中1秋から不登校になり、現在17才になる息子は高校に行っていません。

 

私は鬱からの回復途中です。

家族関係を徹底的に見直し、自分、夫、息子の育て直しを同時進行で進めています。
欲張りかっ(笑)

モラハラ、アダルトチルドレン 、毒親関連に不本意ながらも(?)詳しくなってしまいましたオエー

これからは、そういった負を解消するために使っていたエネルギーを、自分のために使っていきたいのです。

現在、アドラー心理学を勉強中ですニコニコ

 

 

 

 

 本音で生きる

 

 

昨年から

 

人前で本音を言う

 

というミッションを自分に課し

 

それをコツコツと実行している気づき

 

 

 

これは、私が最も苦手とすることの一つで

 

以前の私なら絶対にやりたくないこと。

 

 

心の鎧を脱ぐ行為なので

 

とても抵抗が強いことだった煽り

 

 

 

 

私は自分軸で生きたいという思いが強い。

 

今までのように

 

本音を隠して取り繕って生きるのは

 

もうやめたい・・・・・・。



 

とか書いているけれど

 

↑これ、かっこつけてるだけ(笑)

 

早速、本音を隠しとるね〜ニヤニヤ

 

 

本音は

 

もう本当の自分の気持ちを隠して生きられない

 

ということ。

 

 

子どもの頃から感情を抑圧してきたけど

 

自分にも息子にも症状が出ているので

 

限界がきたのだ。

 

 


私が生き辛い理由は

 

夫のせいでもなく息子のせいでもなく

 

私が本当の気持ちを抑圧しているから

 

ということに気づいた。

 

 

勝ち組になることが何よりも大切だった私。

 

世間の評価を得ることに必死だった。

 

 

世間体を気にするということは

 

世間=親なので

 

親のために生きているということ。

 

 

もう親のために生きることを

 

すっぱりやめよう。

 

 

本音で生きてこそ

 

自分の人生を生きているという実感を

 

得られるんじゃないかな。

 

 

 

本音の全部を人に伝える必要はないけれど

 

とりあえず

 

自分に嘘をつかないこと

 

を実践することにした。

 

 

 

 

 

  本音の効果

 

 

 

葛藤がありつつも勇気を出して

 

本音を伝えることを実践すると

 

様々な思い込みやしがらみでガチガチに固定され

 

動かなかったことがらが動き

 

隙間ができるような気がする。

 

 

一歩進んだ実感があって

 

にっちもさっちもいかない状況の時に

 

現状打破するための方法として

 

非常に効果的

 

だと思っているので継続している。

 

 

 

先日も、躊躇しながらも

 

本音を語った。

 

 

人前で話すような内容ではないと自覚していたけれど

 

心理ワークをやっていて出てきた本音で

 

どうしようかと躊躇したけれど

 

結局、そのままの言葉を口にした。

 

 

聞いてくれていた人達は

 

それをそのまま受けとめてくれた。

 

 

良い悪いのジャッジをせず

 

アドバイスもせず。

 

ああ、そうなんだね、

 

って聞いてくれた。

 

 

 

帰り道、考えたこと。

 

 

これは…この

 

本音を言う練習

 

というものは

 

本来は親とするもの

 

なんだな。

 

 

子ども時代に親や周りの大人に対して

 

率直な感情を出してケアしてもらうこと。

 

 

怒りや悲しみは共感してもらうことで

 

小さくなり癒され

 

喜びや楽しさは一緒に喜んでもらうことで

 

力となり生きる糧となる。

 

 

どんな感情もとても大切なもの。

 

いらない感情なんてない。

 

 

基本的に人は

 

自分や誰かを意図的に傷つける内容でない限り

 

何を主張してもよくて

 

全て

 

「あなたはそう思うのね。」

 

と受けとめてもらえるもの。

 

 

それが基本なんだということを

 

私は中年になるまで知らずに生きてきた。

 

いつも誰かの正解を追い求めていた。

 

 

 

 

 

 子どもの感情に無関心な母親

 

 

私の父は

 

子どもの気持ちを完全に否定していた。

 

 

子どもが感情を持つこと自体が

 

「悪」だ、とでも思っていたのか。

 

怒りや悲しみなどのネガティブな感情はもちろん

 

喜びでさえ感情をあらわにすると

 

父の逆鱗に触れた。

 

 

 

喜怒哀楽のどれであれ

 

ありのままの気持ちを表現すること自体が

 

よくないことだと教育された。

 

 

そして私と兄の心がつぶされていき

 

恐怖に震え阿鼻叫喚している様子を

 

母は見て見ぬふりをしていた。

 

 

これね、今までは何でだろう?って疑問だったけど

 

母はきっとフリーズしてたんだと思う。

 

だから母親としての行動が一切できない。

 

トラウマ反応を起こして固まっていたんだ。

 

 

母に悪意はない。

 

母にとって家庭というものはそういうもので

 

子どもが苦しいのも当たり前で

 

普通のことだから。

 

 

母には母の事情があったことは事実だけれど

 

だからと言って許されることじゃない。

 

 

子どもが危機に直面している時に

 

すぐそばにいる

 

母親に助けてもらえないというのは

 

子育てにおいてはあってはならないこと。

 

 

子どもの心は瞬時に凍り付く。

 

父親への恐怖と母親への絶望。

 

それが一瞬にして子どもの心を殺す。

 

 

 

 

よく映画やドラマでも

 

厳しい父親像っていうのは

 

昭和のあるあるで

 

主人公の敵のように描かれていることが多い。

 

 

その一方で優しい母とか

 

優しい祖母とかがいて

 

心の交流があったりする。

 

 

1人でもそういう人がいたらよかったのだろうけど

 

我が家は転勤族で核家族だったから

 

家庭の闇が渦を巻き

 

出口がなかった。

 

 

そういった環境も含めて

 

私は不運だった。

 

 

親以外の大人と

 

継続的な関係を作ることができなかったのだ。

 

 

 

 

小さな子どもの主張ってほぼ感情だ。

 

 

私の父は、子どもの主張を全て否定していれば

 

自分好みの素晴らしい子どもを生成できる

 

と思っていた節がある。

 

 

でも、父は、末っ子の弟に対しては

 

上の子2人(兄と私)とは対応が真逆だった。

 

弟のそのままを受け入れ可愛がっていた。

 

 

上の二人の子育てで

 

学んだのだろう。

 

 

そういう意味では母の方が

 

一貫して「子どもの感情に無関心」を貫いていた。

 

 

そもそも

 

母は自分の感情に無関心なのだから

 

子どもの感情の機微に気づくことは不可能だ。

 

 

 

 

 

 

本音を言う練習を親とできなかった子は

 

当然ながら他人に対しても本音を言えない。

 

次第に自分の本音が何か

 

さっぱりわからなくなる。

 

 

若いうちはそれでもなんとかなったけど

 

子育てでは大いにつまづいた。

 

 

自分の本音がわからない母親に

 

一から育てられるなんて

 

まっさらの子どもからしたら

 

恐怖でしかないだろう。

 

 

私は息子からしたら

 

得体の知れない母親だったと思う。

 

いつも笑顔を張り付け

 

世間体や人からの評価にしか目がいかない

 

壊れた母親人形。

 

 

もう、ほんとホラーだね魂

 

映画一本できちゃうよ。

 

 

人間らしいっていうのは

 

感情を感じるから。

 

 

感情を封印していた私は

 

人間らしくなかったんだ。

 

 

 

 

 子どもにとって本音を話せる親になりたい

 

 

 

今、息子は私に本音を言っている、と思う。

 

いや、違うか。

 

息子はずっと本音を伝えてくれていたのに

 

私がそれを受けとめる器がなかっただけか。

 

 

息子が10代のうちに私が気づき

 

本音を言う練習を

 

やっとさせてあげられるようになってきた。

 

 

本当に良かった。

 

 

子どもが話すことは

 

命に関わること以外は

 

「へ~、そうなんだあ。」

 

「そんな風に思うんだねえ。」

 

「それはおもしろいねえ。」

 

「それは嬉しいねえ。」

 

「それは悲しかったねえ。」

 

「それはめちゃくちゃムカつくねえ。」

 

と共感していれば良いだけだったんだ。

 

 

これを親にしてもらっていた人は

 

何も考えず普通に自然にできることだけど

 

感情を抑圧されて育った毒親育ちは

 

ついつい、いらんことを言ってしまう。

 

 

息子の感じたことを良い悪いとジャッジして

 

矯正しようとしたり

 

聞かれてもいないのに打開策を提案したりする。

 

 

本音っていうのは

 

ただ聞いているだけで良いのに。

 

親が穏やかに聞いてくれるだけで

 

子は安心して自分を肯定できるのに。

 

 

周囲の大人にそれをしてもらわず

 

大人になり親になった人は

 

そういうことがわからない。

 

 

だから「子どもに寄り添ってください。」

 

と言われてもできないし

 

むしろ、何を言っているのかわからない。


寄り添うって何?どういうこと?

 

っていうのが本音だと思う。

 

 

 

私は今までの人生を

 

感情に蓋をし

 

ほぼ解離して生きてきたので

 

そんな状態で

 

よく今まで生きてこれたな~

 

って我ながら驚く。

 

働いて結婚して出産して育児して。

 

 

 

でも、今、気づけて良かったと思う。

 

息子はそれを教えに

 

私の元に来てくれたのだな。

 

 

こんな重症アダルトチルドレン夫婦の元に

 

生まれて来るなんて

 

息子は本当に勇気のある子なんだな、と思う。

 

 

身体を張って

 

自分の人生をかけて

 

息子は伝えてくれているので

 

私はそれに絶対に応える、と決めている。

 

 

 

 


ひらめきやせて見えそうやな・・・

 

 
ひらめき大人ジャンスカ。丈長めが良いね。

 

ひらめき1年くらい使っているけど、髪質が良くなった気がする。さすがの人気商品。

 

 

ひらめき次はコレを使ってみたい。安いのによさそうだから。

 

 

 

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下矢印リピート中のクレンジング。

 

やっぱり私の肌に合うようで

ブツブツができても

これで優しく洗ううちに治っちゃう。

 

w洗顔いらないのもめっちゃ楽。

 

しっとりするし

鼻がつるつるになってきたよ。

 

(個人の感想です。PRではありません。)

 

 

 

 

 

    

 

愛用ファンデ下矢印

 

自然とお肌のアラを隠してくれて

透明感のある仕上がりがお気に入り。

 

これを使うようになってから

他のファンデに浮気することが

なくなりましたキラキラ

(個人の感想です。PRではありません。)

 

 

 

パウダーも粒子が細かくて優秀。