こんにちは☀️
今日も前回のつづき
で、“障害者の存在に否定的な考え”について、私なりにふんわり考えるシリーズです。
今回は、障害者やそのご家族に対して私が思うことについての話です。
(私も当事者だけど、自画自賛ではないですよ)
もともとこのシリーズを始めたきっかけは、
インターネット上などで障害者やその家族などに対するデリカシーのない主張を目にすることがあり、またそれに傷つくご家族のことを思うといたたまれない気持ちになったからです。
これまで
私が思う‟障害者が社会に存在することのいいところ”を書いてきました。
ただし、
やはりこれらのことを‟いいところ”と感じるには、
なんらかの余裕がないと難しいなぁとも思っています。
私は 坊が今日も生きていて、
毎日は会えないけれど
どうにか元気でやっていてくれていることをとても贅沢なことだと感じています。
この生活は
生まれたときから高度な医療を受けられて、
たくさんの方々の関わりがあってはじめて成り立っています。
そんな障害児との生活は
学ぶこと、得られるものも多くあり…、
また 制限や失うものも多くあり…。
なかなか人を選ぶ贅沢だな…とも思っています。
そして今現在、
社会的な制度や理解などがまだまだ整わない中での障害児との生活は、大変なことの方が多いかもしれません。
自分のことは安定の後回し。
実際には物理的にも精神的にも100%以上を子ども中心にしなければならない生活の中で、
それでも子どもの自立の邪魔はしないように気をつけねばならず、
また ‟ご自身(お母さん)の時間も大切にしてくださいね”と支援者に言われても、
‟えっ いつ(それができると思ってるの)”と。
それでも 我が子だからとはいえ、
今後豊かな社会になる上で必要となる障害児達を日々育てているご家族は、
ただ家族をみているというだけではなく
とても大事な社会活動をされていることになると思います。
それなので
デリカシーのない主張をされることは気持ちのいいことではありませんが、
必要以上に傷つかず、
‟今日も(我々)いいことしているなぁ”
と自分自身で思いながら、生活していってくれたら嬉しいなぁというのが私のふんわりとした思いです。