるか否か」の一つの大きな分岐点だ。せっかく人間に生まれて、多少なりとも確率の概念が分かるのなら、正しく考えたいものだ。

 ここで、しゃくし定規に真面目な人なら、将来自分が癌にかかる確率、その場合に支払われる保険金の予想額などを考え、他方の保険料負担と、保険料を他の運用に回した場合の期待リターンなどを考慮して、損得の期待値を計算するのかもしれないが、これは賢くない。本気でやるなら人生の時間の浪費だ。

 保険会社が商品設計の際の計算に失敗しない限り、がん保険の条件は保険会社が十分利益を期待できる水準に設定されていて、加入者側にとって損であるに決まっている。なぜなら、平均的に加入者が得をするのであれば、原理的に保険会社はつぶれてしまうからだ。そして、商品としてのがん保険は長年にわたって継続しており、保険会社はもうかっているし、保険を売るための熱心なセールスの努力が続いている。推測の根拠は十分だ。

 損得の点に関しては、営利会社であり保険の専門家でもある保険会社を大いに信用していいはずだ。「大人の経済常識」を働かせた判断として、確率と期待値を考えた損得の問題として、保険会社がもうかっているなら、加入者は損をしていると考えて間違いない。

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「がん保険には入らない」という結論を何度でも出すだろう

 従って、仮に筆者が30代、40代の時分に戻って、将来癌にかかるかどうか分からない時点でがん保険の加入について検討するなら、「がん保険には入らない」という結論を、自信を持って出すはずだ。

 なぜなら、がん保険に入ることが確率を考えると大幅に損である一方、万一癌にかかっても自分の手元のお金で十分対処できるからだ。この意思決定に不安はない。そして、この種の架空の状況の繰り返しが何度も可能であるとすれば、何度でもそうするだろう。

 ただし、架空の人生のうち、何度かに一度は癌にかかって何らかの治療費を自己負担することになるに違いない。しかし、架空の人生を何度も通算すると、保険に加入しない方が大いに得になっているはずだ。

 保険はお金の問題だ。感情を交えずに損得と必要性の有無で判断したい。

 例えば、通院には交通費が掛かるが、この交通費をがん保険が支給してくれると嬉しいといった声がある。結果論として、嬉しかったり、助かったりする場合があるのはその通りだろう。しかし、保険会社は交通費を支払うような保険の場合に、交通費の発生確率や期待値も計算して保険料を設定しているはずだ。

 また、そもそもがん保険に入る動機の小さくない部分が、癌にかかることへの不安の感情だろう。冷静に考えると、がん保険に入っても癌に罹患(りかん)する確率は少しも小さくならないのだが、不安な問題に何らかの対処を行ったということが、精神的な満足感につながることがある。率直に言ってこの満足感は賢くないし、賢くないことが我慢できても相当に高く付く。

 保険一般として、利用の判断基準は、「損か、得か?」ではなく、「損だけれども、必要か?」であるべきだ。保険の専門家ほど、これが当たり前だと思っているはずだ。

 自動車を運転する際の自賠責保険のように、平均的に損ではあろうけれども必要な保険というものはある。

 他方、がん保険は、それ自体が損であることと同時に、がん保険がなくても治療費の支払いに心配はないので不要である。

 これは、筆者の状況での判断だが、意思決定に影響を与える要素が筆者と同様の方は少なくないはずだ。ご参考になれば幸いだ。

 読者ご自身の場合はどうなのか。ご判断は読者にお任せする。


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