藤沢周平さんはl時代小説家で、直木賞などを受賞されています
69歳で亡くなりましたたが、今年はもう没後25年になります。
今でも人気が高い作家の1人ですが、私もファンの一人で藤沢さんの著書は殆ど所蔵していると思います。
作品は、映画化されたりテレビドラマ化されているものも多く、「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」「花のあと」「武士の一分」や「三屋清左衛門残日録」「立花昇青春手控え」などをご覧になった方も多いのではないかと思います。
藤沢さんは農家の次男坊として生まれ、黄金小学校を卒業後働きながら鶴岡市内の夜間中学に通いました。
そして、山形師範学校に学んだあと、生家の山向こうに有る湯田川中学校に新任教師として赴任しました。
しかし、2年後肺結核に罹っていることが判明し、東京都下の療養所で治療を受けるため上京しました。
その効果で結核は完治しましたが、教師に復職する事は叶わず、業界紙の編集に携わりながら小説を書く生活を続けました。
そして、その作品が評価され直木賞作家となり、多くの作品を残しました。
藤沢さん(本名小菅留治)は隣町の鶴岡市(旧黄金村)の出身です。
その生家跡が残っているということで、暫く前になりますがが訪ねてみました。
今は屋敷などは残っておらず、更地に石碑が有るだけでした。
この写真に写っている橋の右手30m程のところに藤沢さんの生家跡があります。
藤沢さんのエッセイによると、この橋の辺りでこどもの頃によく遊んだようです。流れているのは青龍寺川で、昔は護岸工事などされておらず、自然の流れだったと思いますし、橋も当時は木造だったのではと思われます。
藤沢さんは近所のこども達と一緒に、夏になるとよくこの川で泳いで遊んだそうです。一度溺れかかって上級生に助けられたとも書いておられます。
今もこの辺りは農村風景が広がり、当時の留治少年が眺めた景色の名残を感ずる事が出来るのではと思いました。
エッセイの中で、歯医者での治療がイヤで通院先を3か所も変えたとか、家の近くを散歩しながら道の周りのお家の庭の花を愛でるのが楽しみとか書いておられ、私と共通点がある事を知ってうれしく思ったりします。
藤沢作品に描かれている人物は、普通の庶民や下級武士が多いです。
藤沢さんの温かい視点が作品の中に表れているように思いますし、さわやかな読後感をいつも覚えます。
以前詠んだ作品を読み返したら、新たな感慨を感じることもあります。
でも、新たな藤沢作品を読むことがもうできないのはとても残念な事はありです。