中1秋から不登校になり、現在17才になる息子は高校に行っていません。

 

私は鬱からの回復途中です。

家族関係を徹底的に見直し、自分、夫、息子の育て直しを同時進行で進めています。
欲張りかっ(笑)

モラハラ、アダルトチルドレン 、毒親関連に不本意ながらも(?)詳しくなってしまいましたオエー

これからは、そういった負を解消するために使っていたエネルギーを、自分のために使っていきたいのです。

現在、アドラー心理学を勉強中ですニコニコ

 

 

 

 

 

私の息子は17歳キラキラ

 

高校には行っていない。

 

 

 

以前にも私は
 
通信制高校の資料を捨てたけど
 
実は少し残してあった。
 
 
息子がもしかしたら高校に行く気になるかも?
 
という期待が捨てきれなかったからだニヤニヤ
 
未練がましいねえ~
 
 

 

高卒資格。

 

そりゃ~、あった方がいいに決まってるし

 

学校も行けるなら行った方が良いと思っている。

 

今の教育内容は最悪だと思っているけど(笑)

 

 

 

でも、それは

 

子どもの心身が健康ならね。

 

という大前提がある。

 

 

この前提が崩れている場合は

 

高卒資格なんてどうでもいいし

 

学校も行かなくていいし

 

勉強も必要ないと私は思っている。

 

 

息子には言わないけど。

 

言うと押しつけになってしまうから。

 

言わなくても伝わっているだろうし。

 

 

 

息子が高校に行きたいと言えば

 

いつでも行けるし

 

サポートが必要ならば

 

今の私は割と適切にサポートできるんじゃないかな。

 

 

私の心の準備ができてきたから

 

逆に、不安を取り除くためのアイテムは必要なくなった。

 

 

だから通信制高校の資料を

 

全捨てすることができたのだと思う。

 

スッキリ飛び出すハート

 

 

 

 

息子が中三の時

 

私は通信制高校の資料を片っ端から集めた。

 

そしてそれを全て読み込んだ。

 

 

あれは不安で不安でたまらなかったからなんだな。

 

不安を払拭するために

 

頑張っていたけど

 

そんなことでは不安はなくならなかった。

 

努力する方向性が全く違っていたからだ。

 

 

息子が高校に行かないから不安なのではない。

 

息子のせいで不安なのではない。

 

不安の種は常に自分の中にあって

 

それに水をやって育てているのは自分なんだ。

 

 

そこに気づかないと

 

子どもの一挙手一投足に

 

不安を煽られ振り回されて

 

勝手に疲弊していく。

 

 

 

 

 

 

 

不安が減ってくると・・・

 

 

 

息子が高校に行こうが行くまいが

 

どっちゃでもええわ。

 

と、心から思えるようになるまで

 

本当の本当に腑に落ちるまで

 

時間がかかった。

 

 

その期間丸4年。

 

 

アタマではわかっていても

 

それが腹落ちするまでには

 

常に自分を変える努力が必要だった。

 

 

気づきと実践を繰り返すことで

 

じわじわと納得していった感じ。

 

 

毎日毎日コツコツと

 

自分の思考を変えていった。

 

 

今は、心からそう思えるようになった。

 

(たまにザワつくこともあるけど)

 

 

 

やっとここまで来た。

 

思考と感情が一致した。

 

 

高校に行くとか行かないとか

 

そんな些細なことで

 

息子の価値に響くことはない。

 

 

生きているだけで

 

笑顔を向けてくれるだけで

 

私は嬉しい。

 

息子の存在自体が尊い。

 

 

これが本心だ。

 

 

綺麗ごとに見えるだろうけど

 

そう思えるようになるには

 

全く綺麗ごとではない取り組みが必要だった。

 

 

何度も思考の沼に沈み泥水を飲んだ。

 

自分の中の封印した悪夢のようなものにも

 

勇気を振り絞って向きあった。

 

 

思考を変えること(顕在意識を変える)



トラウマをケアすること(潜在意識を変える)

 


顕在意識を変えるためにアドラー心理学を学び


潜在意識にアプローチするために


トラウマケアに取り組んでいる。



それぞれの分野で信頼できる先生が


やっと見つかったので


この二本立てで今も頑張っている。


 

 

 

絶望と闘い


勝利したとは言えないけれど


負けてはいない。


それでも十分楽にはなってきた。

 

 

絶望と言えば・・・余談だけど

 

絶望したことのある人間は

 

相手が絶望を知っているかどうかが

 

なんとなくわかってしまうような気がする。

 

 

子の不登校を経験していても

 

絶望を知っている人は

 

少ないように私は感じている。

 

 

絶望というよりも「底つき」かもしれないけど。



絶望を知っているとは


自分が絶望したことを認識、自覚している人


客観視できる人


という意味で、


自分の絶望感に無自覚な人も


絶望を知らない人


とある意味では言えるかもしれない。

 

 


不登校母の先輩だというだけで、

 

絶望を知らない人から

 

ペラッペラの表層だけのアドバイスをされるなんて

 

私にはどうにも我慢ならなかった。


(つらさが絶望レベルではない場合は、経験者と話をするだけでも癒しの効果があるみたいなので、あくまでも私の話。個人的見解であって、一般的ではない。)

 

 

ただ子どもの不登校を経験しただけの母親が

 

自称カウンセラーとなり

 

『高校には行かなくてもいいんですよ。』

 

とか偉そうに言っているのを見ると


私はめっちゃ腹が立った。

 

 

大概、そういう人の子どもは

 

ちゃっかり高校に行っているというパラドックスゲラゲラ

 

 

行かなくてもいいと私も思うんだけど

 

アンタには言われたくないってやつだ。

 


私の絶望レベルも感知できないのに


アドバイスしてきたり


共感やら同感やらをして距離を縮めてくる人。

 

 

そういう人が群れている印象があるから

 

不登校親の会ってやつが

 

私は大っ嫌いなんだ。

 

 

↑わざわざ赤字で太字にする・・・

私っていい根性しているよね。

そんな自分が好き飛び出すハート

 

 

 

 

群れるだけじゃ変われないのに。

 

やることやらないと

 

自分を変えるなんてこと

 

できるわけがない。

 

あったりめーのことだ。

 

 

 

毎日甘い物たらふく食ってて

 

痩せたいって言うのと同じこと。


そもそもヤル気あんの?って話だ。

 

 

 

 

あらあら、つい本音が出てしまったわニヤニヤ

 

ウフフチューリップ

 

 

 

あれ?何のことを書いてたっけ。

 

 

ちょっと仕切り直して。

 

 

子どもの気持ちを理解するためには

 

私が子どもだった頃の気持ちを理解する必要があった。

 

 

自分の気持ちがわからない人間が
 
人の気持ちなんてわかるはずもない。
 
 
「子どもに寄り添いましょう」
 
というのも
 
自分に寄り添えない人は
 
人にも寄り添うことができないと思う。
 
 
 
血反吐を吐く思いで頑張ってきたけどゲロー
 
その結果はちゃんとついてきた。
 
 
穏やかな家庭。
 
私が一番欲しかったものだ。
 
最近幸せを感じることができるようになってきて
 
やることやればちゃんと楽になれるんだ

ということを実感している。


 
 

★防災用品をコツコツと集め中

 

モバイルバッテリーは超軽量で物色

 

コードレスタイプが便利かな。

 

 

 

でも、これが一番軽い!