※新ブログに変更したので、アメンバーの承認を全員解除させていただきました。今までありがとうございました
また、今後アメンバー限定記事を書くことがあれば、再度募集させていただきます
最近やっと鬱というか長年のストレス疲労が癒され
家事ができるようになってきて。
今日は朝からタオルのオキシ漬けをしたりして
デキる主婦になった気がしたわ〜
今は、博多通りもんを食べながら
コレを書いている。
やっぱりめちゃくちゃ美味しい
↓ふるさと納税にもあった!
さて、本題。
私は幼い頃、過酷な環境を生きのびるために
自分の感情を感じることを
封印して解離して生きてきたので
つい最近まで
自分の本音がまったくわからない
というおかしな事態に陥っていた
どうすべきか
は瞬時にわかっても
(思考を使えばいいだけだから)
どうしたいのか
がわからなかった。
ACあるあるだね~
今も、まだ本音にたどり着くためには
意識しないとできないレベルだけれど
色々やってみて少しコツがわかってきたので
それを書いてみようと思う。
人の目を気にして、自分の行動を制限している時
例えば
「○○だと思われたら嫌だな~」
って思って行動を選択している時。
本当の自分は○○なんだ
ということに気づくこと。
こっちが本音で本当の自分の主張。
「嫌だなー」は感情じゃなくて、ジャッジの結果。
最近の私だと…
「今日会う人に、オシャレじゃないと思われたら嫌だな~。」と思って、服を選んでいる時。
実は私はオシャレじゃないんだ、ってこと。
本当にオシャレな人は人の目を気にするのではなく、オシャレを楽しむことができる。自分が心地良いことを優先している。きっと服を選ぶのもわくわくするし、買いに行くのは、もはやレジャー
私はそうじゃなくて、服を買いに行くのも億劫だし、毎日同じ服というジョブズスタイルの方が落ち着く。
だから私は、季節ごとの制服化を採用しているのだ。
もともとオシャレじゃない私なんだから、人から見てオシャレに見えないのは当たり前だ。
その当たり前を自分が受け入れる。
私はオシャレが好きじゃない、ということを腑に落とす。
自分で認める。
で、それでなんの問題もないのだけれど、それではダメだ(オシャレじゃない自分には価値がない)と思っていると、モヤモヤが残ったりする。
今年の夏の普段着を
サイズが無くなる前に買ってきた。
無印のリネンのワイドパンツを制服に。
黒と生成のイロチ買い。
イエローも可愛かったけど
試着したら驚くほど似合わなかった
しかも、選んだのは夫。
私は服選びがめんどくさいので
服好きな夫にまかせてみたら
たくさんある服の中から
嬉々として選んでくれて
めっちゃ楽だった。
自分が苦手なことは得意な人に協力してもらう。
次は靴と帽子を選んでもらう予定。
めんどくさいことには自分の頭を使わない。
こんなふうに
本音のままで何の問題もないのに
そんな自分はダメだと思考でジャッジしていると
本音と違う行動をしてしまう。
すると本音と相反することを身体がするので
モヤモヤとして葛藤が生まれる。
本音のままに生きていたら
モヤモヤしない。
オシャレ面倒→オシャレを頑張らない→何の問題もない
オシャレじゃなければならない、なんてことはない。
他にも
ご近所さんに無愛想だと思われたら嫌だから
張り付いた笑顔で挨拶する、とか
職場でやる気が無いと思われたら嫌だから
無理に頑張ってしまう、とかは
根底に
ご近所さんには愛想よくしなければならない
仕事にはやる気を出さなければならない
などの思い込みがあるけど
それは、普遍的な法則ではなく
親や社会から植え付けられた価値観なので
(大概が自分以外に利益のある価値観)
ポイっと捨ててもいいのだ。
本音と建て前って言葉があるけれど
これを日常生活に持ち込むからややこしいことになる。
家庭に持ち込んだら
ただの嘘つきになる。
→私だ(笑)
嘘つきオカンは子どもが信頼してくれないので
本音で生きる努力が常に必要になる。
もちろん本音と行動が一致していればそれこそ何の問題もない。
ご近所付き合いは大切だ→ご近所付き合いを頑張る
仕事にやる気がある→仕事頑張る
モヤモヤするってことは、自分をだまして自分の本音とは違う行動をしている時。
何をやっていようと
本音と行動が一致していたら悩まない。
ぐるぐる思考にならない。
本音に気づいて本音のままに行動するには
どうしても勇気と決意が必要なので
そっちを強化しようと
私は日々取り組んでいる。
今年の夏の制服Tシャツはこの2つ!
白のLサイズ購入
グレーのMサイズを購入