貼り付け開始、
https://karapaia.com/archives/52298922.html
さて、ここで問題だ。人工物の中で史上最速記録を保持している物体は何だろうか? 答えは目にもとまらぬ弾丸や、大気圏を突破して宇宙に飛び立つロケットでもない。なんとマンホールの蓋だ。
大切なことなので、もう一度言おう。マンホールの蓋である。
1950年代に行われたアメリカの地下核実験により飛ばされたものだ。
もちろんそうした実験は、人気のない砂漠や海のど真ん中で行われた。それでも核爆発によって舞い上がる死の灰は危険きわまりなく、風に乗って大気や人々を汚染しかねない。
1950年代後半、国防総省は核実験の大半を地下で行うことを決定。これ以前にも地下実験が行われたことはあったが、ついに核爆発の爆風を完全に封じ込めることができる容器の設計が進められることになった。
伝説が生まれたのは、8月27日夜に行われた二度目となる地下での安全性検証実験「パスカルB」でのことだ。
この実験では、152メートルの縦坑の中で核弾頭が起爆された。縦坑の上部にあった開口部は、重さ900キロ、直径1.2メートル、厚さ10センチほどのマンホールの蓋(鋼蓋)が溶接されて塞がれていた。だが起爆からほんの数ミリ秒後、駆け昇ってきた爆風によって蓋は吹き飛ばされ、縦坑からキノコ雲が立ち上ったのである。
計算結果が興味深いものだったため、実際の実験にあたってはハイスピードカメラが設置され、鋼蓋の速度が測定されることになった。
だが核が起爆されたとき、鉄蓋はたった1フレームにしか映っておらず、その速度を直接計測することはできなかった。そこでブラウンリー博士は「猛スピード!」と推定した。科学的でなくても、そのときの様子をありありと思い浮かべることができるだろう。
後の計算では、鋼蓋の速度は時速20万1000キロと試算されている。地球からの脱出速度の5倍である。
実験後、その鋼蓋が発見されることはなかった。ブラウンリー博士は、それが大気圏を脱出したとは考えていなかったようだ。というのも、それだけの速度で吹き飛んだとすると、摩擦熱によって蒸発してしまうからだ。
つまり鋼蓋は人類史上最速の物体であるばかりでなく、人類史上でも最初期に宇宙まで打ち上げられた物体だったかもしれないということだ。
追記(2021/02/03)本文を一部修正して再送します。
References:ZME Science/ written by hiroching / edited by parumo あわせて読みたい
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貼り付け終わり、
https://karapaia.com/archives/52298922.html
人類史上最速の人工物はマンホールの蓋 /iStock
さて、ここで問題だ。人工物の中で史上最速記録を保持している物体は何だろうか? 答えは目にもとまらぬ弾丸や、大気圏を突破して宇宙に飛び立つロケットでもない。なんとマンホールの蓋だ。
大切なことなので、もう一度言おう。マンホールの蓋である。
1950年代に行われたアメリカの地下核実験により飛ばされたものだ。
地上から地下へ、アメリカの核実験の歴史
第二次世界大戦後期に遂行されたマンハッタン計画は、その後の核時代の号砲となった。1945~92年にかけて、アメリカは実験のためにじつに1000発以上の核弾頭を起爆している。もちろんそうした実験は、人気のない砂漠や海のど真ん中で行われた。それでも核爆発によって舞い上がる死の灰は危険きわまりなく、風に乗って大気や人々を汚染しかねない。
1950年代後半、国防総省は核実験の大半を地下で行うことを決定。これ以前にも地下実験が行われたことはあったが、ついに核爆発の爆風を完全に封じ込めることができる容器の設計が進められることになった。
1962年7月6日、ネバダ核実験場のユッカ平原で行われた浅深度地下核実験「セダン核実験」
image credit:public domain/wikimedia
プラムボブ作戦でマンホールの蓋が世界最速記録
1957年5月28日から10月7日まで、ネバダ核実験場で29回の実験が行われた「プラムボブ作戦」は、アメリカ国内で行われたものとして最大規模かつ最長の核実験だ。伝説が生まれたのは、8月27日夜に行われた二度目となる地下での安全性検証実験「パスカルB」でのことだ。
この実験では、152メートルの縦坑の中で核弾頭が起爆された。縦坑の上部にあった開口部は、重さ900キロ、直径1.2メートル、厚さ10センチほどのマンホールの蓋(鋼蓋)が溶接されて塞がれていた。だが起爆からほんの数ミリ秒後、駆け昇ってきた爆風によって蓋は吹き飛ばされ、縦坑からキノコ雲が立ち上ったのである。
プラムボブ作戦スモーキー実験
image credit:public domain/wikimedia
その速度は時速20万1000キロ!
パスカルBを考案したのは、ロバート・ブラウンリー博士という科学者だった。彼は実験前に鋼蓋が外れる速度について疑似計算を行っていた。2002年、彼はとあるエッセイを発表し、その結果について当時ビル・オーグル副課長と交わしたやりとりを述懐している。オーグル(オ):縦坑上部に衝撃波が伝わるまでの時間は?
ブラウンリー(ブ):31ミリ秒です。
オ:それからどうなる?
ブ:衝撃波は下へ反射されますが、圧力と温度で溶接された蓋が飛ばされます。
オ:速度は?
ブ:その点については、計算は見当違いなものですよ。衝撃波の反射についてなら正確でしょうが。
オ:どのくらいだったんだ?
ブ:数字に意味はないですよ。蓋の上は真空しかない前提でしたから。蓋には空気も重力もかからないし、物質強度もないんですから。外れて無意味な空間を移動しているようなものです。
オ:いいから、言いたまえ。
ブ:地球からの脱出速度の6倍です。
計算結果が興味深いものだったため、実際の実験にあたってはハイスピードカメラが設置され、鋼蓋の速度が測定されることになった。
だが核が起爆されたとき、鉄蓋はたった1フレームにしか映っておらず、その速度を直接計測することはできなかった。そこでブラウンリー博士は「猛スピード!」と推定した。科学的でなくても、そのときの様子をありありと思い浮かべることができるだろう。
後の計算では、鋼蓋の速度は時速20万1000キロと試算されている。地球からの脱出速度の5倍である。
実験後、その鋼蓋が発見されることはなかった。ブラウンリー博士は、それが大気圏を脱出したとは考えていなかったようだ。というのも、それだけの速度で吹き飛んだとすると、摩擦熱によって蒸発してしまうからだ。
マンホールの蓋が宇宙まで到達した可能性も
だが本当に宇宙にまで旅立った可能性だってある。もしそうなら、それはソ連が世界初となる人工衛星スプートニク1号を打ち上げる数か月前のことだ。つまり鋼蓋は人類史上最速の物体であるばかりでなく、人類史上でも最初期に宇宙まで打ち上げられた物体だったかもしれないということだ。
追記(2021/02/03)本文を一部修正して再送します。
References:ZME Science/ written by hiroching / edited by parumo あわせて読みたい
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