
朝4時、急に腹が怒り出した。
突如始まった試練は、朝9時のバスターミナルに着くまで続いた。
波のように押し寄せては引いてを繰り返す。
ギリシャから腹ン中に居ついている悪ガキが、今頃暴れだしたのだろうか?
まぁこんな話はここまでにして、イスタンブールのオトガルのトイレで
初めてイスラム式のトイレを経験した。
(もちろん左手でケツは洗わなかったが・・・)
イスタンブールに着いた印象は、広い、そして寒い。
昨日豪雨とカミナリの中をバスが走り抜けていたことを考えると、
寒さは天候のせいかもしれないが、それでもコートなしにはいられない。
とにかく、イスタンの中心部へ。 そしてホテルを目指す。
イスタンで有名な日本人安宿「Tree of Life」へ。
イスタン1の安宿とは聞いていたが、昨今のユーロ高で値上げしている。
チェックインするなり、節約のイロハを口うるさくいわれ、なんか嫌な感じ。
宿泊者全員が日本人なので、安心といえば安心だが、
なんか海外へ来ている気もしないのは、ちょっと幻滅。
長期間バックパッカーが久々に日本人に会えて落ち着いているといった感じ。
長期滞在者もいるが、彼らは何をしているんだろう?
とまぁモンクばっか出る場所ではあったが、寝泊まりには問題はない。
そして、早速街へくり出す。
とにかく、朝から何も食べておらず、腹が減ったので、
日本語のおかげで有名になった「サバサンド」を食べに行く。
旧市街と新市街を結ぶ「ガラダ橋」の袂で、サバサンドは焼かれていた。
あたり一帯魚の焼けるいい匂い。
でもしばらくはどこで焼かれているか分からなかった。
でも匂いは確かにする。
よくよく目を凝らしていると、波で揺れまくっている船の中で
サバが器用に焼かれていた。
元気の声を出しているお兄さんに「サバサンド?」と聞くと、
「イェース、サバサンド!!」とテンション高く答えが返ってきた。
日本語が商品名になっているという話は本当のようだ。
この他にも日本語は様々な場所で使われていた。
グランドバザール(大規模な商店街)では、「バザールでござーる」や
なぜか「山口組」という言葉も(笑)
とにかくトルコ人は日本語が上手い。
他の国でも単語単語をを話す、うさんくさいやつはよく見てきたが、
トルコ人は普通に日本語を話す。
恐れ入った。
後々聞いた話だが、トルコ人には親日的な人が多いらしい。
歴史的・政治的にも、日本とトルコには深い絆があるようだ。
若者はそこまで考えているかは別として、日本人を快く迎え入れてくれる
雰囲気がそこにはある(良くも悪くも・・・)。
サバサンドは日本を思い出させてくれる懐かしい味がした。
特に味付けがされているわけでもなく、レモンでいただく。
この後も何度かお世話になった食べ物だ。
腹を満たしたところで、ブルーモスクで知られるスルタンアフメット・
ジャーミィへ。
その前に、イスタンブールには本当に大きなモスクが数多く存在する。
ブルーモスクまでたどり着かないうちは、あの大きなモスクがそれか?
などと本当に勘違いする。
でも、ブルーモスクに着いたときには、他のモスクとの別格な偉大さと、
荘厳さに見入ってしまった。
ミナレット(塔)が堂々と天を指し、その中心にキリスト教のクーポラと
ひけをとらない半円形のドームがある。
以前エジプトで見たモスクもすばらしかったが、こちらもすごい。
中に入ってみると、高く薄暗い天井から、
幾本ものひものようなものが垂れ下がり、
そのひもにローソクが付けてあり、明かりがついている。
幻想的な世界にも、イスラムの匂いは漂う。
僕たち観光客が安易に踏み入れてよいのかと思うくらいの空間が広がっていた。
その後、とある事情でリーダーと別れた僕は、
一人のトルコ人に捕まってしまった。
日本語が上手いどころではなく、僕と普通に会話ができる。
こちらがかなりくだけた言葉を話しているつもりでも、
彼は余裕で理解している。
別に物売りで近づいた訳ではないらしく、こちらも彼に興味がわいてきた。
そこで、しばらく道を歩きながら色々と話した。
どうやら彼はトルコのキリム(絨毯のようなもの)を
日本やアメリカなどへ輸出している仕事に携わっているらしい。
そして、彼自身もデザイナーらしい。
海外旅行の鉄則として、こういう外国人はついて行かないのは
基本中の基本である。
私も少しは長い旅行経験があるので、危ないかどうかの判断はある程度できる。
それでも私は彼に対して、不安どころか興味を持ってしまった。
まぁ、ヒマだったこともあり、彼がオフィスでチャイでもと言われるがままに
ついて行ってしまった。
オフィスには彼の弟(トルコで有名なデザイナーらしい)と
その子分2人がいた。
漢字の多きな習字の額が飾られ、マンガもある。
それでいてかなりオシャレなオフィスであった。
とりあえずチャイをごちそうになる。
睡眠薬強盗の線は頭から消えていた。
兄はしばらくして部屋を出て行き、弟と子分と私の3人で話をすることに。
とりあえず、日本語が上手いことにも驚かされながら、色々な話をした。
とにかく彼が有名そうなデザイナーということは、嫌というほどわかった。
さらに、私を気に入ってくれたということもよくわかった。
チャイも飲み終えた頃、彼が新しく作ったキリムの1つを見せてくれるという。
子分は驚きを隠せないようで、弟が部屋を出て行くと僕に
「君は彼にとって特別な人間のようだ。かなり気に入らないとこんなことはない」
というようなことを必死に私に説明してくる。
少しウンザリしながらもその話を聞いていると、
弟が戻ってきて、神聖な雰囲気を醸し出しつつキリムを床に広げた。
しばらくして、ボソッと(例えるなら口調はマジシャンのセロのよう)
しかし、トーンは地をはうように低く、そしてゆっくり話し始めた。
「これは2人の友達の話」と・・・確か話の冒頭はこうだ。
そして、その2人の少年の人生をキリムのデザインで表しつつ語る。
僕もその世界に入り込み始める。
話は静かに終わった。
しばらくの沈黙・・・。
まったくのシロウトの僕も、キリムを見ながらすごいすごいとしか言えない。
なにぶん空いては日本語がわかる。
屈んでキリムを見ていると、弟の後ろに飾ってある写真に気づく。
2人の人が写っていたが、最初誰であるかすぐにはピンとこなかった。
少し近づいて見ると、見慣れた顔に見えてくる。
「コイズミダ」
日本の首相がトルコ人と握手をしている。
興奮気味に聞くと、写真は彼のおじいちゃんだと言う。
イラク戦争の時に、トルコと日本の間で交わされた友情みたいな話での
お礼の時の写真ということだった(歴史にはうといのでよくわからないが…)
今まで8割方彼らを信じようとしていた僕を、確信へと導く
決定的証拠とでもいわんばかりのモノであった。
また、しばらく沈黙が続く。
そして弟がボソッと話を切り出す。
はじめはよく聞き取れなかった。
少し英語が混ざっていたからかもしれない。
その言葉を自分の中でよくかみくだいた。
「$2500で君に売りたい」
確かにそういったように聞こえた。
「やっぱりか」という思いと、未だに信じられない自分がそこにはいた。
一気にカラダの筋肉が硬直し始める。
まだ心の中では、商売ならここまで手の込んだ芝居を何重にもわたって
するだろうか?という思いがあった。
パムッカレの宿で、イスタンで10万円絨毯を買わされた大学生の話も聞いている。
まぁ、自ら鳥籠に飛び込んでいったものの、自分のカンがはずれたことに
少しがっかりした。
あんだけの話の後なので、心の中では「ノー」と決まりきっていても、
なかなか言い出せない。
さらに沈黙が続く・・・。
もう、帰りたいの一心であった。
さすがに$2500はだせない、大学生なのでといえたのは
それから10分後ぐらいだろうか。
もう一枚別のキリムを持ってきたが、そのときは買うつもりは一切無いと
言えたので、話は終わった。
一応、友達だからという言葉と、また来るという返事を残し
僕はその場を後にした。
ビルを出て、空を見上げたとき、正直ホッとした。
それが本当に正直な気持ちであった。
でも今は楽しかったとも思えている。
この後も「私はゲイだ」というヤツに絡まれてキスされたり、
アップルティーをごちそうになったり、日本に何人も彼女がいるという
店員と話したり、トルコは一日中飽きない。
晩飯は宿の人と、ラマダン後のメシ所に潜り込んでタダ飯を食べた。
ラマダンもしていない(それに近いことはしているが・・・)のに、
快く私たちを迎えて、食事を提供してくれた。
大きなテントの中は、ラマダンを終えた人々でにぎわっていた。
本当に楽しい一日であった。
(写真:グランドバザール)