こんばんは🌙
今日も前回のつづき
で、にぃにと重心児&医療的ケア児坊の弟妹問題の話(うちの場合)です。
昨年10月頃、3人目を妊娠しました。
今はもういないので、記録として残させてください。
5週後半
ちょっと張り切り過ぎかなとも思いつつ
東京に住んでいた名残(早めに分娩施設を予約しないといけない)と
子宮外妊娠はやっぱり怖いので、
5週の段階で 坊が生まれた地方の中核病院を受診しました。
坊が13トリソミーであることは
出産後、(坊は搬送されてしまったため私のみの)1か月健診時にその時の助産師さんには伝えましたが、
その際の医師(たぶんバイトか専攻医くらい←偏見(なぜなら横にいる後輩(研修医)にいきってた風に見えたから))の診察時には
まったく触れられなかったという経験があるので、
念のため今回の受診時にも(別の先生に)伝えました。
ちなみに産後1か月健診時に助産師さんに
‟生まれた子が(搬送先の病院にて)染色体検査で13トリソミーであることが判明したこと”を伝えると
‟(病名がわかって)よかったですね。”
と言われました。
恐らく、
さまざまな検査をしてもなかなか診断がつかない遺伝子の疾患もまだまだ多く、
それにやきもきするご家族もみてきての発言だとは思いましたが、
坊の場合は、一つ目の検査ですぐに出たのでそういった経緯もなかったため
‟ちょっとまだ 私にかける言葉ではないかな~”
と思ったことを思い出しました。
内診ではまだ 胎嚢の確認のみ(子宮内)だったので翌週再受診となりました。
またこの日は、
“坊の正式な入所について”児童相談所から連絡があった日でもありました。
(書類上の問題ではありますが、この時期まで 坊は入院扱いでした。洗濯物で繋がる関係)
なんとなく、
うちの家族もまた新しい形になっていくんだなぁと感じました。
6週後半
心拍確認。胎嚢がちょっと見えにくい位置のようでしたが、どうにか先生が見つけだしてくれました🔍。
少し早めではありましたが、
市役所へ行けるときに行くようにと妊娠証明書も発行してもらいました。
まだまだ安心はできないものの、
心拍があり、やはり一安心。
赤ちゃんが出来た喜びと、
まだ妊娠出来ることに感心と。
うちの市の保育園は、
前年の10月末〆で翌年度分を申し込むスタイルです(生まれる前でも申請可)。
残念ながら
にぃにが小1になってしまい
坊も保育園には行っていないため
兄弟児加算なし。
夫とそれぞれ育休をどれくらい取るかも相談せねばならず、
10月中に申込するかは微妙ではありましたが、
(さすがに職場に言うには早すぎるし…、でも申請するなら就労証明書書いて貰わないといけないし…)
とりあえず市役所で
母子手帳の発行と共に、
保育園の入園申請書も貰ってきました。
8週後半
ひどくはないけれど、
それなりにつわり症状のある生活を送っていました。
年のせいか、体がずーっとだるい
出血等は特になし。
そして予約日に病院を受診。
無言が長めの内診では心拍確認できず…。
胎嚢のサイズは週齢相当には育っていたようで、
来院時の運転中にちょっと腹痛があったので、その時までは生きていたのかなぁなんて思ったり…。
先生からはいわゆる稽留流産で、
大きさ的には(子宮内容除去)手術の適応。
(この病院の場合)一泊二日の入院が必要と言われ
“早ければ今週中にでも”とのことでしたが、
仕事の調整が必要なのと、
週末ににぃにの幼稚園の運動会もあり
即答出来ずにいると
(心の準備もあるだろうし)
“二日後にもう一度みてましょう”となりました。
ちなみに
私は退院翌日から働くつもりでいたら
“術後数日は休んだ方がいい”とのアドバイスでした。
そしてこの日は、
坊の正式入所の日でもあり…。
(平日休みに予定をつめるからこうなる)
喪失感でいっぱいの一日となりました。
私の気持ち
心拍が確認されなかったとき、
私がまず思ったのは
…15% でした。
流産の確率は病院で確認される妊娠の約15%。
(後に調べると40代は30〜50%とも)
この時期の流産は
ある程度あり得ることであり、
さらに仕方のないことでもあるので、
自分を責めたりするようなことはありませんが
それでもやはり
悲しい…
これまで坊のことでいろいろあり、
割といろいろなことに動じないようになってきたとは感じていましたが、
(もともとそこまで感情豊かな方ではないけど)
やはり
どうしようもないことに対しても
残念で悲しく思う気持ちはちゃんと残っていました。
そして、2日後に再度受診。
大きさも変わりなく、やはり心拍もなかったため翌週にOPEとなりました。
人生初の静脈内鎮静かと思っていたら、
最近は鎮静なしで行うことも多いとのことで、
処置は局所麻酔のみで行うこととなりました(もちろん希望すれば鎮静下でも可)。
つづきます