カラパイア:映画「ターミナル」のモデルとなった18年間空港で暮らした男性が空港で死去2022年11月16日より転載します。
貼り付け開始、
https://karapaia.com/archives/52317753.html
トム・ハンクス主演の映画「ターミナル(2004年)」のモデルにもなった、フランス、パリの空港に18年間住んでいたイラン人の男性が、心臓発作により空港のターミナル内で死去した。1945年生まれなので、77歳くらいかと思われる。
メフラン・カリミ・ナセリさんは、外交問題により法的に身動きができず、1988年から2006年まで、18年間にわたってシャルル・ド・ゴール国際空港に住み続けていた。
Man Who Lived In Paris Airport For 18 Years Dead After Heart Attack
パリ空港当局関係者によると、11月11日の正午頃、メフラン・カリミ・ナセリさんがパリ=シャルル・ド・ゴール空港のターミナル2階で、心臓発作により死亡したという。
警察と医療チームがナセリさんを治療したが、救うことができなかったそうだ。ナセリさんは、1988 年から 2006 年まで、同空港のターミナル 1 に住んでいた。
1945 年、イランのクゼスタン州でイラン人の父とイギリス人の母の間に生まれたナセリさんは、1974年にイギリスで勉強するためにイランを離れた。
しかし、イランに戻った時に国王に抗議したことで投獄され、その後パスポートなしでイランを追放された。
ナセリさんは欧州の複数の国で政治亡命を申請した。しかし、ベルギー政府によって与えられた難民証明書が入ったブリーフケースを、パリの駅で盗まれたとナセリさんは主張。
公式の文書を所持していなかったためフランス警察に逮捕されたが、結局どこにも国外退去させることができず、ナセリさんは1988 年 8 月にシャルル・ド・ゴール空港に留まることを余儀なくされた。
以後も、外交問題や更に厳しくなったヨーロッパの移民法によって、ナセリさんは何年も空港で過ごした。
赤いプラスチック製のベンチで寝泊まりを繰り返すうちに、ナセリさんは空港職員とも顔見知りになり、友達になったおかげで職員の施設でシャワーを浴びさせてもらえるようにもなった。
空港では、カフェに座ってコーヒーを飲みながら日記を書いたり、雑誌を読んだり、通りすがりの旅行者を観察したりして1日を過ごしていた。
“アルフレッド卿”というあだ名を職員たちから付けられたナセリさんは、「空港で暮らす男」として、乗客の間でもちょっとした有名人になった。
その後、ようやくフランスに住むための難民申請書を受け取ることができたが、彼は空港を離れることについての不安があったようだ。
空港を去ることができるようになったにもかかわらず、ナセリさんはそのまま空港に住み続けた。
2006 年に病気で入院するまで空港暮らしを続けていたナセリさんは、その後パリのホステルに住んでいた。
しかし、空港職員によると、死の数週間前には再びシャルル・ド・ゴールに戻っていたという。
過去にナセリさんを診察した空港医師は、長い間の空港生活によって身体および精神状態が蝕んでいたナセリさんを、「彼は化石化してしまった」と表現していた。
また、空港職員たちにも、外で生きることができない囚人と比較されていた。
ただ、いつの間にか、空港はナセリさんにとってイラン以上に「故郷」になっていたのかもしれない。実際に、彼は空港をそう呼んでいたそうだ。
2004年には、ナセリさんのことを聞いたスティーブン・スピルバーグ監督が、彼をモデルにして制作したトム・ハンクス主演の映画『ターミナル』が公開された。
当時、ナセリさんは映画についてのたくさんの取材を受けており、映画からの収入でホステル滞在をしていたようだと地元メディアは伝えている。
References:Man Who Lived In Paris Airport for 18 Years Dies In Paris Airport / written by Scarlet / edited by / parumo
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貼り付け終わり、
https://karapaia.com/archives/52317753.html
トム・ハンクス主演の映画「ターミナル(2004年)」のモデルにもなった、フランス、パリの空港に18年間住んでいたイラン人の男性が、心臓発作により空港のターミナル内で死去した。1945年生まれなので、77歳くらいかと思われる。
メフラン・カリミ・ナセリさんは、外交問題により法的に身動きができず、1988年から2006年まで、18年間にわたってシャルル・ド・ゴール国際空港に住み続けていた。
Man Who Lived In Paris Airport For 18 Years Dead After Heart Attack
パリの空港で暮らし続けた男性が死亡
パリ空港当局関係者によると、11月11日の正午頃、メフラン・カリミ・ナセリさんがパリ=シャルル・ド・ゴール空港のターミナル2階で、心臓発作により死亡したという。
警察と医療チームがナセリさんを治療したが、救うことができなかったそうだ。ナセリさんは、1988 年から 2006 年まで、同空港のターミナル 1 に住んでいた。
pixabay
1945 年、イランのクゼスタン州でイラン人の父とイギリス人の母の間に生まれたナセリさんは、1974年にイギリスで勉強するためにイランを離れた。
しかし、イランに戻った時に国王に抗議したことで投獄され、その後パスポートなしでイランを追放された。
ナセリさんは欧州の複数の国で政治亡命を申請した。しかし、ベルギー政府によって与えられた難民証明書が入ったブリーフケースを、パリの駅で盗まれたとナセリさんは主張。
公式の文書を所持していなかったためフランス警察に逮捕されたが、結局どこにも国外退去させることができず、ナセリさんは1988 年 8 月にシャルル・ド・ゴール空港に留まることを余儀なくされた。
18年の歳月を空港で過ごしたナセリさん
以後も、外交問題や更に厳しくなったヨーロッパの移民法によって、ナセリさんは何年も空港で過ごした。
赤いプラスチック製のベンチで寝泊まりを繰り返すうちに、ナセリさんは空港職員とも顔見知りになり、友達になったおかげで職員の施設でシャワーを浴びさせてもらえるようにもなった。
空港では、カフェに座ってコーヒーを飲みながら日記を書いたり、雑誌を読んだり、通りすがりの旅行者を観察したりして1日を過ごしていた。
image credit: youtube
“アルフレッド卿”というあだ名を職員たちから付けられたナセリさんは、「空港で暮らす男」として、乗客の間でもちょっとした有名人になった。
その後、ようやくフランスに住むための難民申請書を受け取ることができたが、彼は空港を離れることについての不安があったようだ。
空港を去ることができるようになったにもかかわらず、ナセリさんはそのまま空港に住み続けた。
故郷と呼んでいた空港で息を引き取る
2006 年に病気で入院するまで空港暮らしを続けていたナセリさんは、その後パリのホステルに住んでいた。
しかし、空港職員によると、死の数週間前には再びシャルル・ド・ゴールに戻っていたという。
過去にナセリさんを診察した空港医師は、長い間の空港生活によって身体および精神状態が蝕んでいたナセリさんを、「彼は化石化してしまった」と表現していた。
また、空港職員たちにも、外で生きることができない囚人と比較されていた。
image credit: youtube
ただ、いつの間にか、空港はナセリさんにとってイラン以上に「故郷」になっていたのかもしれない。実際に、彼は空港をそう呼んでいたそうだ。
2004年には、ナセリさんのことを聞いたスティーブン・スピルバーグ監督が、彼をモデルにして制作したトム・ハンクス主演の映画『ターミナル』が公開された。
当時、ナセリさんは映画についてのたくさんの取材を受けており、映画からの収入でホステル滞在をしていたようだと地元メディアは伝えている。
References:Man Who Lived In Paris Airport for 18 Years Dies In Paris Airport / written by Scarlet / edited by / parumo
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