お久しぶりです。
 
3ヶ月ぶりかな?
 
ブログ書くの。
 
また書きたい気分になったので
 
ちょこちょこ書きますにっこり
 
 
 
「見張る」子育て
 
我ながら疲れ果てていた頃
 
息子が不登校になった。
 
 
それからは
 
「見守る」子育て
 
にがっつり舵を切った。
 
 
見張りたい気持ちを抑え込んで
 
見守る姿勢を貫く。
 
そうしたら
 
息子は少しずつ元気になっていった。
 
 
私はよく頑張ったと思う。
 
自分の思考を変えるのは
 
中々難儀なことだった。
 
 
私の思考が変わるとともに
 
息子の自己否定癖は
 
ナリを潜めていった。
 
 
でも、それだけでは
 
我が家の場合は中途半端だった。
 
 
次の段階に進む必要があった。
 
それは
 
見守らない
 
ということ。
 
 
やることやって
 
それなりに結果が出てるのであれば
 
もう見守らない。
 
 
手放していく。
 
 
 
「見守る」から「見守らない」に
 
移行しようとすると
 
恐怖と不安が私の中にあることに気づく。
 
 
ああ、「見守る」って実は楽なことだったんだな。
 
甘えさせていればいいんだから。
 
そりゃ、親子共に楽だわ。
 
ってことにも気づく。
 
 
「見守らない」っていうのは
 
どんな結果になっても
 
息子がそれを受けとめるのを見届けること。
 
 
 
よく、子どもを信頼しましょう、とか聞くけど
 
そんな軽いものじゃない。
 
↑コレ言ってる人で
 
できてる人を見たことがない。
 
私を含めて。
 
できてる人って
 
この言葉を言わないんだ。
 
 
 
子どもを真に信頼している人は
 
「子どもを信頼しましょう」
 
という言葉を言わないパラドックス。
 
そんな漠然とした言葉ではなく
 
もっと具体的な言葉を使う。
 
 
人によって解釈が変わりそうな言葉を使わない。
 
もっとシンプルな言葉でアドバイスする。
 
そんな体験を最近して度肝を抜かれた。
 
 
子を信頼する、というのは
 
足し算の愛情ではなく
 
引き算の愛情だということ。
 
 
キーワードは
 
減らす
手放す
 
足していくのではなく
引いていく。
 
 
信頼するってことは
 
子どもへの執着を手放す
 
ということ。
 
母親にとって
 
こんな難しいことは他にないかもしれない。
 
 
でも、私は今それにチャレンジしている。
 
息子は
 
私の心の成長を引っ張り上げる
 
スパルタのトレーナーのようだ。
 
 
ニコニコ「これくらいでどうでしか?
私、随分頑張りましたし、変わったと思うのですが…。」
 
なんて、そういう甘い気持ちでいると
 
グラサン「イヤイヤイヤイヤ!
まだまだ!
あなたはまだやれるでしょ。
本気出してないでしょ。
自分の価値観じゃなくで
誰か他人の価値観で生きてるでしょ。
本当の本当に自分を取り戻すまで頑張ってください。
それがあなたの真の幸せなんですよ。
あなたならそれができるはずです。
ハハハハハ!!」
 
 
そう、息子に言われているような
 
気になるのです。
 
もちろん息子は無意識だし
 
そんな言葉を発することはないけれど。
 
私が道を外れ
 
いらんことをしていると
 
息子の状態が悪くなるので
 
すぐにわかってしまうのだ。
 
 
 
私が真の力を発揮できるようになるまで
 
スパルタトレーナーは
 
その辺でもういいんじゃない?
 
とは言ってくれない。
 
 
 
絶賛、親子で進化中。
 
今までとは別の山を登り始めた富士山