5月まで住んでいた63㎡の賃貸に、
なんでまた、こんなもの取っておいたのだろうと首をかしげるようなものがいろいろありました。
(今、すごい勢いで捨てていますが、まだまだあります)

理由の一は、2022年10月に入居した賃貸の各部屋の隣に、
立派な鉄扉の、各戸専用の物置があったことです。
94㎡の名古屋の社宅から急に越してきて、捨てても捨てても物が溢れたので、
ここに引っ越してきた時、とりあえずここにいろいろなものを押し込みました。
昔から、見ぬ物、きよしこの夜、とは、よく申します。
18ヶ月間、ここから物を引き出して整理することは一度もなく、
むしろ増えていくのでした。

第二の理由はこの、2022年秋の東京への引っ越しが最後になる予定で、
NZか東京に終の住処を構えそうな雰囲気になってきたため、
「まいっか、片付けはそのときで」
というマインドセットになってしまったことです。
水は低きに流れると言います。

でも何と言っても最大の理由は、私がくたびれきっていたということがあります。2022年3月から2024年6月まで、もうずっと疲れています。
いくら老齢というかエイジングがあるといっても、疲れすぎです。
これは断言できます。

なので、ああさすがにもう、片付けなくちゃと思うたび、
「もう少し疲れてないときにしよっと・・」という、
黄金鉄板の言い訳が出てきてしまい、最終的に、馬鹿みたいなものをずーっと、持ち越していたのです。
ところで、馬鹿なものとは、物たちに失礼ではあるけれど例えば、
子供たちが押し付けていったリコーダーです。
子供が二人なので、2本あるのは当たり前なのですが、
なぜか、ソプラノリコーダーが4本、アルトリコーダーが2本ある。
音楽隊でも立ち上げようというわけではありません。
これはどうしたことであるか。
誰がくれたの?
さすがに6本は要りませんが、吹けばピーと鳴るものを 捨てられません。

あと、よくドラッグストアで500円ぐらいで売っている、持ち手付きの、結構高さのあるバスケット。
洗濯を干すときなんかに、洗ったものを入れて使ったりするあれです。
これが10個あります。
しかもオシャレと思ったのか、全色揃っています。
これはなぜかというと、かつて4人暮らしだったときに、
夜遊び朝帰り激務の家族が、なんでもそこらに置きっぱにしてしまう。
家にいる私はいらいらする。
つまづいたりもするし、踏んづけたら意外に足の裏が痛い時もある。
それで私は考えた。
人数分のバスケットを買ってきて、こいつの・・じゃなくてこの子のバッグ類・・夫のバッグ類・・この子の服・・この子の・・と分けては、各人の自室に運んで行けば、
どんどん各自の部屋が狭くなり、追い詰められて、しまいには片付けるだろうと。
そうすれば少なくとも、私の視野からは、なくなるではありませんか。
「目からの雑音」という言葉があるそうで、
余計なものが常に視野に入っていると、疲れるそうです。
というわけで私は、角砂糖の大きいかけらをくわえて、黙々と巣へ運び続ける働き蟻のように、
バスケットに家族の私物を入れては、2階へと運び続けていたのです。

しかし虚しいことには、それをしたとて、
「お母さん(妻よ)ありがとう、じゃ、片付けるね!」
ということにはならず、各自の部屋に、バスケットがでーんと、あるばかり。
それで私は深く考えず、またバスケットを買う・・ということをしていたらしいのです。


まとめてみましょう。

片付かない言い訳:
(1)一つ前の住まいに、魔窟になりやすい大きめの物置があった。
(2)どうせすぐ引っ越すかもしれないからまいっか、と思ってしまっていた。
(3)足掛け3年に亘り、私が疲れている。

なかなか、
「なぜに素敵な鏡がトマソン物件になりかけたか」
というところまで辿り着けませんが、乗りかかった船ということもあります。

続きます。

え〜・・・😩