(1)は、子供が賞をいただいたおかげで、
初めて郡上市八幡に行くことができました、という話でした。


で、その初めての郡上八幡です。
さすがに本場は違っていました。
青山と違って、おどりの始まるのが8pmからですから、
当たり前ですが、まず、あたりは暗い。
その暗い中に、屋台やお店の灯が浮かんでいます。
屋台も素晴らしいし、大提灯や切子燈籠も、高いところで風に揺れています。
屋台の上のみなさんも、一晩演奏し続けでも長いのに、一夏も・・。
すごすぎます。
最初の年に、はまりました。

7月半ばの発祥祭の日から、足かけ3ヶ月。
最終日のおどり納めは9月第一週の週末ですが、
その間、おどり会場を変えながら、32〜33夜もの間、踊り続けます。
最後の日には、笹に提灯をつけたものを手に、
一夏お世話になった屋台とお囃子の皆さんを、
「かわさき」を踊りながら見送ります。

期間中は、個人踊り・団体踊りコンクールや、変装踊りなど、
楽しい催しもたくさんあり、細道をなが〜くなって踊る日があると思えば、
お城の足元や、駐車場が会場になったり、
それぞれに雰囲気が変わって面白いです。

もちろん、屋台もたくさん出ますし、ビストロからクラフトビールのお店、
居酒屋にカフェと、数多くありますから、こんなに楽しいものはありません。

お土産も素敵なものが揃っています。
おすすめは、食品サンプルです。
他では見られないです。

昼間も、暑いですけれど、川沿いを歩いたり、
いろいろな小さな美術館などもあるし、
食品サンプルの里でもありますので、体験工房もあり、
とても1回や2回では楽しみきれません。
本当に素晴らしいです。

なんか、頼まれもしないのに大張り切りでいろんなことを書いてしまいましたが、
最初に青山で洗礼を受けてたちまち好きになり、そしてそうだなぁ、
それからの7、8年は、郡上に行くのを切望しながら、年に二度、
青山で行われる 「郡上おどり in 青山」をひたすら楽しみにしていたのです。

2011年の震災の直後に、単身赴任をしていた夫を追いかけるようにして、
名古屋市に引っ越しました。
引っ越したら、家から1分のところに高速道路の入り口がありまして、
そこから入ると、郡上までは1時間半ぐらいで行けるのがわかりました。
なんちゅうことでしょうか。

そうなると、平日でも行っちゃいます。
中学生になっていた娘たちと一緒に、また、二人を家に置いて、よく行きました。

サンドイッチと浴衣を用意して、夫が7時ごろ、知多半島から帰ってきますと、
すぐに車に飛び乗って出かけることもよくありました。
暗い高速道路から見ていると、あちこちに、
ぽつんぽつんと、遠い花火が音無しで上がるのが見えることもありました。

私たちは安養寺さんというお寺の駐車場に500円を払って駐車し、
本堂の脇の更衣室で浴衣を来て、下駄に履き替えて会場に向かうのでした。

おどり会場に向かう道々、風の吹き方で、
太鼓三味線笛のお囃子と歌が 急に大きく聞こえてきたりします。

私が踊りが下手なので、教えてくれる師匠もできました。
知らない人たちも、声をかけて、綺麗に見えるコツを教えてくれます。
ちゃんと丁寧に教えてくださるので、自分ではわかったつもりになりますが、
やっぱりギクシャクとしていると思います。

おどりの季節以外に、郡上おどりを教えてくれる集まりを主催する方がいまして、
ご縁があって転勤早々、早速習いに行きました。
この方に、一度集中して、一生懸命習っておいてよかったです。

この手は、月を見上げる気持ちで。
その動きは直線的に。
これは、農民が田下駄を履いて歩く動き。
変なシナを作らない。
これは御殿女中が、袂をからげて 手毬をついているということで・・

などなど、教えていただいたことは記憶によく残っています。
楽しかったなぁ・・


おどり免許というのがあって、最初の2、3年は欲しくてしかたがなかったです。
踊っていると保存会の方からお声がかかることがあり、
直したらいいところを教えてくれます。
そのあと、木札を渡されますので、
それを持って詰所?に行き、名前を書いていきます。
あとで、立派なお面状の額がいただけるのです。
長い間には7曲のうち6曲まではもらえました。
夫も頑張って、4枚。

最後の一枚は、1シーズンに2回しか出ない曲だそうなので、
東京に帰ってきてしまったあとは、
それに当たるようにうまく行くことは不可能ですから、
多分一生もらえないと思います。

え〜ん😂

友人知人には、ものすごいマニアの方がいて、
皆勤賞をもらったりしているので、
お免状コンプリートを成し遂げた人も、何人も知っています。


さて、その晩の踊りが踊りが終わると、お寺の駐車場に戻り、
車のトランクを開けて、どんどん帯を解いて鞄に放り込んでいきます。
それから、車に乗り込んでゴソゴソしながら普段着に着替えます。
郡上の町並を出てすぐ、コンビニに寄って食料と飲み物を買って、
飲み食いしながら家路につきました。
踊るとおなかが空くのです。

令和の時代が始まる日に催しもありまして、その晩は踊りながら、
平成から令和に、下駄を履いた足を踏み込みました。
良い思い出です。

そのあと、新型コロナの時代がやってきました。
2020〜2021年はおどりは中止、 2022年は少ない日程で再開されましたが、
行くことができず、その年の10月には転勤で名古屋を離れてしまいました。

東京に戻るよ、と聞いた瞬間、それは嬉しいが、

「え〜、今までみたいに郡上に行けないじゃん」

と、それが第一に頭に浮かびました。

最後の3年、行けなかったは残念すぎますが、これはでも、仕方ないですね。

連れて歩いていた娘たちも、高校や大学の友達と一緒に郡上で現地集合し、
昼間に飛騨牛や郡上の美味しい鰻、鮎なんかをご馳走した年もありました。

当たり前のように安養寺さんに車を乗り入れ、
下駄に履き替えて手拭いを肩にかけ、
さ、行くか!
・・というのができたのが、もう夢のようです。

その一晩ずつが、
「そんな参加ができる、最後から何回目かのチャンス」であったのに、
いつまでもそれが続くように思っていたのです。
そんな年が何年も持てて、本当に幸せだったと思います。

何も知らない私をいろいろなことに巻き込んでくれた名古屋、
清洲や関市や三重県のみなさん、お元気ですか。

いろいろ誘ってくださって本当にありがとうございました。
浴衣を何着もお願いしたMりんちゃんもありがとう!

転勤の辞令が降りて1ヶ月という慌ただしい引っ越しで、
ろくにご挨拶もせずに失礼したままです。

今年も青山に始まって、夏にはたった2泊ですが、郡上にお邪魔します。
踊りの輪の中で、みなさんにお会いできるのを楽しみにしています。


そうそう、今検索したら、2024年度からお免状をいただける曲が、
全10曲になったのだそうです。
行けた日にその曲とは限らないし、
かかったとて、もらえるわけではありません。

この先がまた、長いですね。
でも楽しみは先が良いです。




一曲だけでも、いただけるのを夢見て精進します。