昨日は、生まれて初めての記憶は三歳の時に写真を撮って貰った時と書いた。
この写真が私にとっての人生最初の写真でもあるのだ。
この写真は叔父が撮ってくれたものだと思うが、私はイガグリ頭で鼻緒のある履物を履いている。多分草履だろう。
写真は名刺大位の大きさで小さく、画像も鮮明では無い。
戦後間もない頃によく叔父がカメラを持っていたものだと思う。
現代では、それぞれの家庭でいろいろな記念日に、家族で写真を撮って記録に残しているでしょう。
最近では動画での記録も多いはずだ。
実は大正生まれの両親達にはそういう幼い時の写真が残っているのだ。
しかし我々の同輩達は、私と同じようにそういう記念となる幼い時の写真を持っていない人が多いのではと思われる。
それは戦後間もない頃の状況がいかに貧しく切迫していて、親たちにもそういう余裕が無かった事を物語っている。
私の親父は戦時中横須賀の海軍工廠とかいうところに勤めていて、母と共に安針塚に住んでいた。
戦争末期には、魚なども配給制で毎日イワシだけだったという。それをいかに工夫しておかずにするか難儀したと聞いている。
その他にも多くの苦労話を聞いている。
多分その頃は漁師の人たちも、米軍の戦闘機の機銃攻撃などを恐れて沖合まで漁に行けなかったのだと思う。
それでイワシしか獲れなかったのだ。
戦後生まれの我々も戦争被害者なのだ。
当時の生きるだけで精いっぱいの、苦しく貧しかったころの記憶が世の中から薄れつつある。