これまで、集中力の途切れがちな子供生徒たちと、
レッスン時間以外に日本語学習に時間を費やさないタイプの人たち向けに、
たくさんのカード作ってきました。

私は基本的にひらがな・カタカナ、
ベーシックな漢字はみなさんに覚えてもらいます。

「読み書きは自分には不要なので、会話だけ教えてください」
という人は最近では教えないようになりました。

理由はシンプルで、ただでさえ、習うことがとてもたくさんある初心者さんのレッスンです。
手取り足取り、挫けそうなのを、一生懸命気持ちを引き立てるようにして進めても、
自分で覚えてくれない部分は、お手伝いできないのです。
習ったことが定着しないのに進めることはできないので、
覚えてくれた部分を総動員してロールプレイなどを作り続けても、
本人の望むように、「喋れるようになる」ことはありません。
そのうち嫌気がさすのでしょう。

「文法も読み書きも文法も要りません、喋れるようにして」

という初心者さんたちは、まあ、あまり長く続けてくれません。

このカテゴリーの皆さんにありがちなのは、

・レッスン時間以外には何もしない
・宿題や復習をやってこない(上記をしないから)
・自分で見つけた新しい教材を持ち込む

です。

海外で買った教材は、どの国の人が作ったのかなと思う間違いが多いので、
本当にお勧めしませんし、使いたくありません。
生徒から持ち込まれた場合は、スキャンして数ページずつ送ってもらいます。
いちいち自分で買っていたら、
「すぐやめてしまう人が数ページ使っただけの教科書」
が、どんどん増えてしまうからです。

(「自分が日本語を上達しないのは教科書が合っていないから」
と思う人はまた、
「上手になれないのは、先生が自分に合っていないから」
と思う人であるかもしれません)

ひらがな・カタカナについては最初のうち、
Qizuletという非常によく出来たツールをつかっていました。
フラッシュカード、クイズ、テスト、記録などが入っていて、
私も自分の勉強に使っています。
「みなさんはスマホをいつも持って歩いているのだから、
隙間時間にちらちら見て、少しでも覚えてください」
と言っていました。
このアプリを使ってひらがな・カタカナ、漢字カード、
語尾変化練習カード、表現カードなども何種類も作って送っていましたが、
結局やる人はやるし、やらない人はやらないのでした。

言われなくてもやる人は、私と一緒に使っている私の教材を見直しながら、
自分でノートに書き写したりして覚えてしまうので、こんなアプリは不要なのです。

私は、駆け出しの頃はクラスに入って教えていましたので、
落伍する人を出したくない気持ちが強かったです。

なので、オンラインレッスンをしている今も、
なかなかひらがな・カタカナを覚えてくれない人には、
手書きでカードを作り、レッスン中にも使っていました。

また、漢字カードもそのうちに作り始め、増えていきました。

さて、感じですが、初心者が習い始めるベーシックな漢字であっても、
読み方が悩ましいものは多いです。
そのとことには生徒もすぐに気がつき、気持ちが萎えがちです。

それは、一つの漢字にいくつかの読み方があり、
さらに「当て字」「熟字訓」というものもあって、
何かと漢字学習を複雑にしているからです。

⬜️当て字:
漢字本来の意味ではなく、音や訓に合わせて漢字を当てがうやり方。
寿司・煙草・倶楽部など。
この辺りはわからなくても、中級ぐらいまではそう困らないかもしれません。


⬜️熟字訓:
日本語が先にあり、それに漢字表記が与えられたもの。
「今日」は、「今現在の日であり、キョウ、という語が先にあった、なので、「今日」と見たら、「きょう」と読みましょう、というお約束。
今日・一人・二十歳・明日。

このあたり、なかなか一言では教えにくいです。

レッスンでは文法用語は出しませんが、
初心者のうちから感じる「漢字疲れ」を少しでも軽くし、
読めた達成感を味わってもらいつつ、
初心者レベルから遠慮なく出てくる熟字訓についても
うっすらとでいいので慣れてもらいたいと思っています。

例えば、「一 = いち」と習ったのに、
別の日には、 「一人 = ひとり 」だと言われます。

・・・じゃあ、「一」は「ひと」で、「人」は「り」なんですか?

と、戸惑います。

「今」は いま、now ですと、先生は言ったのに、
「今日 」 ということになると、きょ➕う なんですか?

と思っても当然です。

それでときどき、以下のような物を教材に入れて、
「なんとなくでいいので、意味を考えながら漢字も覚えてください」
と言っています。



読めて当たり前の漢字を使うようにし、負担感を減らします。
例文にもしつこいほどに頻出させます。
結構うまくいき、初心者のうちからみなさんどんどん、読めるようになります。

さて、私の間違いは、こちらから働きかけても乗ってこない人たちに、
少しでも覚えてほしいなあと思ってしまい、
この表をもとに、せっせとカードを作って行ったことです。
これは明らかにやりすぎでした。

さらに、レッスンで使おうとすると、事前に自分がバタバタします。
シンプルがベストでした。

こんなカードですがなんだか捨てがたく、ずっと持っていましたが、
特に子供生徒たちがいなくなった今は、カードは全く使わなくなり、
思い切って処分することにしました。

今のように便利な学習ツールもなく、日本語教師同士で教材の情報交換をし、
ときどき麹町の凡人社に教科書ハンティングに行っていた日々は遠い。



絶対に使わない教科書とこのカード。
今日もまた、捨てようと思ってまとめて、また元に戻してしまいそうです。
私の代わりに、夜中にやってきてこういうのを捨ててくれる妖怪がいたら、
お願いしたいと思っています。

もともと地方と海外出張が多く、激務の夫とは
平日に夕食を一緒にとることはほとんどないのですが、
普段は時間差で、同じようなものを食べています。

でも、「この日は帰ってこない」とわかっている日には、
私は何を食べようかな! と、すごく張り切ります。
テレビを占領できるので、溜まっているドラマが見られるからと、
好きなように食べ飲みして、すぐに寝られるからです。

夫がほとんど白いご飯を食べないので、
1人の時はお寿司を買ってきたり、自分で作ることが多いです。
握りがちゃんとできないので、素人向けの寿司学校に行こうと思うほどです。

また、一人鍋や焼き肉もよくやります。
心の優しい自分は、家での鍋と焼肉が好きではない夫のために、
普段我慢しているのでした。

一度、鍋を引っ張り出すのが面倒で、台所のガス台の前に椅子を置いて座り、
フライパンで鍋をやってみましたが、これは味気なかったです。


冷蔵庫にはお弁当の作り置きや、余ったものが結構入っています。
1人にときによくやるのは、お寿司やチーズや生ハムやオリーブなど買ってきて、
残り物と一緒に並べて食べるということです。





あるときのおつまみプレート。
いつまでも終わらない水耕栽培のパクチー、わさび菜、ブロッコリースプライトは常連です。ケチャパスタ・蒸し茄子・カニカマとわけぎの卵焼き
ネギトロまき・エビとパクチーの玉ねぎドレッシング和え







ある日の一人焼肉です。
ひき肉は、パッカンバーグ。トレーをひっくり返してパカンとフライパンに落として焼きます。少量を自分だけで楽しもうと、ちょっと良い牛ひき肉を買ってきました。
写真には写っていませんが、筍やアスパラガスもこの後焼きました。






去年のクリスマスは、物心ついて初めてクリぼっちでした。
長女はもともと在外、次女も夫も海外出張だったのです。
豚汁、夕方になって割引になった井泉のカツサンド。
コンビニのケーキは、まんなかがいちごジャムでおいしくはなかったです。
15cmの型で焼いて、ホールケーキを掘り進みながら食べれば良かった。
なぜかチョコレートも。
この物価高で倍額以上に値上がりしてから、あまり食べていなかったから。
気分を出そうと思って飾ったクリスマスカードは、よく見ると成城大学のものです。
これは、この少し前に行った成城大学での小泉凡さんの講演会
(小泉八雲さんのひ孫で、小泉八雲記念館の館長さん)でもらったカードです。


今年のお花見弁当。
友達と花見の約束をしても、容赦なく寒くなったら雨が降ったり、
大風であっという間に散ったりします。
あと、大抵寒い。
私は仕事始まり時間が割と早く、午後は早めに終えるようにしていますので、
思いついたら近所でお花見ができます。
先週は近所の川沿いと公園が満開だったので、お弁当を作って行ってきました。




漬けマグロのバラチラシと、お弁当の横流しおつまみセットは、
ブロッコリーの玉ねぎドレッシング・じゃがいもと人参素揚げの南蛮
ビーフ煮込みバーグ・サワラの西京味噌漬け焼き・オレンジ。
水筒の中はコーヒーと白ワインです。
次に行くときはキャンプチェアーを持っていこうと思います。

自分一人のときは、時間もすることも自由なので、
昼間からいろいろ作って食べるのが本当に楽しいです。
昨日の続きになってしまいますが、よくあんなことできたな、と思います。
もう2度とできないし、やりたくないかもとも思っています。
それは、子供達が2歳と4歳のときと、翌年3歳と5歳のときに
飛行機を乗り換えながら一人でニュージーランドへ行った事です。


大好きなばあちゃんと、どこでも手を繋いでいった子供たち



あっちで運転もできないのに(でも一応、国際免許は取って行った)・・。
そして普段から帰省の折はいつも夫の引率で、
そのあとをついていくだけだったのに、なんとも大胆な。

どうしてそうなったかというと、もっと長い間行っていたほうが、
祖父母と孫たちの結びつきが、より良い感じになるではないかと思ったからです。
そして、幼稚園のうちなら長めに休めるけれども、小学校になったらむずかしいのかな、と思ったこともあります。
2回とも、1ヶ月半ぐらい、滞在しました。
義両親は喜んではくれたと思いますが、
考えたら大変だったろうなと、今では思います。

向こうに着いたら、下の娘の方は近所の保育園に入れてもらえました。
私は上の娘だけを連れて、毎日のようにバスでオークランド市の中心に行き、
博物館に行ったり、長い散歩をしたりしました。
心配性の義父は、
大丈夫かな大丈夫かな、いくらなんでも帰るのが遅くないかな
と、ずっと心配してくれていたそうです。

旅慣れず、問題解決能力も普段から人一倍低いのに、よく行ったものです。
そのころは、夫の国へ移住も視野に入っていたため、
暮らすような感じで滞在してみることもいいのかな、と思ってました。
その練習にはちょうどよかったと思いますが、せっかく練習してみても、
鈍臭い自分は改善されませんでした。
ただ、一人で小さい子供達の手を引き、
どきどきしながら歩き回ったこの2回の帰省、
いろいろなことをくっきり覚えていますから行ってよかったと思っています。


何と言っても緊張したのは、大の苦手の飛行機による移動です。
普段なら自律的に動くのを最初から放棄していて、
「これどうするの?」「ここは何を書くの?」「私もこの列でいいの?」
などと訊ける夫がいないのです。

絶対安全を心がけて、あまり余計なことはしないように気をつけました。
1回目は仁川空港乗り換えで、緊張しながら冷麺を食べました。
子供達はキャスターケースやバックパックを携帯しましたが、
おもちゃとおやつぐらいしか入らず、もちろん全然助けになりません。
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仁川では、荷物を乗せて運ぶカートに二人を乗せ、

お母ちゃんあっちあっち!
もっと早く!
走って!

などと言ってるのを、押して延々と歩きました。
子供が遊べる場所がありましたので、そこへ突っ込んでやっとほっとしたのでした。


2度目で辛かったのは、帰りのトランジットのための香港での一泊でした。

下手に空港から出て戻れなくなってはいけないと思い、
また、遅い便で着き、翌朝はすごく早い便に乗るため、
空港に直結した、なんとか大飯店? レストランじゃないけど飯店?な、
ホテルに泊まりました。

イギリスから返還されたのが1997年だそうなので、
新しい体制になってからまだ数年。
よく、「社会主義国の人は、頑張ってもお給料が変わらないので、
サービス業の人の温度の低いもてなしが、なかなかあれだ」
という噂は聞いていました。
それはこのときの短い滞在で身にしみました。

香港で空港を出るにしても、ホテルにチェックインするにしても、
長蛇の列だし、なにかと遅いし、質問しても白目剥かれるし、
英語があまり通じないし、本当に大変でした。

選択の幅がなくて、高ーいホテルに泊まりましたが、
3つ星ホテルだと言うことがあっちにもこっちにもかかげてあるのですが、
ダブルルームを予約したのにシングルでした。
ベッドを持ってきもらうのにえらい時間がかかりました。

あと、お風呂のお湯が出ませんでした。
帰り道で全員疲れていたのと、日本人はこういうとき湯船につかりたいのですが、
バスタブに栓もありませんでした。

ベッドの件と合わせて4回ぐらいフロントに電話しました。
どんどん無愛想になる相手が、

担当者に言っておきます。
担当者が折り返し電話します。
担当者に伝わっていませんでした。

と言います。

私がやや硬い声で、
「幼児連れなのでもう寝たいと思いますが、
お風呂の栓はこれからどうにかなるのでしょうか?」
と言ったところ、

Look, Ma'm

ですって。
Look というのはこの場合、「見なさい」ではないです。
「あのですね」という感じ。
これ、まあまあバイリンガルな娘とか、口の達者な夫と議論になると、

Look, おかん!

て言われるんで、どういう Look か、まあまあわかりました。

あ・の・ですね、お客様。
私はもう2度も3度も担当者に電話しました。
それで担当者が動くか動かないかは、私のあずかり知らぬところなのです。

That's not my concern.

ですって。

に・く・たらしい〜。

ずっと義父母の家でお風呂にゆっくり入れなかったので、
高いホテルのお風呂でゆっくりしたかったので、恨み骨髄に達し、
25年ぐらい経っていますけど、またこうして書いているぐらいです。

2度とできななそうな難易度の高い帰省でしたが、
孫一人ぐらいだったらもう一回やってもいいかな。
孫いませんけど。

このほど、長女が短期間帰省していまして、帰りは羽田に送って行きました。



朝一で、眠かったです。


さて、私は海外に行くのがすごく苦手です。

「その事ができる人」が一緒にいると、
自分の電源が自然に切れて やらなくなるため、
いつになっても慣れるということがありません。

日常生活ではあり得ない大きな荷物を引っ張って遠い空港へ行き、
空港で荷物を預けたり、搭乗口から入って行ったあと、
・・なんかいろいろやるじゃないですか、あれが本当に苦手です。

今回も見てていると、長女と夫の会話、

「もう家でチェックインしたんだわ」

「じゃあ、あの自動チェックインだね。簡単になったよね。
で、今回も、日本を出るときはなになにのパスポートだね」

「そうそう」



後ろでそれを聞いていても、何を言っているのかさっぱりわかりません。

私にとって、チェックインというのはいまだに、ホテルとか旅館に行って、

「2泊で予約した誰々です」

とフロントで言って、手続きをすること、と感じてしまい、
チェックインと聞いても、空港では荷物を預ける事なのか、
それとも「もう入ってください」ということになって、
飛行機に乗る人しか入れない入り口から入って行く事なのか、
よく考えるとわからなくなります。

たまにNZに帰省するときだって、夫の後ろにくっついて歩いて、
夫と同じことを横目で見て真似してやるだけです。

ここで荷物を預けるのね?
ここでポケットからいろいろ出してお盆(トレーというのか・・)
に載せるんだね?
今はこの紙に、いろいろ書くんだね?
多分ね。
夫もなんか書いてるしね・・

と、いつまでも見ようみまねで、全然マスターできません。

それが、コロナ禍、危篤の義母に会いに飛んだとき、
自分だけ日本人パスポートなので、出発が遅れて一人で行き、帰りも一人でした。
なんと辛かったことか。

ただでさえ不安なのに、コロナのために2、3年ぶりの海外渡航。
一人ぼっちで。😭😭😭


まず、金山駅(当時は名古屋住まい)まで、
早朝のタクシーのお迎えを頼むだけで、すでに緊張が高まりました。

もちろん昔々みたいに、赤いカーボン紙の挟まったみたいな紙もなく、
e-チケットを、ひとりでなんとかしたのでしょう。

空港で緊張しながら、あっちではこれをかざし、
こっちではパスポートをガラス面にのせ、
荷物にくっつける長い紙を機械が出してくれるのを受け取り、
悩みながら人のやっているのを横目で見てなんとかスーツケースに付け、
なんかの機械の前に顔を突き出し、ということをやったのでしょうね。
全然覚えていませんが、行って帰ってきたのですものね。
なんとかやったのでしょうね。

シンガポール空港内で6時間も待ち、
オークランド空港では、他の人と同じく、
ワクチンパスポートとか、いろいろ入れたり出したり見せたり。

そう言えば、その前には家で頭をひねりながら、
そのときが初めての、海外からNZに入るための「NZなんとか・NZかんとか」
というようなものをダウンロードし、必要ならお金も払い、
入力して認定され・・みたいなのもやりました。
やるしかなくて、トホホとなりながら、やったのでしょうね。

どの空港でも、関所? を通るに、自分がどの列に並ぶのか悩みました。
一人で帰ってくるときも、コロナ関連の24時間前検査がありました。
前日に義妹に連れて行ってもらって予約し、
出発前にドキドキしながらそれを受けました。

あれからもう4年。
今日、羽田空港で娘の肩越しに一生懸命やり方を見ていましたが、
(というのは、次から一人でもできるようにという気持ちでした)、
今更これの全部を、この先また、一人でやれと言われたら、本当に嫌です。


最近知ったのですが、空港に着いてからから飛行機に乗るまでとか、
ホテルから出発し飛行機に乗るまでをを世話してくれるプロの人がいるそうです。
私みたいに不安になる人は、きっと一定数いるのでしょうね。

私は見よう見まねでも、夫のしていることを見てきて同じことをしてきたし、
幼児二人連れて2度も1人で渡航しているのに、
苦手意識があると、できるようにはならないみたいです。

毎回ハードリセットをしちゃうのが辛い。

私たちは、義父母が亡くなってしまい、昔のように毎年帰省はできなくなりました。
その代わり、長女は在外ですし、次女は年に何回か出張で海外に行きます。
毎回、「もう送迎はやめよう」と言い合うのですが、つい、してしまいます。

どこにも行かないのに、成田と羽田にはたびたび行くのです。
日本の中でも、空港まで往復する頻度が異常に高いペアレンツ、
として、記録を更新していると思います。


ちなみに、私は超過保護・過干渉に育ち、
初めて海外に行ったのは三十を越えていました。

恥ずかしいですが、そのときも生徒と一緒に行ったし(私が引率された)、
数カ所の生徒の家に泊めてもらったので、
一人でちゃんと行って帰って来た実感はありません。

ですからこの先も、「もう出来なそうなこと」のランキング一位は、
海外に一人で行くこと
・・・だろうなと、羽田からの帰り道、そう思っていました。

続きます。





「次に帰省するまで、日本のコンビニの美味しい食べ物は食べられないんだ!」
と言って、娘が買ったもの。



早朝すぎてどこの飲食店も開いていなかったので、3人でこういうものを食べました。



【おまけ】
空港弱者の私が経験した、恐ろしい出来事です。
お時間があったらお読みください。

ものすごく走った話(1)仁川空港大事件

ものすごく走った話(2)仁川空港大事件
家から歩いて行ける川沿いの遊歩道と 広場の桜が咲きました。

一昨日 行ってみたらほぼ満開で、散り始めている木もありました。
すごかったです。




昨日は、家族のお弁当と一緒に自分のお弁当も作り、
読むコミックとピクニックシートなども持って、お花見に行きました。



川に沿ってしばらく歩いてから引き返し、ふれあいひろばの桜の大木を見てから、
川沿いの広場に戻ってきて、お昼にしました。



バラチラシと、お弁当の横流しのおつまみ。



つい先週、北の丸公園に行って、人の多さに驚いてすぐ帰って来たことを思うと、
たくさん人がいるのに、がらがらに空いているように見えました。



ちょっと寒かったけど、「佐橋くんのあやかし日和」(2)を読み、
すごく眠くなってしまったので、シートを畳んでお開きとしました。

そういえば名古屋時代も、天白川の遊歩道や、誰もいな近所の公園で
お弁当を持って一人で、また友達と、お花見をしましたっけ。
懐かしいです。

来年も元気でお花見がしたいです。